13 青い目の男はどこに
魔法騎士団部隊長として復帰したフレドリカだが、自分でも思っていたように過去の自分の仕事がそのまま引き継げるわけではない。
エドガーから棟の説明を受けた後、フレドリカは訪問してきたアントンに連れられて騎士団の上層部のもとに行き、一年半前の事故によってここ数年間の記憶を失ったものの生還し、現在はアントンの別宅に身を寄せていることを報告した。
かつての自分の上司である者たちの反応は三者三様で、「よく帰ってきた」「命があればそれでいい」と言ってくれる者もいるが、興味なさそうにそっぽを向く者や、「無能に成り下がったのならば、騎士団から出て行け」とにべもなく言い放つ者もいた。
ひとまず、アントンがかつて言っていたように部隊解散の危機は逃れたものの、「あと半年間で身の振り方を考えるように」という結論に至った。
「……とりあえず、私の復帰は認められたということでしょうか」
「せいぜい『仮』復帰って程度だろうがな」
上官たちの部屋を後にしたフレドリカが緊張でこわばった肩を回しながら言うと、アントンはうなずいた。
「おまえが現役だった頃から、おまえの部隊の評判はそこそこよかった。隊長を失ってもなお約束の二年間は踏ん張ろうと五人で協力してきたようだし、優秀な部隊を解散させるのは惜しいってのがまともな連中の考えだ」
「あ、あの。いいのですか、そんなことを言って……」
「誰だってお互い文句を言い合っているもんだ。いちいち人目を気にしていたら愚痴の一つも言えないだろ」
すれ違う騎士団の人たちの視線を気にしてフレドリカは尋ねるが、アントンはしれっとしている。
「それに、魔法騎士団の上層部がごたついているのは誰でも知っている。……念のために、覚えておけ。おまえが復帰することに一番難色を示していたあごひげのあるジジイ、オットー・バックマンっていうんだが、前々からおまえのことを目障りだと思っていたやつだ。過去のおまえはよく、バックマン将軍に仕事の邪魔をされたと愚痴っていた」
「バックマン将軍……」
フレドリカは、先ほどの報告会で顔を合わせた面々について思い浮かべる。
アントンの示す男は、面と向かってフレドリカのことを「無能」と言い、労災事故で能力を失った部隊長にさすがにそれはないのでは、と他の者に窘められていた。
「……分かりました。気をつけておきます」
「そうしろそうしろ。……ああ、そうだ。おまえが去年の夏に事故に遭って記憶喪失になったのは、立派な労災事故だ。ということで後日、保険金が支払われるから知っておけ」
よかったな、くれるもんはもらっておけ、とアントンに言われたので、フレドリカはえっと声を上げた。
「お金をいただけるということですか?」
「毎月の給金から保険料がちゃっかり抜かれているんだから、こういうときにはちゃんと払われるんだ。それに、おまえが辞職することにしたときにも金が下りる。よかったな、先立つものは金だぞ」
アントンは気楽そうに言うので、フレドリカはしばし頭の中で計算機を叩いてから、うなずいた。
「……そうですね。記憶が戻っても戻らなくても、お金は必要ですし」
主に、シグルド関連で。
アントンも同じことを思ったようで、足を止めるとフレドリカの耳に口元を寄せた。
「……ただでさえおまえにはあいつがいて金も掛かるんだから、こういうときは遠慮せずにもらっておけ。おまえにはそれだけの権利があるんだからな」
「はい、そうさせていただきます」
フレドリカがしっかりとうなずくと、アントンは満足そうに微笑み――
「っ……隊長!」
「あれ、エドガー?」
どこか焦ったような声がしたので振り向くと、廊下の向こうから小走りにやってくる青年の姿があった。
棟の案内の後で彼とは一旦別れていたのだが、報告会が終わった頃を見計らって迎えに来てくれたのだろうか。
(それにしては、険しい表情だわ……)
「エドガー、迎えありがとう。……隊の方で何かあったのか?」
「えっ? いえ、特にはありませんが……」
なぜかエドガーが虚を衝かれたように答えるので、あれ、と思ってしまう。
(てっきり火急の用事があるから、怖い顔をしていたのだと思ったのに)
だがそれを見たアントンはなぜかくくっと小さく笑うと、フレドリカの肩に手のひらを置いた。
「よう、エドガー。敬愛する隊長のお迎えご苦労さん」
「……ヴァルデゴート将軍、報告会への付き添い、感謝します。ここからは僕が隊長をご案内しますので」
「そうかいそうかい。おまえも察しているかもしれないがフレッドは意地悪な爺どもにいじめられて、気落ちしている。ちゃんと慰めてやるんだぞ、このグズめ」
「ちょっと、別に気落ちしていませんし、エドガーにひどいことを言わないでください」
フレドリカはむっと言い返してから、肩になれなれしく置かれていたアントンの手をはねのける。
「付き添いと……あとご助言、ありがとうございました。この後はエドガーと一緒に行きますので」
「ああ、そうしろ。じゃあまたなフレッド……と、のろま君!」
アントンは気さくに言ってから、マントを翻して去っていった。
(……よく分からない人ね)
自分勝手で横暴にも見えるが、右も左も分からないフレドリカの面倒を見てくれるし、こちらにとって有利な情報を教えてくれる。昔から、自分とアントンはあんな感じのやりとりをしていたのだろうか。
アントンの背中を見ていたフレドリカだが、そっと腕に触れられたため振り返る。視線の先にあったエドガーの顔は、渋いような苦いような微妙な表情をしていた。
「……報告会、お疲れ様でした。お辛い思いはされなかったですか?」
「大丈夫だ。全員に歓迎されるとは思っていなかったから、これくらいの『お迎え』で済んでよかったと思っている」
エドガーが心配そうに尋ねるので、フレドリカは微笑んで返した。
辛辣なことも言われたが、これで気落ちして泣くほどのことではない。味方になってくれそうな上官もいると分かっただけでも、大収穫だ。
フレドリカの笑顔をどう受け取ったのか、エドガーは少し悩んだ素振りを見せつつもうなずいた。
「……分かりました。では、詰め所に戻りましょうか」
「何かするべきことがあるのか?」
「そうですね……ひとまずは、あなたの記憶を刺激するためという点でも、これまでの業務内容の説明をしたり、資料を読んでいただいたりしようと思います。あなたが書かれた業務日誌もございますので、何かきっかけになるかもしれません」
「それもそうだな。……記憶にない自分が書いた、日誌ね。どんなものかしら」
確かに自分の字で書かれた、書いた覚えのない文字。きっと不気味だろうが、懐かしさも感じるかもしれない。またエドガーの言うように、自分の文字を追うことで記憶を取り戻すきっかけも見つかるかもしれない。
(……あ、そうだ)
「あの、エドガー。ちょっと込み入ったことを聞くけれど」
歩きながらフレドリカが呼びかけると、エドガーはこちらを向いて微笑んだ。
「何でもおっしゃってください。僕に分かることならお答えします」
「ありがとう。……あの。過去の私は、お付き合いしている人とかがいる雰囲気だった?」
声を潜めてフレドリカが尋ねた瞬間、ぴたっとエドガーの足が止まった。
最初それに気づかず数歩進んでしまい、慌てて彼が立つ場所まで戻ったフレドリカが見つめていると、エドガーは悩ましげな顔で考え込んでいた。
「お付き合い……? 何か気になることでも?」
「ああ、いや、たいしたことじゃないんだ。でももしそういう間柄の人がいたら、私のことも伝えるべきだろうと思って」
シグルドの父親が知りたいから……というのが本音だが息子の存在は公言しない方がいいとアントンが言っていたので、適当にはぐらかしておいた。
(まあ、恋人がいたのなら私の無事を知らせたいっていうのも、本当だものね)
フレドリカの返事を聞き、エドガーはしばし黙っていた。
「……申し訳ございません。僕は、そのようなことは聞いたことがありません」
「ん、そっか」
「色恋関連でしたら僕より、ブリットたちの方が詳しいと思いますよ。あなたはよくあの二人とお茶をしていて、そのときに二人の恋愛相談に乗っていたりもしていたようなので」
「へえ……あんまり想像できないな」
フレドリカは自分が誰かの恋愛相談に乗るような性格ではないと思うのだが、部下の面倒見がよかったからなのかもしれない。
(確かに、秘密の恋をしていたら同性の仲間にはこっそり教えるかもしれないものね)
なるほど、と思ったフレドリカは詰め所に戻った後、そこで書類仕事にヒイヒイ言っていたブリットとカタリーナにも尋ねることにしたのだが。
「えー? 隊長って彼氏いたんですか?」
「いや、私の方が知りたくて……」
「うーん……そういうのは聞いたことがないですねぇ」
少しでも話しやすい雰囲気になれば、と思って茶菓子を手に会いに行くと、二人とも喜んで書類を放り投げていた。そうして恋人のことについて聞いてみたのだが、二人とも首をかしげていた。
「隊長にはよく彼氏の浮気とかについて相談に乗ってもらったんですけど、隊長は『恋人はいない』って言ってましたよ」
「今は仕事が恋人だ、と言われたこともありますね」
「そっか……」
エドガーよりも個人的な話をしていたと思われるブリットとカタリーナでもこう言うのなら、フレドリカは本当に誰にも見つかることなく、恋人との愛情を育んでいたのだろうか。もしくは――
(……どうしても悪い想像をしてしまうけれど、アントン様が言うには妊娠当時の私は毎日元気そうだったってことだし……)
副隊長にも女性の部下にもばれずに見事に隠し通した恋だった、と考えるのが一番精神衛生上いい気がした。とはいえ、だとしたらシグルドの父親――青い目を持つ男とは、一体誰なのだろうか。
考え込むフレドリカをよそに、ばりぼりと茶菓子を食べていたブリットが「てかさー」とつぶやく。
「あたしは、隊長とエドガーがデキてるって思ってる時期があったわ」
「あっ、あたしも。いつも二人でいるし、あたしたちの誰よりも早く隊長の部下になったからね」
金髪を掻き上げながらカタリーナも言うので、フレドリカは目を丸くした。
「エドガーが? まさか、そんなことはないのだろう?」
「うーん……なんと言うか。エドガーの方が隊長を大好きなのは見て分かるんですよ。隊長も、感じてません?」
「……まあ確かに、慕われているとは思うな」
恋愛云々というより、毛並みのいい犬に懐かれているような感覚だが。
「それに、隊長が行方不明になる直前まで隊長と一緒にいたのは、あいつなんですよ」
「隊長が行方不明になったってときには、今まで見たことないくらい取り乱していたし」
「……でも、違うんだよな?」
なんとなく頬が熱いと感じつつ聞くと、二人はそろってうなずいた。
「エドガーに聞いたことがあるんですが、珍しくキレられたんです。『僕は純粋に、隊長を慕っている』って」
「あんなマジな顔をするのは初めてだったから、さすがそれ以降聞くのはやめましたね」
「隊長がいなくなってからのあいつ、表情が死んでいていつかぽっくり逝くんじゃないかって、皆で心配していたくらいなんですよ」
つまり、エドガーから慕われているというのは事実だが、彼とそういう関係ではないと。なお、あと二人いる男性の部下もいずれも、目の色は青ではなかった。
(青い目の男性なんて、探せばいくらでもいるし……私の復帰の知らせがもっと広まれば、出てきてくれるかな?)
ひとまずフレドリカにはやることがあるのだから、シグルドの父親捜しにも発展があれば僥倖、くらいに思うことにした。