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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第二章 西の交差点
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逃走

「待てこんにゃろー!!」

 ルクトールの東西を結ぶ大通りの真ん中で、叫び声が響く。左右に連ねる店を覗き込みながら歩いていた人々は何事かと足を止め、振り返った。ラスティとレンはその間を掻きわけて、必死に追いかけてくる少年から逃げている。

「クレールの追手……だよな?」

 ラスティはちらりと後ろを振り返る。

「その可能性が高いです」

 隣を並走するレンが答える。そうと判断する理由は、あの少年は真っ直ぐラスティを見ていたことに起因する。ラスティは青みのかかった黒目黒髪と、アリシエウスの民の特徴を持つ。持ち去られたアリシアの剣を誰が所持しているかを考えたとき、まず出てくるのはアリシエウスの民だろう。

 だが、その一方で、引っ掛かりも覚えていた。そう都合良く追手に見つかってしまうものなのかということが一つ。昨晩のクレールの追手が密かにラスティを追跡していたのに対し、あの少年が堂々と姿を現してきたことが一つ。アリシエウスから神剣が持ち出されていることが既に周知されているらしいことが、さらに一つ。

 ……なんとなく、嫌な予感がした。

「とにかく、相手は今は一人しかいません。もっと人の多いところに行って、仲間が来る前に二手に分かれれば……」

 人混みに紛れて撒くことができるかもしれない。ラスティもまたそう思ったが。

「リズ、そいつらだっ!」

 背後からの少年の声に顔をあげる。前方、広い道幅の真ん中に立つ一人の娘が自然と目に入った。彼女は灰色の瞳でじっとこちらを睨み付けている。――仲間がいた。

「逃がすか!」

 娘は灰色のローブと長い黒髪を翻し、ラスティたちの前に立ちはだかろうとした。レンが舌打ちし、右へと身を翻した。路地に飛び込む。

 娘の伸ばされた手を掻い潜り、手に持つ物を投げつけると、ラスティもレンの後を追った。

 建物の壁に挟まれた路地は狭かったが、代わりに人もいなかった。障害物がなくなって、二人の走る速度が上がる。僅かに左に湾曲した、日差し遮られた道。二人の足音と息遣いが反響する。

 このまま暗がりに逃げ込めないか。淡い期待を抱いたラスティの耳に、また狼の吠える声が届いた。ラスティはちらと振り返る。あの大きな黒い狼が路地に飛び込んでくるのが見えた。まさかその人混みの中を走り抜けてきたというのか。

 とにかく、このまま相手を振り切れないか。ラスティたちはさらに速度を上げるが。

「行き止まりだ」

 ラスティの希望を打ち砕くように、新たな影が立ちはだかった。灰色のローブ。さっきの娘かと錯覚する。

「ああもう、しつこいっ!」

 たたらを踏んだレンが、声を荒らげる。逆手で腰の短剣を抜き、黒のコートを翻して相手に飛び掛かった。躊躇(ちゅうちょ)ないレンの行動力に、ラスティは目を剥いた。

 立ちはだかった相手もまた驚いたようだが、冷静にレンの短剣を躱すと、手に持つ長物を振るった。そこでようやくラスティは、相手が先程の娘ではないことに気が付く。――姿かたちは似ているが、男だった。

 レンは飛び退くと、懐からまた一枚魔法の札を取り出した。青の魔法陣。水柱が迸る。青年は長物――(スタッフ)を地面に突き立てた。緑色の魔法陣。地面から土が隆起し、壁となって水流を防いだ。

「魔術師……」

 ラスティは唸る。レンの魔術にも驚かされたが、青年の技量はおそらくそれを上回る。でなければ、レンの魔術に対応できないだろう。ラスティは魔術師に相対するのは初めてだが、相当厄介な敵であると感じた。

 剣を抜く。もはや戦いなくして切り抜けることは不可能だ。

 土壁を消した青年は、落ち着いた様子でラスティとレンを見ていた。杖が構えられる。

 そうこうしている間に、黒い狼がラスティたちに追いついた。身を低めて呻る狼の後ろに、さらに先程の少年と娘が現れる。

「観念しろよ」

 剣を抜いた少年が、切っ先をこちらに向ける。隣では娘が手に持つ杖を構えていた。青年と同じ色のローブといい、彼女も魔術師に違いない。

 狭い路地で、三人と一頭に囲まれた。うち二人は魔術師。果たして、ラスティたちはこの場から逃げおおせることができるのか。

 ――無理だ。

 ラスティは剣を捨てた。

「ラスティ!?」

「降参だ」

 注目を集める中で、ラスティは立ち上がり両手を上げた。絶句したレンが呆然とこちらを見上げている。

「へえ、物分かりいーじゃん」

 少年がにやりと笑った。剣を腰に収め、二、三歩前に出てラスティに手を伸ばす。

「じゃあ、返してもらおうか」

「……返す?」

 琥珀の瞳を見返しながら、ラスティは眉を顰める。渡せ、ではなくて?

 ラスティが何もしないのが気に入らなかったのか、少年は地団駄のように苛々と石畳を右足で踏み鳴らした。

「本だよ、本! ウチから盗んだだろ?」

 何のことか、と疑問に思う一方で、何処か腑に落ちるところがあった。先程の嫌な予感は当たっていた。彼らはアリシアの剣を追ってきたわけではないのだ。

 ――変だと思った。

 思えば投降する気になったのも、誤解されていると感じていたからなのだろう。ラスティは密かに溜め息を吐く。

 そんなことばかり気に掛かっていたからか、ラスティは肝心なことを忘れていた。

「……そういえば、さっきの本は?」

 レンの質問で、ようやくラスティは、フォンから押し付けられた本を持っていたのが自分だったことを思い出した。そして、先程娘に投げつけたことも。

「嘘でしょっ」

 ラスティの言葉に目を見開いた娘は、ただちに踵を返し、狼と共に大通りに向けて走り出した。

 残る三人は、ラスティに対し呆れた視線を投げつける。さすがにやらかした自覚のあるラスティは、居心地の悪さを感じ、目を伏せた。

「盗んだ物を投げつけるなんて……」

 信じられない、とばかりに青年が首を振る。

「申し訳ないが、おそらくそこからして誤解だ」

「誤解?」

「俺たちは、本を盗んだ泥棒じゃない」

 レンが懸念した通り、ラスティたちは盗品を押し付けられたというわけだ。

「嘘つけ!」

 少年がラスティを指差す。

「本当です。知人に押し付けられたんです」

 レンは言い募るが、少年たちはまだ疑わしそうにしていた。

「その知人ってのは?」

「……たぶんもう、何処かに逃げ出してると思います」

 苦々しく答えるレンに、二人はますます胡乱な目を向ける。

 足音がしたのはそのときだった。ラスティたちのもとに娘が戻ってきた。

「本は?」

「あった。けど……」

 あのくたびれた表紙の本を抱えた娘は、ぎゅっと眉根を寄せ、泣きそうな表情でラスティを睨みつけた。破損でもしていたか、とラスティは内心狼狽(うろた)える。

「……中身がすり替わってた」

 レンも少年たちも、何のことか、と頭に疑問符を浮かべていたが、ラスティだけは思い当たるものがあった。

「表紙と中身が一致してないの! こいつら、手記の表紙を引っ剥がして、他の本と入れ替えやがった!」

 指を差してラスティたちを責め立てる娘と、取り乱した彼女を宥めようとする少年を眺めながら、ラスティは深く溜め息を吐いた。先ほど、本をめくっていたときに抱いた違和感。表紙がくたびれているのに反し、紙は白く真新しく、ページも折れた様子がなかった。中身が入れ替わっていたというのであれば、その理由も納得だ。

 盗まれたという本。入れ替わっていたという中身。ラスティが押し付けられた本は、とんでもない(トラブル)の種だった。

「……あいつら」

 忌々しそうにレンが空を仰いだ。


「俺はグラム。こっちは、リグとリズ」

 ひとまず落ち着いてきた頃。三人を代表して、一番年下と思われる少年は、そう自分たちのことを紹介すると、

「とりあえずさ、話聞かせてくんない?」

 そう言ってラスティたちをルクトールの大通りに連れ戻した。通りに彼らの拠点としている建物があるという。

 そこは、周囲と同じく石造りの建物だった。三階建ての大きな建物。だが、周囲の商店とは異なり、何かの事務所のようであった。入口の両開きの扉の上には、看板。

「トゥール・ダルブル……?」

 看板を読み上げたレンが眉を顰めると、二人の背後を歩いていたリグが言葉を掛けた。

「知らないのか?」

 リグは、反発心を抱いたらしいレンの不貞腐れた顔を灰色の瞳でじっと眺めると、肩を竦めた。

 余談だが、リグとリズは一見して瓜二つだった。長い黒髪、灰色のローブ。髪を結わえているかいないかの違いはあれど、ぱっと見たときの相似性には驚くものがある。双子の兄妹であることは、既にレンが聞き出していた。

 だが、こうして個別でよく見てみると、男女の違いが出ていることがわかった。リグのほうが背が高いし、当然喉仏もある。頬骨も出ているし、顎も四角い。妹と見間違えるのも魔術の一環ではないか。

 などとくだらないことを考えていると、リグはこちらを見透かそうとするように目を細めた。

「……ウチを知らないっていうんなら、本当にお前らが盗んだんじゃないのかもしれないな」

 レンが渋面を作る。疑いが晴れそうなことよりも、無知扱いをされていることのほうが気に掛かるようだ。

「有名なんですか?」

 リグに促され扉を潜ったラスティに問い掛ける。レンはラスティも無知であることを望んだようだが、生憎ラスティは知っていた。

「〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉は、リヴィアデール随一の魔術研究機関だと聞いている」

 魔術大国であるリヴィアデール。そうたる所以(ゆえん)は、二百年ほど前に設立された〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉にあり、というのは、わりと有名な話だった。ラスティも教育の一環として、他国情勢を教わったときにその名前を聞いている。

「魔術研究機関……?」

 レンは周囲を見渡す。ラスティも、自分が正しかったのか疑いそうになった。受付カウンターが見えるエントランス。そこに(たむろ)している人々の(いかめ)しいこと。剣や斧を携え鎧を着込んだ様は、とても魔術師と呼べやしない。ここはさながら傭兵組合(ギルド)だった。研究をやっているようにも見えない。

 だが、リグの顔は涼しげだ。気にも留めていない。

「ここは枝部(しぶ)だからな。本部とは少し様相が違う」

「少しって……」

 戦士と魔術師では、天と地ほどの差があると思うが。

 疑問は解消されることなく、二人は二階へ案内された。通されたのは、簡素な狭い部屋だ。ニスを塗ってあるだけの簡素な木のテーブルと椅子が中央に配置されている。会議室か取調室のどちらかだろう、とラスティは推測した。

 彼らは、ラスティたちを部屋の奥側に座らせた。正面にはリズが座り、レンの横にグラムが、ラスティの横にはリグが立つ。逃がさないようにするための布陣に、自分たちの疑いがまだ完全には晴れていないことを知った。

 ――無理もないか。

 投げつけたとはいえ、本を持っていたのは確かなのだから。

「まずは、こっちの事情から説明しようか」

 一息吐いたリズは、テーブルの上に組んだ手を載せると、ラスティとレンを交互に見やった。

「私たちは、〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉から盗まれた一冊の本を捜していた。その本には魔術が掛けられていてね。その痕跡を辿って、ルクトールまでやってきたんだ」

 そして魔力の気配を手掛かりに盗まれた本を捜していたところ、あの狼がラスティたちを見つけた。狼はただの獣ではなくリズの使い魔で、魔力を感知することができるらしい。

「魔術は、表紙にだけ掛けられていた」

「中身がすり替えられていたんでしたっけ?」

 その通りだ、とリズは溜息を吐く。

 おそらく、だが。本に掛けられた魔術に気付いたフォンとカルは、表紙と中身を分離した。そして別の本を用意して偽装を施し、表紙部分はレンに押し付けた。中身のほうは、そのまま二人が持ち逃げしたのだろう。

「つまり、あんたたちは、泥棒どもに囮にされたってわけだ」

「そうなりますね。ああ、ちくしょう!」

 レンは白金の頭を掻き毟る。赤い目をギラつかせ、歯を食いしばるその様子から、彼の怒りが見て取れた。もし今フォンとカルが目の前にいたのなら、短剣を握りしめ襲いかかっていただろう。

 レンの苛立つ様子を頬杖をついて見ていたリズは、すっと灰色の目を細めると、

「でもさ。それならどうしてあんたたちは逃げ出したわけ?」

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