除け者
外に出て、晴れているのに直射日光を受けないという違和感に思わず空を見上げた。頭上に広がる緑の天蓋が、異国の地にいる非日常を訴えてくる。世界そのものが変わってしまったような心地にラスティは溜め息を吐き、背後を振り返った。不満そうなレンと沈痛な面持ちのユーディアが、重い足取りで巨樹の扉から出てきた。
ユーディアは、ともかく。
「……そんなに不貞腐れるなら、図書室に行けば良かったんじゃないか?」
完全に拗ねた子どもの様相のレンに、ラスティは肩を竦める。リグたちが図書室を勧めてきたのを遠慮したくせに、この有り様である。
「今は読む気分じゃないからいいです。そんなことよりも!」
レンは鼻息を荒くして地団駄を踏み、恨めしそうにラスティを見上げた。
「ハブられたの、ムカつきません!?」
〝取り調べ〟の後。〈木の塔〉の者たちは、仲間内で相談があるから、と階上へ行ってしまった。そのまま、今日のところは解散となってしまったので、ラスティたちは今ここにいる。
「彼らにも機密はあるだろう」
ラスティは、むしろ〈セルヴィスの手記〉とやらが盗まれた話の詳細をよく聞くことができたな、とさえ思っている。
「そうかもしれないですけど! なーんか知ってそうな雰囲気出しといて、なんにも教えてくれないんですよ!? 僕たち当事者なのに!」
レンが当事者かはさておいて。
ラスティ自身も思うところがないわけではなかった。出会った当初から、彼らはあまりにラスティの境遇に対しての理解が早く、協力的だ。自分たちの大事な〈手記〉を後回しにしてまで、ラスティたちをシャナイゼまでつれてきてくれた。その理由が見えないのだ。何か思うところがあるようではあったのだが。
「そのくせ、また見張りとか!」
不満が止まらないレンは、頬を膨らませてじっと辺りを睨み回した。ラスティたちの周囲には、俯いたユーディアしかいない。〈木の塔〉は人が頻繁に出入りするところではないのか、ラスティたちが入口前で立ち尽くしていても、文句を言う人がいなかった。
が。
「あーまあ、ごめんな?」
声と共に、虚空に炎が立ち上ぼる。ラスティの前で赤く燃えるそれは、瞬く間に人の姿に変わった。レンとさほど歳の変わらない少年だ。浅黒い肌に、金色の瞳が輝く。太い黒髪の間から、額に巻いた派手な柄のバンダナが覗く。程よく鍛えられた身体は、黒ずくめの軽業師のような服を纏っている。
彼が、レンの言う見張り。リズが召喚した〈精霊〉。名をダガーというらしい。
「一応リズたちも、気にしてはいるんだ」
〈精霊〉は人差し指で頬を掻く。気まずそうな表情といい、先ほど炎に紛れて登場したことを除けば、一見して人間と変わりなかった。どういう存在なのか、とラスティは訝る。レンも興味深そうに窺っている。魔術師たちは彼らを見張りだと言うだけで、その辺りを説明しなかった。
「だけど、何処まで話していいのかとか、その辺が難しくてさぁ――」
「それは、ウィルドの意向か?」
「あ、気づいてたのか」
アリシアの剣や〈セルヴィスの手記〉のこととなると、彼らはウィルドの顔色を窺っている。隊長はグラムだと言っていたが、ウィルドがグラムたちに何らかの方針を指示しているだろうことは、この道中で気が付いた。
意外とやるな、とダガーは漏らす。顔合わせしたばかりなのに、よく見知った間柄のように接せられるのは、どうにも居心地の悪いものがある。ダガーのほうはリズと〝繋がっている〟とのことで、彼女と同程度にラスティたちのことを知っているらしいが――。
「まあ、いろいろあるんだ。一つ言えることがあるっていうんなら、あんたたちの連れをまずどうにかしたほうがいいと思うぞ」
ラスティはレンと顔を見合わせた。該当するのは、ただ一人だろう。
「……フラウか」
神剣の監視者というわりに、どうにも素っ気ない彼女にどう当たれば良いのか。ラスティは頭を抱えた。
ダガーの案内で、宿へ向かう。女の子が好きそうなドールハウスようなデザインの建物。例に漏れず茶色の壁と緑の屋根のそこに入り受付に掛け合うと、すぐにフラウのもとに案内してもらえた。彼女は意外に気が利くようで、きちんと二人部屋を二つ頼んでくれていたらしい。
「〈セルヴィスの手記〉――禁書、ね。ふぅん」
ルクトールにいたときと違い、ベッドと書き物机、クローゼットだけがある小さめの部屋に、ラスティたちは集った。ベッドの一つに腰掛けたフラウは、話を聴いてすっと目を細めた。青い目を伏せがちにして、口元に手を当てて、思索に耽る様子を見せた。
「……そう。剣だけじゃ、なかったのね」
低く溢した言葉から、彼女自身もラスティの知らないことをいろいろ知っているのだと察せられた。レンではないが、さすがにラスティも焦れた。
「それは、どういう意味だ?」
「クレールを使ってまで欲しかったのは、剣だけじゃなかったのねって。禁術を欲しがるとまでは、考えていなかったわ」
「〝クレールを使ってまで〟って、どういうことですか……?」
部屋の一角で、影が不安定に揺れた。もう一つのベッドから立ち上がったユーディアが、フラウを凝視している。
「誰がそんなことを――」
「おおよそ、察してはいるのでしょう?」
組んだ足の上で頬杖をついたフラウに冷静な眼差しで見つめ返されて、ユーディアは項垂れた。
ユーディアに〈セルヴィスの手記〉を持ってくるように命じたのは、彼女の所属するアタラキア神殿だ。
「でも、今〈手記〉はあの馬鹿どもが持っているんですよ? 神殿があいつらに依頼したんなら、ユーディアがここまで来る必要はないと思うんですけど」
「そうね。その辺りの因果関係は私にも分からないわ。でも、結果的に〈手記〉はクレールに渡った」
それを偶然と呼ぶにはあまりにできすぎている、とフラウは言う。
「誰かが糸を張り巡らせている、とでも?」
いったい誰が、と口にしようとしたところで、フラウは突如立ち上がった。
「ちょっと出るわ」
「何処へ?」
「〈木の塔〉。何をどう話すべきか整理してくる」
そうして足早に、部屋から出ていってしまう。
ただ呆然としたラスティたち三人が、部屋に残された。
「……またしても、ハブられましたね」
少年の声が地を這った。青筋を立てたレンが拳を震わせている。
「完っ全、に、除け者じゃないですか!」
フラウがグラムたちのところに行ったのは明らかで、つまりまたラスティたちだけが知らないという状況になっている。
レンが強く地団駄を踏むのも無理はないと思いつつ、階下への迷惑を気にしてラスティは少年を宥めた。
「説明する気はあるようだが」
「〝何をどう話すか整理する〟って言ってましたよ。情報を選別するってことじゃないですか」
全てを教えてくれるとは限らない、と頬を膨らませる少年に、ラスティもとりなす言葉が見つからない。
少年がまた苛立ちに床を踏み鳴らしそうにしていたのを、ラスティは溜め息混じりに止める。レンはぐしゃぐしゃと頭を掻きむしり、赤い瞳を据わらせた。
「こうなったら、自分で調べるしかないですね」
この期に及んで諦め悪く自分で道を切り開こうとする姿勢には、少し感嘆した。
「〈手記〉がなんなのかが分かれば、神殿が何を考えてるのか予想がつくんじゃないですか? そうすればきっと、隠し事にも辿り着けます」
「そううまくいくか?」
「まずは弱くても手札を増やすことです。じゃないと僕らはいつまでも良いように振り回されるだけですよ」
それは確かに一理ある。それに、アリシエウスがあの後どうなったのかも知りたいところだった。
いつまでも除け者でいるのは、ラスティも面白くない。
「それで、何処へ行く」
「んなもん、相場が知れてるじゃないですか」
宿を飛び出したレンは、街の入口に引き返す道を辿った。木漏れ陽の揺れる石畳。木の根のトンネルを潜って、目抜き通りを探り当てる。店が立ち並ぶ中で見つけたのは、大きな酒場。
レンが自信ありげにその店を指差す一方で、ラスティは難色した。
「もう少し、地元民の馴染みのある場所が良いんじゃないか?」
こういう大通りにある大衆向けの酒場ほど、実は地元民の利用は少ない。こういった店は流れ着いた他所者に向けたものであるとラスティは知っていた。
魔術書について調べる以上、地元民から情報を得るものと思っていたが。
レンは立てた人差し指を振る。
「甘い。ここは魔術師の塔のお膝元ですよ? 魔術師たちが慎重に大事に隠している禁書の話を、街の人たちがそう簡単に話してくれるはずがないじゃないですか」
魔術師でなかったとしても、住民の感覚は魔術師に近いだろう、というのがレンの見解だ。魔術師が隠すべきと判断したのなら、街の人もそれに倣う。リグも、外部に〈手記〉の情報が漏れるのは有り得ない、と言っていた。
だから、ここはむしろ他所者が集う酒場のほうが良いのだ、とレンは胸を張る。
「仕入れたいのは、街の外の情報です。他国の情勢は流れ者のほうが詳しい。また、〈手記〉に関しても、本当のところよりも、外の人間がどう認識しているかのほうが重要です」
クレールの〈手記〉についての認識はそちらのほうが近いだろう、というのがレンの見解だ。そうでなくても、クレールとアリシエウスの衝突の状況くらいは耳に入れることができるはず。
一応の納得をしたラスティは、ユーディアを伴って、レンに従い酒場に入る。
明るい店内。広いホール。軽快な音楽が気持ち小さめの音量で流れ、テーブルの間隔は広めに取ってある。席に案内する店員の声は明るく、服装は落ち着いた色合いだがデザインの凝ったもの。騒がしすぎず、静かすぎず。排他的な印象を一切持たせない、入りやすい店だった。
女給に渡されたメニューの冊子を開き、レンは迷う素振りを見せた。
「オススメは何ですか?」
よくある質問なのだろう、その女給は慣れた様子で笑顔でさらりと応える。
「羊肉ですね。がっつり食べたいなら、ステーキがご用意できますよ。軽食であれば、バラ肉をパンに挟んだものがございます」
とのことなので、ステーキとパンを二人分。食欲がなさそうなユーディアには、その軽食を注文する。
それから、摘めそうなものをいくつか。
「あと、酒はどんなものがある?」
「シャナイゼのお酒となりますと、アイラグかアルヒになりますが」
どちらも耳に馴染みなく眉を顰める。気を遣った女給がアイラグを提案してきたので、そちらを頼んだ。
「お酒を飲むんですか?」
給仕が下がると、昼から信じられない、といった表情でユーディアがこちらを見ている。規律に厳しい神殿騎士ならではの感覚だろうか。ラスティも国仕えの騎士だったので分からなくもないが。
「こういう場では不可欠だろう」
特に、見知らぬ誰かから話を仕入れるとなれば。酒呑みは酒呑みに近寄るものだ。
「慣れてますね」
意外だとばかりにレン。
「伊達にディレイスに付き合ってはいない」
城を脱走するディレイスが向かう先は、だいたい酒場だった。酒を呑んで遊びたかったからではない。どういうところに情報が集まって、どうすればそれを聞き出せるか。きちんとそれを考えての行動だった。
「あの人、手強かったですね。どう突いても、全然核心を話してくれなかったんですもん」
そういえば、レンは一度ディレイスと会っていた。アリシアの剣を探していたというから、その情報収集に、あの酒場へと辿り着いたのだろう。ディレイスが頻繁に立ち寄り、ラスティが迎えに行くその店は、地元民でも限られた人しか集まらない、穴場の店だった。
「あいつの行きつけに辿り着くあたり、お前もなかなかだな」
感心していると、ぽかん、とユーディアがこちらを見ているのに気が付いた。
「どうした?」
「いえ……」
陰鬱な顔で、視線を逸らされる。そんなユーディアに、ラスティは少しばかり腹が立った。