11 魔法騎士団にて②
最初のうちは静かだった廊下だが、だんだん人の話し声や足音が聞こえるようになった。この先に、騎士団員がいるのだろう。
「……なるべく人通りの少ない道を選んだつもりですが、申し訳ございません。おそらくこの先に、よその部隊の者がおります」
エドガーが少しこわばった声で言うものの、そうだろうな、と思っていたのでフレドリカはうなずく。
「挨拶はした方がいいだろうか」
「……やめた方がよろしいかと。僕が応対しますので、ご安心ください」
エドガーが言いたいのはつまり、「自分がなんとかするから、おまえは黙っていろ」ということだろう。なるべくフレドリカを傷つけないように優しい言葉を選んでくれるエドガーに、感謝である。
(……さては、過去の私をいじめていた人たちかしら)
むしろ、どんな人たちなのだろう、どんないじめ方なのだろう、と気になるフレドリカとは対照的に、エドガーは全身をぴんと緊張させながら歩き……やがて前方の十字路の左手側から、エドガーと同じ青色のサーコート姿の男性数名が現れた。
年齢は、アントンくらいだろうか。未だ十代後半の心のままでいるフレドリカにとっては、少し威圧されるような年齢差を感じられる。
彼らはエドガーと連れだって歩くフレドリカを見ると会話をやめ、そして「これはこれは」とわざとらしい仕草でお辞儀をした。
「第六部隊部隊長の、フレッド殿ではありませんか」
「お顔を見るのも、一年ぶり……でしょうか?」
「しばらくお見かけしないので、どこか遠くに旅行されているのでは、と噂していたのですよ」
相手の男たちは三人で、ぺらぺらと勝手にしゃべっている。彼らも当然、一年半前の事故でフレドリカが行方不明になり、つい最近記憶喪失状態で帰ってきたというのは知っているのだろう。
(……こういうのを毎日聞かされていたと思うと、確かに嫌になるわ)
なんというかとても貴族らしい遠回しなイヤミで、養護院の子どものような「馬鹿」「くそ」「ぶっ飛ばす」みたいな暴言ではない。そのため一言一言のダメージは小さめだが、積み重なれば「くそ」よりよほど苦しい思いをしそうだ。
だが出会い頭のイヤミにフレドリカが驚いている間に、エドガーがかばうように前に出た。
「おはようございます。皆様もご存じの通り、隊長は王都に帰ってきて間もない上に、魔法騎士団員時代の記憶をなくされています。過度な刺激は毒になりかねませんので、どうか寛大なお心で迎えていただければと思います」
要するに、「隊長に突っかかるな」ということだ。
だがエドガーより年上の騎士たちは三人がかりで彼を囲み、にやにや笑い始めた。
「誰かと思ったら、イェンソン家の嫡男殿ではないか」
「違う違う。ほら、この男は廃嫡されて……」
「ああ、そうだった。ごきげんよう、エドガー・レヴェン殿。大好きな隊長殿が帰還されて喜ぶのはいいが、少々周囲に牙を剥きすぎでは?」
「前から犬のようにフレッド殿につきまとっていたが、今は少し獰猛すぎるようだな。フレッド殿、飼い犬のしつけはきちんとせねばなりませんよ?」
口々に言う男たちを前に、フレドリカはどきどきしていた。
(こ、これが上流階級の人たちによる、「嫌がらせ」なのね……!)
直接的な言葉は使わず、婉曲に婉曲にイヤミを吐いてくる。相手がエドガーのように真面目な男だからこそ堪えるのであり、これを聞くのが養護院にいた悪ガキだったら、「あ? エドガーは犬じゃねぇよ!」「おまえ、人間と犬の区別も付かないのか!」と一切通じなかっただろう。
そんなフレドリカと違い、エドガーの背中がぴくっと震えている。彼は諸事情により実家から廃嫡されたとはいえ生まれは貴族なのだから、やはりこういうイヤミは堪えるのだろう。
(何も言うな、とは言われたけれど……)
「……なあ、エドガー」
このままではエドガー一人がやられてしまう。それは、人として、エドガーより一応年長者として……上司として、なんとかしたい。
黙っていろ、と言ったのにフレドリカがしゃべったからかエドガーがさっと振り返ったが、フレドリカは彼に笑顔を返した。
「この人たちはさっきから一体、何の話をしているんだ?」
「えっ?」
「こんにちは……私にとっては、初めましてか。私たちは忙しいんだが、もっと話を聞くべきか? もし何か急ぎの用事があるのなら、手短に済ませてほしい。私はこれからエドガーに、魔法騎士団の棟について説明してもらう予定なんでな」
三人組にそう言うと、男たちは虚を衝かれたように目を見開いて黙った。かつてのフレドリカがどうだったのかは分からないが、こういうイヤミでいちいち傷つくのは時間と心の無駄だ。
「ああ、それとも君たちがエドガーの代わりに案内をしてくれるのか? それはありがたいな。じゃあ、頼むよ」
「……わ、我々はそこまで暇ではない!」
「暇じゃないのなら、なんでここでエドガーを掴まえて立ち話をしているんだ? ごきげんよう。はい、挨拶は終わったんだから用事を済ませに行けばいい」
苦し紛れの言葉を吐かれたので揚げ足を取ってやると、男たちはかっと顔を怒らせ、そして「失礼する!」と裏返った声で叫んできびすを返した。
ドカドカと三人分の足音が遠のいていき、ふうっ、とフレドリカは会心の笑みを浮かべる。
(ふんっ。あれくらい、絶賛イヤイヤ期でご飯をあげても投げてしまうシグルドのお世話より、よっぽど楽だわ!)
基本的におとなしくていい子のシグルドだがたまにとんでもなく頑固になり、ご飯を掴んで投げたりスプーンを床に落としたり口に入れたミルクをブーッと吐いたりと、いろいろしてきた。
よだれやらミルクやらで汚れた床を悲しい気持ちで拭くよりよほど、口先だけの大人のイヤミに耐える方がましではないか。
「エドガー、大丈夫?」
「……」
「あ、あの、ごめん。黙れって言われたのは覚えているけれど、我慢できなくて……」
「黙れとまでは言っていません。ただ、その……申し訳ございません」
振り返ったエドガーが深々と頭を下げたので、フレドリカは慌てて彼の頭を掴んで顔を上げさせた。
「やめてよ! あなたが謝ることじゃないし、悪いのは大人げなく喧嘩を売ってきたあの人たちじゃない!」
「喧嘩を売られていたという自覚はおありなのですね……」
「それくらい分かるわ。……って、なんで笑っているの?」
てっきり落ち込んでいると思いきや顔を上げたエドガーがくくっと楽しそうに笑っていたのでフレドリカが眉根を寄せると、彼は「ああ、いえ」と首を横に振る。
「……隊長は変わっていないな、と思いまして」
「……私は前から、こうやって言い返していたの?」
「はい。口も達者ですが手も早い方でした。おまけにそこらの連中よりよほど強いので、口で勝てなくても魔法鞭でぎりぎり締め上げて、最終的には相手を降参させてらっしゃいましたよ」
(うっ……そこまでだったんだ!)
過去の自分の弾けっぷりにはなんとなく気づいていたが、そこまでのじゃじゃ馬だとは思わなかった。
途端に恥ずかしくなってくるフレドリカだが、エドガーは笑みを残したまま肩をすくめた。
「記憶のない隊長にかばわれるなんて、部下失格ですが……助かりました。ありがとうございました、隊長」
「いいのよ……じゃなくて、構わない。ただでさえ私は行方不明になったり記憶喪失になったりしてエドガーに迷惑を掛けているのだから、これくらいなんてことない。どんどん頼ってくれ」
「……それはさすがに男としての矜持が許さないので、もっと頑張ります」
エドガーはそう言って、「こっちが僕たちの詰め所です」と案内してくれた。
(……過去の私も、こんなやりとりをしていたのかな)
なんとなくだが、自分が必死になって努力した理由が、分かる気がした。