会敵
日が登り、いくばくかして、戦闘は開始された。
グラムはアリシエウスの灰色の城壁に近寄ると、支給された鉤縄を上方に投げつけた。森に囲まれたアリシエウスは空からの襲撃を想定されていなかったのか、城壁はたいして高くない。鉤縄は簡単に引っ掛かった。
鉤が落ちてこないのを確認して、壁に足を掛けた。縄を手繰り、するすると城壁を登る。シャナイゼに居る頃は鉤縄など使ったことはなかったが、これまでの数日の間にルクトールで城壁を使って練習してきた。〈木の塔〉の枝部の戦士たちと競いながらやったこともあり、コツを掴んで今では手際よく動くことができる。
登りきるまであと少しというところで、城壁から下を覗き込んだ敵と目が合った。
「敵襲ーっ!!」
敵が声を張り上げたのを見て、グラムは動きを早める。壁の縁を掴むと城壁を強く蹴り、逆立ちをするように身を持ち上げた。足が真上に来たところで、今度は手を使って跳ね上がり、身体をもう半回転させて着地する。
敵兵たちは、グラムの曲芸にしばし呆気に取られていたようだが、すぐに我に返ると襲いかかってきた。真っ先に近寄ってきた相手を蹴り飛ばして剣を抜く。その間に機転を利かせた敵兵が、仲間の鉤縄を切り落としていた。周りの兵を叩き伏せながら妨害するも、一人では防ぎきれず、大半の縄が切られていた。
――申し訳ない。
と心の中で呟きつつも、グラムはあまり意には介さない。自分でどうにかするだろう。そんなことよりも下に下りる方法を、とグラムは周囲を見渡した。近くに城壁内に入り込むための階段は見当たらない。かといって、敵を搔い潜りながら探すのも面倒くさい。ので、手っ取り早い方法を取ることを決めた。街側の胸壁に寄り、目線だけで下を見下ろす。少し遠いが、真下のちょっとした通りの向こうに、城壁よりは少し背の低い建物があった。木で造られた箱のような建物の屋根は平たく、都合が良い。
「……んしょっ」
胸壁の上に飛び乗り、さらに思い切り飛び上がる。立ち幅跳びの要領で、建物に飛び移る――が、やはり距離が足りない。建物の屋上の手前、手が角を掴むこともなく、グラムの身体は落ちていった。
「わー」
空中で少し悩み、大人しくそのまま地面に着地することを選んだ。幸い真下は石畳ではなく、畑か何かの土の上。落ちてもそこまで痛くないはず。
……とはいっても、実際は脚への衝撃は凄かった。着地してすぐに前転し負担を逃したものの、びりびりと痺れてしまい、天を仰ぎたくなる気分だった。土の上に仰向けで転がった今、仰ぐまでもなく青空が正面にあるけれども。
寝返りを打つように転がり、地面に手をついて立ち上がろうとする。髪の毛から土が落ちるのが見える。さっそく土まみれかと思うと悲しくなってきた。
「お前馬鹿?」
グラムの頭上ににべもない台詞を吐き捨てるのは、確かめるまでもない、リズだ。彼女はハティに乗って悠々と城壁を越えてきたようだ。
「へーんだ! 見ろ、おれ様の身体能力っ」
「怪我しなかったのは、褒めてやらんでもない」
意外にもそれ以上馬鹿にされることはなかったが、自分で後悔はした。さほど高くないとはいえ、城壁をよじ登り越えられるだけの異界の狼の健脚が羨ましい。グラムも乗せて欲しかった。
溜め息を吐く横を、矢が掠めていった。
「やっべ」
リズ(が乗ったハティ)と揃ってその場から飛びのき、城壁から降り注ぐ二の矢、三の矢を剣で払い落とす。隙を窺いながら辺りを見回す。城壁に沿って湾曲した通り。道沿いに立ち並ぶ建物は少々見栄えの悪く高さもないものばかりなので、狙い撃ちしやすいことだろう。グラムが飛び移ろうとした背後の建物だけが、背が高い。
城壁の上を見据えつつ、柔らかい地面の上をゆっくりと後退する。相変わらず降り注ぐ矢をリズと一緒に払い飛ばし、良いところで二人して建物の影に飛び込んだ。
木の壁に矢が突き刺さる軽い音が、耳を掠める。二度三度と続いたが、やがて止んだ。諦めたのではなく、グラムたちが物陰から出てくるのを待っているに違いない。
「さーて、どうする?」
リズと身を寄せ合って、相談する。黒い狼が熱い息を吐きながら、首を振って周囲を警戒してくれている。物陰からの奇襲は、彼が何とかしてくれそうだ。
「目標は、アリシエウスの制圧でしょ?」
「つまり、このまま中心部に乗り込めばいいんだよな?」
とはいえ、本当はここで自軍を手引きするのを求められるのだろうが――
「壁の外の人たちには、このまま城壁内の人たちをお相手してもらいましょうか」
「その間におれたちは好き勝手、ってことね」
正直、戦争など知ったことではないし。
意見が一致したところで、グラムたちは柔らかい地面を踏みしめ、街の中心へと移動を始めた。城壁の上から矢を射掛けられるも、離れていくうちに届かなくなる。
はじめは家と家の間を縫うように移動していたが、城壁からの攻撃が届くことはないと判断したところで、路地を走ることにした。道は網目のように入り組んでいるようにも感じられたが、日当たりや周囲の景色から判断して、なるべく大きな通りに出られるような道を選ぶ。主要道路に出られれば、こちらのもの。そういう道が街の中心部に繋がっているのだから。
住宅の迫る路地を走り抜ける間、時折物陰からの襲撃は受けるものの、基本的に周囲は静まり返っていて、それがなんとも心苦しかった。アリシエウスの住人たちは、この襲撃に備えて予め何処かに避難しているに違いないのだろうが。大義だろうとなんだろうと、日常を壊している当事者となっている事実は、グラムでも堪えるものがあった。罪なき民間人を戦闘のど真ん中に巻き込むことはないのは、救いだろうか。
頼りなかった周囲の建物が、だいぶしっかりしたものに変わってきた頃、グラムたちはとうとう広い通りに出た。見通しの良さにほっとしたのも束の間、すぐに路地に取って返す。建物の壁に身を寄せ、そっと様子を窺えば――
「……合成獣だ」
ルクトールの上空にいた、あの〝鳥〟たちが通りを塞ぐように居た。
「……街ん中なのに、おかまいなしかよ」
人型かをさておいても魔物に近しい生き物が、こうも自分の生活拠点に憚る様を見て、住民たちはどう思うことか。魔族だってそれを分かっているから、森の中の隠れ家に引っ込んでいるというのに。
「そういう連中ってことだ」
表情を失くしたリズが、一言ハティを呼ぶ。リズの背後で待機していた黒狼が飛び出していき、一目散に合成獣へと飛びかかった。……躊躇なく異界の獣を放つ彼女のことを考えると、グラムもあまり他人のことを言えないかもしれない。
飛び込んできた黒狼に〝鳥〟三体が一丸となって襲いかかる。その横をまっとうな人間らしい兵士が八人ほど走り抜けた。グラムやリズの存在に気が付いた様子。グラムも直ちに建物の陰から出る。剣を受け止め、相手の足を払い、もしくは顎に掌底を食らわせて、地面に叩き伏せるのを繰り返す。遅れてきたリズは強風で敵を吹き飛ばし、足元を凍り付かせて地面に縫い付ける。そうして動けなくなった敵を跨ぎ越え、合成獣に二人して斬りかかろうとすると。
「リズっ!」
真横から飛び込んだ新手に虚を突かれ、蹈鞴を踏んだ。振り返ると、リズが分離した両剣のうちの一本で、敵の刺突剣を防いでいる。
その新手の正体に、グラムは思わず声を上げた。
「ユディっ!?」
肩までの茶色の髪。袖のない白い服と革のズボン。騎士というには身軽な装備の女は、見間違えようもなくユーディアだった。
彼女はクレールの人間で、お互いに敵となる可能性は認識していた。それでも驚くのは――
「ルタ!」
――ユーディアが、合成獣を従えている様子を見せているからだ。
ハティに張り付いていた〝鳥〟の一体が、ユーディアの声に顔を上げる。黒い髪の、まだ小さな少女の目には、他とは違って明らかに意思を感じさせる輝きがあった。
「ユーから離れろっ!」
茶斑の翼で滑空した合成獣の少女は、猛禽を思わせる動きでリズに襲いかかる。ユーディアと剣を打ち合っていたリズは、肩から地面に転がった。すぐさま体勢を整え、両剣の柄尻を突き合わせて一本にして、元の黒い杖に戻す。掴めるところが広い杖のほうが、敵の攻撃をいなしやすいと判断したか。それとも――
リズに代わって、今度はグラムがユーディアに相対する。
「どういうことか訊いていい?」
刺突剣を構えるユーディアの表情は、硬かった。
「見てのとおりです」
ユーディアは一歩足を踏み出し、刺突を繰り出す。グラムは片足を後ろ引いて躱した。
「クレールは魔術師と手を組んで、禁術をこの戦いに持ち込んだ。それだけのこと!」
腕を大きく振るった刺突剣の軌跡に、グラムは眉を顰めた。見切りやすく、少しの動作で躱せる粗い攻撃。彼女はこんなに弱かったのか。
何度か斬り結んだあと、ユーディアは唇を噛み、リズと戦う合成獣を振り返った。
「ルタ、離れて!」
そうして自分もグラムに背を向ける。呆気にとられたグラムの前で、合成獣の少女もまた、ユーディアと一緒に撤退する様子を見せた。
「……え、なに?」
「追うぞ!」
不可解さに首を傾げるグラムを、リズが怒鳴りつける。先に走り出した彼女を、訳が分からないまま追いかけた。
主要道路を真っ直ぐに走り続けるユーディアは、街の中心へと向かっているようだった。白い城がだんだん大きくなっていく。こんな、敵に通られては困るような道が、封鎖もされず、他の誰かに邪魔されることもなく進めていることに、ますます疑問を抱く。
「なあ、リズ――」
いつの間にか追い越していたリズに、グラムは疑問を投げかける。
「これ、罠だったりする?」
リズはまじまじとグラムを見た後、鼻を鳴らした。その反応で、グラムはようやく自分の考えに確信が持てた。
ユーディアの誘導はあまりに都合良かったが、さすがにいつまでもというわけにはいかなかった。辺りには屋敷と言える建物が増えていき、城までもう少しといったところで開けた場所に出たグラムたちは、とうとう敵に遭遇した。黒い服に、鉄色に光る鎧を身に着けた騎士の一団。青い光を弾く黒い髪。広場への侵入を拒むように武器を構えるアリシエウスの騎士の中に、グラムはまたしても知り合いの顔を見た。
「……ラスティ」




