ツケ
執務室を出て、溜め息を吐いた。慣れないことをした。確かに自分は、交渉には向いていない。賭け事は得意だが、謀は苦手だった。ラスティにとって、前者は機を読むもの。後者は機を作るもの。自分の都合の良いように状況を動かすのは、ラスティには難しい。
自分の交渉のお粗末さを振り返り頭が沸騰しそうになったが、今回は〝機を読んだ〟のだと言い聞かせ、冷静さを取り戻す。
階段を下り、一階に辿り着くと、正面の窓から中庭が見えた。正方形の中庭。芝を囲む躑躅は、花もなく今はただの植え込みでしかない。それでも緑濃く、暑気が見えそうな夏景色の真ん中で、噴水が涼し気だった。
ふらりと庭に出て、噴水の前まで行く。こぢんまりとしているからか、誰もおらず静かだった。ラスティを太陽熱から庇うように微風が抜ける。時が止まったように穏やかで、ここだけ世界から隔離されているかのようだ。
少しばかり気の昂ぶりが収まった。
「何を考えてるの」
噴き上がった水が水面を叩く音に耳を澄ませていると、背後から声が掛かった。冷静さを装いながらも怒気の籠もった口調は、振り返らずとも分かる、フラウのものだ。
とはいえ、驚かずにはいられない。ユーディア以外にはこのことは言っておらず、そもそもユルグナーの家を利用していないフラウと顔を合わせるのも久しぶりだった。その彼女が何故ラスティの魂胆を知っているのか。
「私が、今までその剣を使おうとした者をどうしてきたか、知っているわよね?」
ラスティが出てきたのと同じ扉から入ってきたのだろう。躑躅の囲いを抜けて、芝に足を踏み入れたフラウからは、珍しく金の髪が逆立ちそうなほどの荒々しい気が漂っていた。いつもの気怠げな様子はない。気が立っているようだった。
「〝神剣の監視者〟、か」
一つ深呼吸し、フラウに向き直った。覚悟を持って、ここに来たのだ。責められるのも覚悟の上。今さら気圧されたりはしない。
「〝ただこの剣が使われないように見守るだけ。誰かが俺から剣を奪おうとするならば阻止するが、俺が剣を使おうとするなら殺す〟……だったか」
眦を吊り上げたフラウの眉が、ぴくりと動く。一方ラスティのほうは、苦笑が浮かんだ。
「承知している。そのうえで俺は、ディルとハイアンの遺志に背く。奴らが怒ろうとなじろうと、そしてあんたに殺されようとも、俺はアリシエウスを守る」
そのためなら、神剣をも抜く覚悟だ。
ラスティの決意に驚きを見せていたフラウは、やがて痛みを堪えるように目を固く瞑り、弱々しく首を横に振った。
「……駄目よ。そんなの許さない」
「許されるつもりもない。そもそも――」
一瞬、躊躇した。良くないと分かっていて、それでもずっと胸の奥底に隠していた怒りのために、ラスティは口を開いた。
「こうなったのは、あんたの所為でもある。あんたに許してもらう謂れはない」
アリシエウスが在り続けていたのは、彼女が神剣をこの国に置いていったからだ。その言を撤回するつもりはない。だが一方で、もしアリシアがずっと神剣を持っていたのなら、剣のために人が争うことはなかっただろう。エリウスのくだらない思いつきに振り回される人間は、ずっと少なかったはずだ。
再びまみえたフラウの青い瞳には、痛みが浮かんでいた。
「……分かってるわ。ただ逃げていただけだということは。でも――」
――他に、どうすれば良かったの?
弱々しい言葉に、ラスティは何も返せなかった。
噴水が水面を叩きつける音だけが響く。役目を果たさなかった神への怒りが、鎮火していくのを感じた。理不尽への責任を問うたところで、どうしようもないことは知っている。
ただ、それでもこの悔しさを伝えたかった。
フラウは、承知しているのだろうか。一つ大きく息を吐いた。
「ごめんなさい。そんなこと、貴方の知ったことではないわね。結局私は自分の我儘と決意の折り合いが付けられず、貴方にツケを押し付けてしまっているのだから」
「いや……」
ラスティとて現在神剣を担っているのだ。彼女の恐怖の一端くらいは理解できる。ラスティ自身、何度この剣を放り投げたい気持ちに駆られたことか。
「でも、やっぱり剣が怖いの。その絶望を手にしていられるほど、私は強くなかった」
握った神剣に視線を落とす。飾り気のない剣。朱の柄は目を引くが、神秘性は特に感じられない。世界を破壊するほどの力を秘めているとは、今でも正直信じ難い。だが、彼女はそれを恐れている。千年を生きた神が。世界を破壊した張本人が。
「貴方に同じ想いを味わって欲しくないの」
『こんなはずではなかった』とかつて自分はそう思った、と言っていた。彼女は自分の浅慮を自覚し、その過ちを直視している、とラスティは思う。破壊神の役目から逃げたのも、神剣が振るわれないようにしていたのも、誰かを自分と同じにしないためだ、と解っている。
だが。
「気持ちは受け取る。だが、もう決めた」
ハイアンやディレイスを裏切ることになろうと、大罪を背負おうと、ラスティはアリシエウスを守りたいのだ。
フラウが剣を抜いた。ラスティに刃を向ける。応じて、ラスティも騎士の剣を抜いた。そのまま対峙し、どちらも動かない。
しばらくして、フラウは剣を下ろした。踵を返す。
「その時になったら、覚悟して」
今日は見逃してくれるらしい。フラウの優しさに、ラスティは苦笑した。
「そうならないよう、祈っている」
神剣を抜かずに済むなら、それが一番なのだから。
千年生きてきた。いろんな土地に行った。物事に盛衰があるのは知っていた。だから、いつかこの国もその道を辿ることはわかっていた。それでも、いざ目の当たりにすると悲しい。
眼下に広がるアリシエウスの街並み。森の中でひっそりと穏やかに暮らし、のびのびともしていた国だった。だが、今は陰が落ちている。日が傾いてきたからではない。王を亡くし、他国に支配され、そしてこれから戦場となる。その気配をみな感じ取っている。
胸壁にもたれたアリシアの口からは、何度も溜め息が溢れていた。ラスティに忠告をし、城を出て、街の端まで行って。行き着いたのが、城壁の上。一部出入りが自由となっていて、展望施設を兼ねているのは、ずいぶん前から知っていた。アリシアは、高みから円形の街を見下ろすのが好きだったから。殊にこのアリシエウスの景色は、アリシアの心を動かす数少ないものだった。
片手を前方に伸ばす。掌を天に向け、揃えた指先を街並に向ける。誰かの家が掌に乗った。大事な部下とその子どもたちが千年掛けて造り上げた景色は、これほど小さく、脆い。まるで砂糖菓子のように。
「あの子は、この街を守ろうとしている」
アリシエウスの王族たちが固く守ってきた誓約を破って、神剣を使ってまでもこの国を守ろうとしている。
「私は、それをただ観ているだけ……?」
ラスティの言葉が胸に突き刺さっていた。謀ったのはエリウスだが、それもアリシアが役目を放棄したことに起因する。『お前の所為だ』と言われ、否定できる要素など何一つない。
それでも、どうしても神剣を持っているのは嫌だった。大事な物までも壊したくせに、自分を壊してはくれなかったそれが、あまりに疎ましく忌まわしく。だから、引き受けてくれた初代王に甘えてしまった。
正直なところ、神剣などどうでも良い。アリシアのしたことと同じことが起きないと言うのであれば、誰にでもくれてやる。それよりもアリシエウスのほうが大事だ。
だから、アリシアはラスティに強く出ることができなかった。本音は同じだったから。
「いつまでも、中途半端は直らないわね……」
だから、千年逃げ続けてきたツケをラスティに払わせることになってしまったのだろう。神様が聞いて呆れる。アリシアを〝守護神〟とまで呼んでくれた子に。
またしても溜め息が漏れる。頭を抱えても、振ってみても、気持ちも考えも整理が付かなかった。逃げ場なく留まる気持ちが、アリシアの胸の奥で重さを増していく。
そんな中で、突如名を呼ばれ、アリシアは顔を上げた。
「やはりここでしたか」
馴染みのある声。オルフェがいつの間にか立っていた。シャナイゼで別れて以来だが、アリシエウスにいることに驚く。
「どうしてここに?」
「深くはないですが、なにぶん付き合ってきた年月は長いですから。貴女が唯一執着しているものくらいは、分かっています」
アリシアは目を瞬かせた。そういうことではないのだが。
だが、妙に表情を失くした彼の顔には、察するものがあった。
「……私たちは、やはり味方同士だったということなのでしょう。エリウスやレティアよりも、ずっと信用できるのは貴女だった」
突然そんなことを言われ、戸惑う。
千年前。世界を巻き込む大戦の中で、アリシアとオルフェは、同じ陣営にいた。有り体に言うなら〝味方〟だったのだが、アリシアは神になる前からオルフェのことを嫌っていて、オルフェもアリシアに接近してくるようなことはなかった。奇しくも縁はあったが、その程度の細い繋がりを〝拠り所〟とまで言うということは。
「嬉しいことを言ってくれるわね」
それは、同情から出た言葉かもしれなかった。
「心にもないことを」
オルフェは息を吐く。呆れて、ではなく、笑ったようだ。――それだけ心が動くようになったのだ、この男は。
「そうでもない。たぶん私もそうだったから」
それに安堵に近い反応を覚えるということは。アリシアもまた、同じだったということなのだろう。仲間意識というよりは、同郷意識に近いものだとは思うけれど。
でも、その程度のものでもあるからこそ、
「エリウスに命じられてここにいるのね。何をする気なの?」
こうしてオルフェからであれば、情報を聞き出すことができる。オルフェのほうもまた、話してくれる。
そして、この街が蹂躙される未来を聞き、アリシアは静かに拳を震わせた。
「……さすがにもう、黙ってはいられないわ」
破壊神は、ようやく腰を上げた。




