14 お荷物隊長の気持ち
フレドリカの部隊は、残り半年間の猶予をもらっている。
その間、フレドリカは記憶を取り戻すためにエドガーたちと一緒に仕事をすることになった。
といっても魔法鞭を出せない、業務日誌を見てもちんぷんかんぷん、産後ということもあり激しい運動ができない、シグルドとの時間を持つために詰め所に長時間いられないということで、部下のお荷物状態になっている自覚は十分あった。
魔法騎士団の一番の役目は、魔物退治だ。彼らが扱う魔法武器は、普通の鋼でできた剣や槍よりも魔物への効果が高く、対人間の戦いは兵団、対魔物の戦いは魔法騎士団、と区別されていた。
シーリとニルスの家のあった集落の付近には、弱い魔物しか生息していなかった。そのため出没しても農具を持ったニルスで十分追い払えたし、その気になったら箒を持ったフレドリカで叩きのめすこともできた。
だが地域によっては強い魔物が出やすく、王都近郊もどちらかというと魔物の出没頻度が高いそうだ。六年前の冬にフレドリカが魔法騎士に目覚めるきっかけになったのも、王都に魔物が飛んできたからだった。
ということである日、フレドリカは五人の部下を連れて……というよりむしろ彼らに守られながら王都を出て、近郊の森に遠征に行った。
「この辺なら日帰りができるので、新人魔法騎士の練習場所にもなっているのです」
うっそうとした森を六人で歩いていると、フレドリカの隣に付くエドガーが教えてくれた。
「僕たちもよく、ここで魔物退治をしました」
「そのときの私は、ばりばり戦っていたのか」
そう尋ねるフレドリカは、エドガーたちとおそろいの青いサーコート姿だ。一応復帰したのだから制服を着ることになったのだが、自分の体は制服の感覚も忘れているようで、ロングスカートのような長さのコートが脚にまとわりついて若干動きにくく感じられた。
「はい、それはもう、誰よりも果敢に戦ってらっしゃいました。ご自分でも、体力はそれほどでもないとおっしゃっていました。その分、あなたは短時間で確実に敵を仕留める方法で戦われていたようです」
「そうなんだ……」
なんとなく右手を持ち上げて力を入れてみるが、光る鞭とやらは出てこない。
以前アントンに「うーん……ってやったら出てこないか?」と雑に教えられたのだが、改めてエドガーたちに聞いても、「ほぼ無意識に出せるから、教え方が分からない」と言われてしまった。
「あなたは、魔物を前にしたときに魔法鞭の才能を開花させたそうですね。だから、戦闘風景を見ていると思い出すかもしれません」
「……そ、そうよね」
エドガーの言葉にうなずきつつも、ついサーコートの布地をぎゅっと握ってしまう。
このあたりで現れる魔物は、シーリたちと暮らしていたときに追い払っていた小型のものとはまったく違う。凶暴で、下手すれば死者が出る。
今のフレドリカは魔法騎士としての戦い方を何も覚えていない、十八歳の頃に逆戻り……どころか、体力は確実に昔より落ちている状態だ。
無力感と魔物への恐怖で黙り込むフレドリカに気づいたのか、そっと背中にエドガーの手が触れた。
「大丈夫です。今日は僕がおそばにいて、魔物はブリットたちが倒してくれます。あなたには怪我一つさせないので、ご安心ください」
「エドガー」
ほっとして彼の顔を見上げると、エドガーは力強く微笑んで――ぴく、とその表情をこわばらせると、振り返った。
「……魔物の気配だ。皆、戦闘準備を!」
「了解……」
「はいはーい!」
「お、おう!」
「エドガーは隊長を頼むよ!」
副隊長であるエドガーの指示を受けて、皆はそれぞれの武器を手の中に呼び出した。
ブリットとカタリーナはそれぞれ、光る扇と片手ナイフを手の中でぽんぽんと遊ばせており、男性二人は斧とハンマーのようなものを手にしている。
そしてエドガーもまた、左手――彼は左利きのようだ――をひらめかせた後に、彼の身長を超える長さの槍を呼び出していた。
魔法武器は、人によって形が違う。だがそのどれもがまばゆく輝いており――
「きれい……」
「あ、ありがとうございます。……では、僕の後ろに」
ついのんきな感想を漏らしてしまったフレドリカに律儀に応えつつ、エドガーはフレドリカの前に立った。
しばらくして、ガサ、ガサ、と草木を掻き分ける音が近づいてきて……茂みが大きく揺れた後に、イノシシにウサギの耳が付いたような中型の魔物が飛び出してきた。
「きゃっ!?」
思わずフレドリカは悲鳴を上げてしまったが、エドガーたちは一切動じた様子もなく動き始めた。
相手が大柄な魔物だからか、重量のある武器を手にした男性二人が立ちはだかる。詰め所では掃除をしたりお茶を出したりと陰でかいがいしく動いている二人が斧とハンマーを構えて、突進してくる魔物を受け止めた。
すかさず魔物の横と背後からブリットとカタリーナが迫り、燦然と輝く扇とナイフをひらめかせて魔物の体に傷を与えていく。普通の武器だと魔物に傷を与えても自然治癒するが、魔法武器による傷は修復が鈍く、魔物は悲鳴を上げながら暴れていく。
「ほら、ひっくり返すよ、ブリット!」
「りょうかーい!」
女性二人が息のあった仕草で魔物の腹部に回り込んで、その巨体をころんと転がす。傷を与えられ体力が消耗していた魔物はじたばたもがきながら転がり、その脳天めがけて男性二人の斧とハンマーが打ち込まれた。
グギャアアア、という悲鳴を上げて魔物は倒れ込み、やがてその姿はじゅわっと黒い液体になって地面に染みこんでいった。
「ほい、一丁あがりーっと!」
「まあ、四人がかりならこんなものね」
「皆、お疲れ。隊長も……」
そこまで言って振り返ろうとしたエドガーだったがふいに空を見上げ、地面に踏ん張るように構えると、持っていた槍を上空に向けて投げた。
「えっ!?」
驚いたのはフレドリカだけで、頭上でギャッ! という悲鳴が上がった。いつの間にか頭上に迫っていた飛行型の魔物は槍の一撃によって黒い液体になり、それがちょうどブリットたちの方に降ってきた。
「やだもー!」
「ちょっと、エドガー! 隊長に格好いいところを見せようとしたのか知らないけど、迷惑よ!」
「あわわ……べとべとする」
「エドガー、勘弁してくれよ」
四人に文句を言われてエドガーは「悪い、今度は気をつける」とあまり申し訳なくなさそうに言ってから、フレドリカを振り返り見た。
「……こんな感じですね。いかがでしたか?」
エドガーに尋ねられたフレドリカは呆然とし……そしていつの間にか、地面に座り込んでいたことに気づいた。
箒で追い払える小さな魔物とはまったく違う、凶暴で獰猛で……下手すれば死傷者が出るかもしれない、魔物。そしてフレドリカが気づかないうちに上空に迫っていた、魔物。
(怖かった……)
エドガーはへたり込むフレドリカを見て、目を丸くしていた。
「隊長……?」
「ご、ごめんなさい。驚いて……」
「……それもそうですよね。立てますか?」
「立てます!」
エドガーに手を差し出されたがそこまで世話を焼かれると隊長としての矜持がぼろぼろになるので、なんとか立ち上がった。
(魔法武器を出すどころか、座り込んでしまうなんて……)
自分の弱々しさが憎らしいし……こんな自分が本当に十八歳の頃、子どもを守るために魔物に立ち向かえたのかさえ怪しくなってきた。
小遠征をした日、迎えの馬車に乗ってアントンの別宅に帰ったフレドリカは、よほど落ち込んだ顔をしていたらしい。
「お嬢様、体調はいかがですか?」
「大丈夫よ。シグルドのお世話、ありがとう。後は私がするわ」
気遣わしげに問うてきた子守メイドにそう言い、フレドリカは別宅二階の奥にある子ども部屋に向かった。ドアを開け、そこに漂うミルクのような花のような甘い香りを吸うと、一気に心の中が柔らかいもので満たされた。
「シグルド、ただいま」
ベビーベッドにいる息子に呼びかけると、おもちゃで遊んでいたシグルドはフレドリカを見てぱあっと笑い、「まーまー!」と言ってくれた。
ここに来てしばらくした頃に、シグルドはフレドリカのことを「ママ」と呼べるようになった。初めて「ママ」を呼んでくれたとき、城から帰ってきたばかりで疲れていたフレドリカだが一瞬で疲労が吹っ飛び、シグルドを抱えて使用人たちのところに行って、「今、ママって呼んだ!」と言って回ってしまったものだ。
子守メイドたちもシグルドの成長を喜び、「初めてママと呼んだ記念」ということでオールワークスメイドと料理メイドはとっておきのお祝い料理を作ってくれたし、無口な御者も新しいおもちゃを買ってくれた。子守メイドたちは、どちらが先にシグルドに名前を呼んでもらえるかと、平和な争いをしている。
「シグルド。ママ、頑張っているわ」
シグルドを抱っこして頬を寄せながら、フレドリカは囁く。
「いつか、あなたのパパを見つけたい。でも、もし見つからなくても……あなたが幸せになれるよう、ママは頑張るからね」
アントンが言っていたように、労災事故による保険金が下りた。
フレドリカの想像していた以上の額だったので王都の銀行に預けているのだが、これくらいあればシグルドの教育費にも充てられそうだし、世話になったシーリやニルスへのお礼、生まれ育った養護院への仕送りもできそうだ。
だが、それもずっとではない。
半年間に、フレドリカは自分の生き方を決めなければならないのだ。