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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第四章 木漏れ陽の街
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賭け

 ほどなく出された(アイラグ)は、白濁し、乳臭い飲み物だった。届けてくれた給仕によると、馬の乳を発酵させたものだという。ラスティにしてみれば、乳飲料と変わりなかった。酒精をあまり感じず、乳の甘さと独特の酸味が口の中に広がる。

 食事を待つ間は特に会話をすることなく。進まない酒を片手に周囲の会話に耳をそばだてていた。耳を傾けていると、沙漠を越えてきたリヴィアデールの者だけでなく、サリスバーグから北上してきた者も多いようだ。どちらも商人が多いとみえる。どうやら魔術師たちが作る道具が目当てであるらしい。一方、売っているのは野菜や果物。シャナイゼでは青いものは少ないようだ。

 出された食事は、確かに彩りに欠けていた。

 ステーキを前に、レンが顔を顰める。

「……獣臭い」

 ユーディアも無言だが顔を顰めている。ラスティはさほど気にならない。むしろうまく臭みが消されているほうだと思ったのだが、西と南の人間には、こういう肉は馴染みがないのだろうか。

 二人は匂いを我慢している所為か、食事中も喋らなかった。ラスティは手早く食べ終えて、酒の残ったカップを弄ぶ。

 ようやく、レンがフォークを置いた。

「……さて」

 三人はテーブルの隅に皿を避け、顔を寄せ合う。

「何処から攻めます?」

 情報収集の標的(ターゲット)の話だ。

 ラスティは視線であるテーブルを示した。男たちが集まり騒いでいる。大部分が空いているテーブルの上で、何かを転がしている。おそらく(さい)。賭博をしているのだ。

 店の中で一番人の集まっているテーブルだった。入り込めれば、いろいろ聞き出すことができるかもしれない。

「うーん……でもなぁ」

 レンが難色を示したのは、自分がまだ子どもだからだ。それを理由に追い返されるのだ、と肩を落とす。

 そのあたりは、想定済みだ。

「賭けは俺がやろう」

 カップを片手に席を立ったラスティを、レンとユーディアが目を丸くして見上げる。

「お前はそれとなく、周りから話を聞き出せ」

 はあ、と気のない返事をするレンとぼーっとしているユーディアを背にし、ラスティは賭博をしているテーブルに近寄った。周囲に大きな荷物が積まれているあたり、彼らは商人か。腰に短剣を挿している者もいるので、護衛も混じっているらしい。彼らは職の垣根を越えて機嫌良さそうに賽を振り、赤い顔で一喜一憂の大騒ぎをしている。

「俺も混ぜてくれ」

 声をかけると、男たちは新参者を物珍しそうに見上げた。ラスティを上から下に見回し、呆然とする。

「なんだい、(あん)ちゃん。旅行者か?」

「そんなところだ」

「こういうの、できんのかい」

 男の一人が指で賽を摘んで見せる。ラスティが頷くと、酔った男たちは気前よく席を作ってくれた。ラスティは輪の中に入り込む。賭けに参加しているのは四人で、どうやら他は見物人のようだ。中年の商人が二人。それから三十代くらいの剣を差した男が一人と、二十代半ばの軽装の男が一人。

「ちょっと()()()!」

 水を差すがごとく割り込んでくるのは、レンだ。椅子に座ったラスティの肩を掴み、責めと不安が混じった表情をしてみせる。

「また賭けだなんて……! 父さんが居ないからって!」

 そういう設定か。内心で溜め息を吐いた。咄嗟に思いつくレンの場数に驚くものがあるし、呆れるものもある。

「良いだろう、たまには」

 茶番を繰り広げないといけないことにうんざりしつつもしぶしぶ応じると、兄弟か、と商人の一人が声を掛けた。

「はい、そうです」

「似てないな」

「腹違いなんですよ」

 そんな嘘が通るのか、とラスティは疑ったが、男たちはすんなりと信じたので、天を仰ぐことになった。酒でだいぶ判断力が鈍っているようだ。

 必死で愚行を止めようとする弟を無視するという体で、ラスティは賭け金をテーブルに置いた。財布の中は軽く、すぐに困るほどではなかったが、少し心許なかった。これからも逃亡生活が続くのであれば、ついでに稼ぐのも良いのかもしれない。

 賽を三つ渡され、それを振る。出目の数字の大きさを競うだけの単純なゲームだ。一位から三位で賭け金を分け合っているとのこと。もちろん順位で配当に差が出る。

 様子見で、酒代にもならないほどの少額でゲームを遊ぶ。勝ったり、負けたり。所持金は上下していたが、全体としてみると少しずつ増えていった。悪くない展開だ。

「おじさんたちは、何処から来たんですか?」

 次の賭ける額を考えていると、レンが卓の男たちに話しかけた。札束を投じていた男たちは、だいぶ機嫌が良いようで、快くレンに構ってくれていた。

「俺とこいつと、あとそっちはサリスバーグ。そこの兄ちゃんは……」

「俺も南かな」

 残った二十代の男が、機嫌良さそうに賽を転がしながら答える。ラスティは思わずその男に見入った。軽薄そうなその男は黒眼黒髪なのだが、良く見ると僅かに赤色が混じっている。ラスティたちアリシエウスの人間と同じように。だが、アリシエウスは群青が混ざる。

「坊っちゃんたちは?」

「僕たちは、西の方から」

「へぇ、西ね。なんか戦争がはじまったって聞いたけど。大丈夫だったの?」

「今のところは。でも、父が警戒してて」

 そりゃあなぁ、と男たちは神妙に頷きながら賽を振る。ラスティは話に耳を傾けつつ、賽の出目を注視していた。

「それで、父さんに頼まれて、魔術書を借りにきて」

 いつの間にか、ラスティとレンの〝父〟は魔術師である、という設定になったらしい。

「それで沙漠越えかい。ここの魔術師を相手にするのは大変だろう?」

「ホントですよ。なんか難しいことをブツブツ言って。でも、肝心なことは教えてくれないし」

 魔術書は貸してもらえなかった、とレンが嘆いてみせると、男たちは大いに同情してくれた。

「門前で追い払われたもんですよ。〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉の魔術師って、意地悪なんですね……って兄さん、ちょっと賭け金増えてない?」

 レンはきちんと盤面を見ていたらしい。ラスティが額を増やしていったことに気付いたようだ。不安を口にするが、ラスティはそれを無視する。

 テーブルの男たちは、ラスティが大胆になってきたことを歓迎しているようだった。ラスティを囃し立てる。

「いやぁ、でも実際のところ、人に寄るぜ? 魔道具作りの連中は、結構欲しいもの作ってくれるし」

「そうなんですか? 僕の会った人は、ずっとむっつりしてる人だったり、煙に巻いたりする人だったり、嫌な感じの人たちでしたよ」

 ラスティは、ダガーのことを考えた。あの見張りは、宿に着いたときからずっと姿を見せていないが、きっと話を聞いているのだろう。レンの評価を〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉の者たちがどう思うかを心配しながら、賽を振った。結果は、負けだ。

「まあ、物はくれても、肝心の術のほうはなかなか教えちゃくれねぇからな。こっちも技術や職人を持ち帰れねぇから、商売が大変なんだよ。わざわざこっちまでやってこなきゃいけねぇ」

 これから大変になるんだろうなぁ、とサリスバーグの商人たちは苦い顔を見せ合った。

「大変?」

「おや、知らないのかい? リヴィアデールが軍事体制を整えるらしくて、〈木の塔〉の連中も駆り出されるって話になっているのよ」

 つまり魔術師たちが徴兵されるということらしい。

「アリシエウスも陥落したって噂だしなぁ」

 またも賽を振ろうとしたラスティの手から力が抜けた。ぼろぼろと賽子(さいころ)が掌から落ちていき、テーブルの上で跳ねる。無様な音に、テーブルの男たちが静まり返った。

「……ラスティ?」

 レンがこちらの様子を伺っているのが見えた。ラスティはふらつきそうになる頭を片手で押さえる。目元を覆い、ゆっくりと息を吐くことで落ち着きを取り戻そうとするが、血が下がっていく感覚に、身体は冷えていく。ラスティは奥歯を噛み締めた。

「大丈夫かい? 兄ちゃん」

「……少し、飲みすぎたかな」

 乳飲料と変わりないような酒でラスティが酔うはずもなかったが、白くなった頭でなんとか誤魔化しの言葉を絞り出した。賭博師たちは納得をしてくれた。

 レンが渡してくれた水を呷ると、気を取り直してラスティは賽を振った。また負けだ。

「クレールが勝ったんですか?」

「風の噂では、な」

「あんな小さい国が、帝国に勝てるはずもねぇ。軍事力がケタ違いだ」

 それは承知していたことだった。ラスティも、ラスティに命を出した王たちも。だが、こうして事実を突きつけられると苦しくなる。

 順番が一巡して、ラスティは再び賽を振る。今回も負けだ。

「……兄さん、もうやめよう。具合悪そうだし、さっきから負けてばっかりだ」

「……いや」

 賭けのことに意識が移ったことで、ラスティの気分が少しだけ上向いた。確かに負けてばっかりだが――ラスティは口元に指を当て、鈍い頭を必死で回した。もう少し話を聞き出すために、居るべきか。それに、こちらの所持金が減っているのも気になる。今やめれば、それほどの痛手にはならないけれども。

 決めあぐねているのは、真実を知ることへの恐怖心からだった。だが、知らないままでいるわけにもいかない。

「あの」

 葛藤しているラスティの耳に、涼やかな声が入り込む。

「大丈夫ですか? 何か、ありましたか?」

 向こうのテーブルで一人座っていたユーディアが、遠慮がちにこちらにやってきていた。ラスティたちの雰囲気が変化したのを察したのだろうか。しかし、何もこのタイミングで来ずとも良いだろうに。心配そうにこちらを窺う様子に、理不尽だと知りつつもラスティの頭に血が昇る。

「なんでもない――」

 ――放っておいてくれ。

 余計な一言は、なんとか理性が働いて喉の奥に押し留めることができた。

 むっつりと酒を流し込むラスティを、商人たちがニヤついた顔で見ていた。

「なんだい兄ちゃん、女連れかい?」

 小指を立てて見せる男に、ラスティはユーディア相手とはまた別の苛立ちを覚えた。頬が引き攣る。レンが慌て、ユーディアはきょとんと目を瞬かせている。

 ――分かっていないのか、こいつ。

「……そんなんじゃない」

 ラスティは邪推を否定したが、男たちはまた愉快そうにニヤついていた。

「そんな邪険にするなよ、可哀想じゃねぇか」

 かか、と笑う商人に、嫌な予感がした。

「顔つき合わせてるのが野郎ばかりだからよぉ、華がなかったんだよ。嬢ちゃんもさぁ、ここに座れよ」

 予感が確信に変わり、ラスティは密かに舌打ちをした。

「向こうに行っていろ」

 ユーディアは悲しそうに表情を歪める。あんまりな言葉だとラスティ自身も思ったが、とりあえず彼女をこのテーブルから離したかった。レンにも目配せをすると、彼は心得て、ユーディアの手を掴もうとし――

「なんなら、次はそのお嬢ちゃんを賭けようぜぇ?」

 商人の一人の不愉快な言葉に、テーブルの者たちは粗野な彼に注目した。特に、剣士の男と軽薄そうな男が非難の目で見ていた。

「いやいや、変なことはしねぇって。ただ、おじさん構って欲しいだけだからさぁ。お酌してもらって、お話してくれる相手が欲しいだけよ」

 そうは言うが、こんな配慮(デリカシー)のない酔っ払いの言うことを信じられるはずがなかった。ラスティは、もたもたしている少年を睨みつける。レンは困った顔でユーディアを見ていた。

 よりによって、彼女がその場を動かない。

「私は構いません」

 ラスティは思わず立ち上がった。

「構え馬鹿っ!」

「みなさんのお話、聞きたいので」

 ユーディアは冷静だった。冷ややかさを感じるほどだった。突き放すような物言いが珍しい。

 大きな瞳が、こちらを向く。

「それに、私も除け者は嫌です」

 彼女の褐色の瞳はこれまで以上の真剣な光を湛えて、ラスティをまっすぐ見つめた。レンがさんざん喚いている中でつい見過ごしていたが、彼女こそ一番もどかしい思いをしていたのだ、と気付かされる。

 ラスティは静かに椅子に座った。

「……分かった」

「ちょ……ラスティ!?」

 レンが目を丸くするのを他所に、ラスティは挑みかかるように酔った顔の商人たちを見据えた。

「俺が勝てばいいんだろう?」

 ユーディアの意気込みは買う。だが、ラスティは、おめおめと彼女自身を安売りさせるつもりはなかった。

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