小間使い
「首尾よく、といったところかな」
クラウスの言葉は無視して、ユーディアは黙って執務室を出た。窓からの外光だけが入り込む薄暗い廊下に、ラスティの姿はすでになかった。追うべきかしばし悩んで、止めた。代わりに地下へと向かう。北西の階段から降りる、合成獣のいるあの地下だ。
昼夜関わらず明かりを必要とするそこは、相変わらずほとんど暗闇の中だった。壁に掛けられた燭台に小さな蝋燭の火が一つ。それが入口にあって、その向こうは闇に沈んでいる。灯のついている燭台の下には、手持ち用の燭台が置いてあった。拾い上げ、壁のものから火をもらい、ユーディアは奥に行く。
淀んだ空気。暗闇の中から聴こえる、生き物の動く音。この地下牢には、相変わらず合成獣たちがいる。ラスティたちの侵入のあとも、何一つ変わることはない。減ることもなかったが、増えることもなかったのは幸いだろうか。
凹凸のある石床を歩き、鉄格子の前を三つ通り過ぎる。四つ目の牢の前で、ユーディアは立ち止まった。手にした蝋燭の灯りに中が照らされる。藁の上に襤褸布の敷かれた寝床。その上に蹲る小さな人影。布を被ったような服だけを来た少女の背には、茶斑の翼があった。
声を掛けると、膝を抱えていた少女は顔を上げる。長いまま放置された黒髪の間から、白い顔が覗いた。
「ユー」
少女は立ち上がり、裸足で鉄格子に駆け寄った。成長期を迎える直前の身体が、ユーディアの腕に飛び込む勢いで迫る。実際は、鉄格子にしがみついただけだけれども。
燭台を床に置いたユーディアは鉄格子の中に両腕を突っ込み、自身の胸に抱くように、少女の頭をそっと撫でてやった。
「ルタ、元気にしてる?」
乱れた黒髪に手櫛を入れると、手にベタつきを感じた。衛生的に管理されていない彼女の境遇に顔を顰めそうになるのを、必死でとどめて微笑みを繕う。
「んー、まあまあ。この中あまり動けないから、退屈で仕方がないんだけど……」
牢の中にいる、合成獣。言うまでもなく、彼女は被験体だ。経緯は知らない。ユーディアが彼女に関して知っているのは、ラスティが侵入してきた際にはもう居たらしいということくらいだ。
「ねえ、わたし、いつ外に出られる?」
幸か不幸か、彼女は以前の記憶をすっかり失くしているようだった。自分の姿に疑問を持つこともなく、牢の中での生活に不自由さは覚えても絶望することもなく。無垢・無邪気にいつか外に出られる日を夢見ている。
それがまた、ユーディアには心苦しい。
「……もう少し、待っててね。今出ると、大変なことになるから」
ちぇ、と口を尖らせながらも、従う。全てを忘れた彼女は素直だ。唯一人間として対等に接してくれるユーディアを『ユー』と呼び、懐いている。ユーディアもまた、この地下の住民で唯一意思疎通できる彼女に『ルタ』と名を与え、こうして機をみては構っていた。
「外に出たら、ユーと遊べる?」
ルタの質問に、ユーディアは息を呑む。口内が苦くなるのに耐えつつ、誤魔化しの笑みを浮かべた。
「そうね。そうだといいね」
実際は、叶わないだろう。ユーディアの心に暗雲がかかる。彼女が外に出るときは、きっと兵器として動くときだ。彼女は他の合成獣や魔物を操るように調整されているそうだから。レンたちが遭遇したという、手記泥棒の一人と同じだ。彼女は、戦場となったアリシエウスを混乱させる指令塔の一つとなる。
複雑な胸中を押し隠しながら、さらにしばらくルタと他愛のない会話を続け、適当なところで別れを告げる。ルタはすっかりユーディアに懐いた様子を見せ、またね、と手を振っていた。少し寂しそうな様子には、目を逸らす。ユーディアには、何もしてあげられない。
それでもこうして顔を出すのは、人の意識を持つ合成獣との繋がりを作りたかったからだ。いざというときに、意思の疎通を図るため。そのためにユーディアは、連日この地下牢に通い詰めていた。
胸が苦しくなるのを必死で抑えつけながら、暗い地下を歩く。階段も見えてくる頃、ユーディアは正面に別の灯りを見つけた。壁の燭台ではなく、誰かが持っている蝋燭の灯りだ。
「またお前か」
暗がりの中でお互いの顔がうっすらと見えるようになると、向かいの人物がユーディアに声を掛けた。といっても挨拶などない、不躾なものだ。
「こんにちは、フリアさん」
一方で、ユーディアはきちんと礼儀に沿った言葉を交わした。友好的とまではいかなくても、敵対の意思はないことを、彼――フリアに示すために。
クラウスが〈手記〉とともに拾った魔術師。それがフリアだった。この地下で合成獣を造り出したのは彼であり、クラウスの目的にも加担している。〝同志〟というよりは、〝利害の一致〟とのことらしいが。
「見回りですか?」
挨拶だけでは味気なく、ユーディアは世間話を試みる。フリアは、若干迷惑そうに顔を顰めた。
「いちおう世話はしないとな。新しく造れないんで、退屈極まりないが」
詳しくは知らないが、今フリアは合成獣の研究ができない状態であるらしい。ラスティたちの侵入が原因なのか、それとも単に管理の問題なのか。どちらにしても、哀れな生き物の悲鳴を聞かずに済んでいるのは、ユーディアには有難い。
「今は、禁術の研究をされているのでは? クラウスから要望があったと聞いています」
ユーディアがクラウスに従ってからというもの、彼は時折自らのしていることを少しだが教えてくれるようになった。その一つが、フリアへの指示。〈木の塔〉から盗んだ〈手記〉に書かれている何かの魔術を使えるようにすること。
その〝何か〟までは、ユーディアは知らされていない。
フリアは口を噤み、じっとユーディアのことを睨みつけた。ユーディアは、とぼけたふりをして、少し首を傾けてみせる。
「……お前は、〈木の塔〉の奴らと行動していたと聞いたが」
「はい。そうです」
クラウスには伝えているのだ。今さら隠せることではない。
「あいつらに毒されてるんじゃなかったか?」
フリアがグラムたちと因縁があることは、目の前の当人から聞いていた。フリアがシャナイゼを追われ、サリスバーグを経由してクレールまで来ることになったのは、彼曰く『双子たちの所為』であるらしい。彼は、この二年あまり思うように研究できる状態になかったようで、双子たちへの恨みが相当溜まっているそうだ。だから、彼らと関わりのあったユーディアを警戒している。一度クラウスに盾突いたので、なおさらだ。
そんなことはすべて承知。だから、ユーディアも予め回答は用意していた。
「思い出したんです。私が神殿騎士になった理由を」
フリアの表情が揺らいだ……ような気がする。蝋燭の照らす範囲の外にある表情など、精確に窺えないが。ユーディアの言葉に関心を持ったことは、何となく察せられた。
「〝理想の世界を作るための小間使いになる〟って、そう決めて、私はアタラキア神殿の門戸を叩きました」
まだ幼い少女だったユーディアにとって、この世界は〝神様が『戦争をやめろ』と言った世界〟だった。神は世界平和を望み、そのために力を尽くし、人々を教え導いている。まだ未完成だから人同士の争いは起こるし、あらゆる悲劇が点在しているけれども、世界が絶望に覆われているようには見えなかったし、何より他でもない神様自身が一度戦争を止めているのだから、いつかはそんな世界が作られるのだ、と信じていた。
創造神が作ってくれる、と信じていた。
「ディベルも同じことを言ってたな」
ユーディアは微笑を浮かべることで応じた。そうだろう。ユーディアは、神殿騎士になる前から、クラウスとともに理想を語り合っていたのだから。
「それで、『初心に返った』と言いたいわけだ」
フリアは呆れたように肩を竦める。クラウスに協力している彼だが、予てからクラウスの精神に対しては冷ややかな反応を見せていた。
「結構なことだが、愚かだな。神ばかりが正しいとも限らんだろう。理想は己の手で掴むものだ」
クラウスと直接手を組んでいるのはフリアだが、彼には他にも仲間がいるらしい。〈継承者〉と名乗って組織を作っているとか。彼のそれは、〈継承者〉の理念でもある、とユーディアは知っている。
「……そうですね。私もそう思います」
彼の行いはともかく、その一点だけは共感できるものがある。それは何とも皮肉なことだ、とユーディアは低く笑った。




