尾行
「何を……?」
フラウの言葉が分からず、ラスティは眉を顰めた。レンを見るが、彼も分からないようで首を傾げている。
「その子」
フラウがラスティの真横を指差した。細い指が示す先を追ったラスティは、思わず声を上げた。いつのまにかそこには、行儀よく足を揃えて座った白い狼がいる。
「いったい、いつから……?」
声を引き攣らせるレンに、たった今だ、とフラウは答えた。
「ていうか、この狼、色は違うけど、もしかして――」
驚きから立ち直ったラスティも同じことを思った。ここに来る前に黒い狼に追いかけられた経験が、この生き物の正体を裏付けた。
――『帰っていい』は、この為だったか。
ラスティは肩を落とす。ずいぶんとあっさりしたものだと思ってはいたのだ。使い魔に尾行させるのであれば、その理由に頷ける。
フラウは椅子から立ち上がり、卓を回り込んで狼の前にしゃがみこんだ。黒い瞳に目線を合わせる。
「飼い主は何処?」
白い狼は心得たように立ち上がり、部屋の扉の前へと行った。ラスティは神剣を腰に差し、レンとフラウのあとに続く。
宿の一階に行くと、エントランスの壁際にグラムがいた。リグにリズ、それからもう一人も。彼らは階段を下りてきたラスティたちに、親しげに手を振った。
白い狼がリグの足に絡みつくように擦り寄る。リグがその頭を撫でると、狼は床に沈み込むように消えていった。
「悪かったな、尾行させてもらって」
言葉と裏腹に悪びれる様子もなくリグが言うと、レンは彼の前に立ち、頬を膨らませた。
「本当ですよ。あいつらの仲間扱いするなんて」
「いやだって、嘘か本当か判らないだろ? それに、またお前らに接触する可能性がないとは言えなかったからさ」
「残念でしたね、期待が外れて」
「だけど、それ以上に興味深い話が聴けたよ」
意味深に笑むリグの言葉に、傍らで聞いていたラスティの頬が強張った。理屈は分からないが、リグは使い魔が見聞きしたことを把握しているようだ。
つまり、ラスティがアリシアの剣を持っていることが、彼らに知れている。
「連れが気になるって言うからさ、ちょっと話したいんだけど」
リグは残りの一人の男を指し示す。〈木の塔〉の支部でアリシエウス侵攻の報を持ってきた、学者然とした長身の男だった。面長の整った顔は無表情。黒く長い前髪の間から黒い瞳を覗かせて、ラスティのことを見下ろしている。
「いいわ。部屋にいらっしゃい」
階段の上からフラウが促した。ラスティたちはぞろぞろと連れ立って、四階へと上がっていく。
フラウの借りている部屋は広い部屋だったが、さすがに七人が入ると狭く感じた。全員が椅子を利用することなく卓を囲む。その卓を挟んで、フラウと男が睨み合っていた。二人とも年齢は同じくらいだろうか。だからこそ、このただならぬ雰囲気というわけか。ラスティとレンは息を飲み、グラムたちは溜め息を溢した。
「フラウといいましたか」
男が口を開く。尋ねるというよりも問い詰めるような厳しい口調に、周囲は息を飲んだ。
「剣の監視者を名乗っているとか」
「ええ。そちらは?」
「ウィルドといいます」
言葉を交わす二人は落ち着いてこそいるものの、互いに敵意を隠そうともしていなかった。殺伐とした空気が流れる。状況を見守る者たちは、理由も分からず不穏な空気に戸惑う。
「剣を、彼は持っているようですが」
ウィルドは一瞬ラスティに目を向けた。ひやりとした視線。ラスティの胸が騒めいた。まるで品定めをするような目だった。
「アリシエウスの王家の意向よ。彼なら信頼できるって」
「クレールの侵攻を予期して?」
「そうね。彼の国は剣を狙っていたから」
フラウの答えに、ウィルドは口元に指を当てて考え込む。眇めた目は疑いの証だろうか、フラウに向けられていた。
そんな二人を見守りながら、ラスティはウィルドという男の素性について考える。グラムたちと一緒にいるということは、〈木の塔〉の人間ではあるのだろう。だが、一魔術研究機関の人間が、何故アリシアの剣を気にかけるのか。
場合によっては、〈木の塔〉も警戒する必要があるかもしれない。ラスティが緊張を高めていると。
「すんませーん。おれにはよく分かんないんですけどー」
突如として挙手したグラムの空気を読まない呑気な台詞に、張り詰めた雰囲気はたちまち霧散した。
ウィルドは仕方なさそうに息を吐くと、グラムへと説明をはじめた。
アリシエウス王家がアリシアの剣を隠し持っていたこと。
クレールが、神剣を狙ってアリシエウスに侵攻したこと。
ラスティは、その危機を察知したアリシエウス王家から剣を託され国を出たこと。
リグの使い魔が見聞きしたことと、フラウとの会話だけで判断したとは思えぬほど、ウィルドは状況を的確に把握していた。
「つまり、ラスティはそのアリシアの剣を持って、クレールから逃げなきゃいけないってわけだな?」
本当に分かったのか、と不安になる軽薄さで、うんうんとグラムは頷いた。事の次第は理解したのかもしれないが、重大さについてはあまり真摯に受け止められていないような気がして、ラスティは少し複雑になる。
そんなラスティの心境を知らず、じゃあさ、とグラムは気楽に口を開いた。
「シャナイゼに来ればいいじゃん」
「シャナイゼ?」
レンがラスティを仰ぐ。
「リヴィアデールの一領地だ。〈木の塔〉の本部がある」
「シャナイゼはリヴィアデールの東側。つまり、クレールから離れる方向にあるってわけ」
リズの補足に、なるほど、と頷いたレン。
おそらくグラムたちはそこから来たのだろう、とラスティは推測していた。だから『来る』などという表現になる。〈木の塔〉の本部があるというシャナイゼ。それはいったいどういうところなのか。
「行ってみましょうか」
「……そうだな」
他に行く宛てもない。西のクレールから逃れるために東へ行くというのは安直だが、悪くはない気がした。
「よし! じゃあ、おれたちもついてくか」
にか、と笑うグラム。ラスティたちも驚いたが、誰よりも早くリズがその言葉に反応した。
「手記はどうするの!」
卓を叩いて身を乗り出し抗議する彼女に、グラムは後頭部を掻く。
「つってもな。犯人はもうこの町にいないみたいだし。そうすると、リヴィアデールを出ちまった可能性がでかいだろ? 国外となれば、さすがに手が出せないぜ?」
「そうだけど……」
リズの勢いが萎む。
「一度シャナイゼに戻って、立て直す必要があるんじゃねーかな」
「いずれにせよ、独断では動けないぞ」
リグまで後押ししたことに思うところがあったのか、リズは反論できずに口をつぐんだ。不安そうにウィルドを見上げる。彼女の灰色の眼差しを受け止めたウィルドは、肩を竦めた。
「……仕方がありませんね。ここはグラムくんに従いましょう」
「……いいの?」
「一朝一夕で使いこなせる代物でもありません。猶予はあるかと」
「と、いうわけだ」
一緒に行こうぜ、とグラムはラスティに笑いかけた。
しかしラスティは戸惑うばかりだ。
「……どうして、俺たちに首を突っ込む?」
グラムたちにとって、ラスティは魔術書を盗んだ容疑者に過ぎなかったはずだ。そしてその疑いは、今やほぼ完全に晴れている。それなのに、彼らはラスティがアリシアの剣を持っていると知ると、積極的にラスティたちに関わろうとしてきた。何か裏があるのではないか、と疑ってしまうのも無理からぬことだろうとラスティは思う。
特に気になるのが、ウィルドという男の存在だ。グラムたちの中で一番神剣に関心を示している彼が、何を考えているのかラスティには読めなかった。
「別に、深い意味はないんだけど……」
ラスティの警戒を感じ取ったのだろうか。眉を垂らしたグラムは、癖なのか、再び後頭部を掻いた。
「神様に関わると、ろくなことがないからさ。だから気になるっつーか……」
双子たちが深刻そうに同調する。その様を見て、フラウが笑った。
「まるで、自分たちも経験したかのような言い草ね」
「あー……まあね」
視線を逸らすグラムたちに、フラウはますます可笑しそうに笑った。
結局、ラスティはグラムたちの同行を許すことになった。道案内がいたほうが便利だ、とグラムに説得されたためだ。ラスティとしては得体のしれない同行者を抱えるのには気が引けたのだが、すでにレンという一例があったために強く否定することもできず、そのまま受け入れてしまった形だ。
「妙なことになったな」
「賑やかで良いじゃないですか」
元凶がぬけぬけと言う。
いつの間か外は夜を迎え、皆と別れたラスティは、レンと連れ立って借りていた宿へと帰ろうとしていた。さすがに大きな町であってか、この時間になっても大通りには人が絶えなかった。各商店もまだ営業中で、店内の明かりが外に漏れ出ていた。加えて、通りには魔術で点灯される街頭も立ち並び、暗がりを感じさせない。通りは祭りでもやっているかのような賑やかさに包まれていた。
ただ、道行く人は何処か不安げだった。西で始まった戦争が、彼らの顔に影を落としているらしい。
「……それでも、他人事なんでしょうけど」
ぽつり、とレンが言葉を落とす。拾ったのは、隣のラスティだけだ。
「目の当たりにしたわけではないんだ。実感が持てないんだろう」
町の人を擁護する言葉は、ラスティ自身にも当てはまるものだった。〈木の塔〉の事務所でアリシエウス襲撃の報を聞いて愕然とはしたものの、まだ心の底で信じられずにいる。故郷が、城が襲われているところを、頭の中で思い描けずにいるのだ。今このときもきっとアリシエウスの民たちは苦しんでいるはずなのに、ラスティは何処か遠くの出来事のように感じている。
夢であってくれればいい。そう思わずにはいられなかった。
アリシエウスの襲撃が嘘であるならば、心置きなくルクトールを離れられるのに。