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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第四章 木漏れ陽の街
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盗まれた禁書

「あ~、終わったぁ~っ!」

 塔長(とうちょう)の部屋を出るや否や、う~ん、とグラムが伸びをした。面倒事を終わらせた解放感に、心はすっかり緩んでいるらしい。呆れるやら、羨ましいやら。リグはグラムの背中を睨みつける。

「思ったより早く終わったよなぁ。ラッキー!」

 廊下に声が響き渡る。後ろの扉の中にまで聞こえるのではないかと思うくらいの大音声だ。迷惑だと思いつつ、何も言わなかった。面倒が先に立ったのと、

「そうだよな……」

 発言内容については同意していたためだ。

 リグたち三人は、今回の仕事の報告のため塔長の元を訪れた。例の盗まれた魔術書についてだ。みすみす泥棒を逃してしまったこと、おそらくクレールに行ってしまったであろうことを報告。失敗案件に、お叱りの言葉を覚悟していたのだが。

 何もなかった。イヤミの一つも。残念だ、とは言われたが、それだけ。

 正直、拍子抜けした。

「なんだよ、別に。イヤミなら言われないことに越したことはないじゃん」

「そうだけど……」

 リズも隣で煮えきらない表情を浮かべている。木の板のタイルの廊下を歩きながら、顎に手を当て思案顔。

「捜さなくていいっていうのがね、気になるよね」

「おれたちが行かなくていいってだけで、別に捜さないって言ってるわけじゃないだろ」

「とはいえ、誰に捜させるのさ。あれは、私たち以外が触れたことのない()()だよ?」

 その事実がリグの肩に重くのしかかる。

 今回盗まれた本は、〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉秘蔵の魔術書だ。閲覧するには、多くの厳しい条件を通過しなければならず、さらに塔長をはじめとした役員全員の許可を貰わなければならない。外部の人間はもちろんのこと、〈木の塔〉の人間ですら、手にするのは容易ではない――というか禁止されている〝禁書〟。

 奇跡のような幸運の末、リグたちはその本を手にしたことがあった。逆を言うと、今の時代を生きている者の中で、リグとリズ、そして二人の研究仲間以外は、その書に触れたことがなかった。

 盗まれたのは、そんな書物だ。盗まれたことも大問題だが、取り返すにも慎重を要する代物。奪還した人物が禁書の中身を見るようなことがあっては大事だから。

 だから、本の内容を知っているリグたちが捜索に選ばれたわけだが。無様な結果は知っての通り。

 リズと二人溜め息を吐く。今さらだが、自分たちの不甲斐なさに打ちのめされる。

「しゃーないじゃん。戦争の所為でクレール行くことできなかったし。あれ以上にとんでもないもん見つかっちゃったし」

 どうしようもないって、と励ましてくれるグラムに、いつまでもくよくよしている自分たちが情けなく思えた。気持ちを切り替えるよう努めることにする。

「それより、これからどうする?」

「決まってんじゃん。図書室」

 ラスティたちに合流すべきだろう、と判断した。ウィルドが相手してくれているはずだが、任せきりにしておくのには、一抹の不安がある。

 彫りの入った観音開きの扉を開ける。真っ先に目に飛び込んでくるのは、鮮やかな緑色だ。ここは大樹の上。塔長の部屋も含まれる管理棟は、大樹の太い枝の上に建っていた。建物はちょっとした館規模。さながら巨大なツリーハウス。木を刳り抜いて塔にしようなどという発想もそうだが、こんなところに建物を建てようなんて考えるのも、相当イカれているとリグは思う。

 なまじ、実現できてしまうのが厄介だ。

 太い枝を彫った階段を下りる。木の板で円形に造られた広場を横切り、幹に穿たれた穴に入る。下階へ行く螺旋階段と昇降機だけがあるフロア。図書室のある三階まで階段で行くのは大変なので、昇降機を使う。

 昇降機は、ざっくり言うならば、円筒形の中で手摺付きの丸型の板を上下させているものだ。動力は、風の力による空気圧の変化と重力制御。ポンプの原理で板を上下させているという認識でおおよそ間違いない。重力のほうは、板を上げ下げさせやすくするための補助。意外に足場は安定していて傾くことはないものの、慣れていないと怯える人は多い。浮遊は不安定という印象が強いからだろう。実際リグ自身も、地に足着いているほうが好きだ。便利だから昇降機は使うけれど。

 三階に着く。蔵書フロアのエントランスとなっている場所に、ラスティたちはいた。まだこんなところにいたのかと驚く。レンとかとっくに本を楽しんでいるかと思ったのに。

 声を掛けようとして。リズが動きを止めたのが目に入る。その頬が引き攣っていた。

「……怒ってる」

 グラムと二人、おそるおそるカウンター前の一団を見る。見守っているラスティ。興味津々で落ち着きのないレン。本を借りたいと言っていたユーディアが控えめに詰め寄っているのはウィルドで、リグたちよりも頭一つ背の高い男は無表情で彼女を見下ろしている。

 誰が怒っているのかは、すぐに分かった。

 それだけに、リグは首を傾げざるを得ない。あの男はそう滅多なことでは怒りはしないので。

「ユディ、どうかしたー?」

 リズが小走りで仲裁に向かった。いつの間にかユーディアを愛称呼びしているらしい。

「え? あの、リズ……その」

 振り向いたユーディアがしどろもどろになっているのは、多少なりとウィルドの怒りを感じ取っているからだろうか。彼女は戸惑った様子でリズとウィルドを交互に振り返り、結局リズに助けを求めた。

「本探してたんでしょ? あったの?」

 あったらこんなことになってないだろうな、と思いつつ、リグもそっとユーディアたちに近づく。

「その……貸せないって」

 答えつつ、ユーディアはウィルドのほうをそっと窺った。鉄仮面の如き顔の男は、ぴくりともしない。

「……つまるとこ、何を借りるつもりだったの?」

「〈セルヴィスの手記〉だそうです」

 察した。

 ユーディアに配慮して頭を抱えなかったリズは、片割れながらたいした奴だと思う。リグには無理だった。

〈セルヴィスの手記〉。この〈木の塔(トゥール・ダルブル)〉の創始者セルヴィスによる覚書。セルヴィス自身魔術師であったため、覚書と称しても中身は実質魔術の研究記録。〈木の塔〉にとっては貴重な財産であり、リグたちにとっては話に出るだけで非常に気の重くなる書物。――そう、盗まれた()()()だ。

 ここでまた話題にのぼるか、と苦々しく思う一方で。

「なんでユディが知ってんの?」

「「だよな!?」」

 リズと二人、グラムの呟きに同意する。〈木の塔〉秘匿・秘蔵の書物を、何故部外者(ユーディア)が知っているのか。何故必要としているのか。

 この情勢下で、只事ではない。

「ようやく気付きましたか……」

 気付くのが遅いとばかりにウィルドが呆れているが、それにムカついている場合ではなかった。立ち話でどうこうできる問題ではないのだ。

 リグは素早く思考を巡らせる。とにかく個室が必要だ。リズに目配せして彼らを任せ、リグは螺旋階段に駆け寄り、吹き抜けを飛び降りた。魔術でうまいこと一階に着地し、受付に掛け合って会議室を借りる。

「また取り調べですか」

 レンが口を尖らせるが、盗品に関わる以上、彼らも無関係ではない。

 テーブルを囲って席に着けば、ユーディアは居心地悪そうに身を縮こまらせていた。『取り調べ』というレンの言葉に不安を覚えているのだろう。

「〈セルヴィスの手記〉……神殿騎士の任務で借りに来たってことで間違いないな?」

 リグの向かいに座ったユーディアは首肯する。

「それは、〈木の塔〉の人間でしか知り得ない本だ。何故知っている?」

「私はただ、指示を受けただけなんです。詳細は何も聞いていません」

 ただ借りてこいと言われただけだったから、彼女自身もそれが大層な本であるとは思わなかったらしい。今ここでリグたちが大騒ぎしていることで、ようやくおかしなことに気付き始めた、と。

「あの、それはいったいどんな本なんですか?」

 おそるおそるといった様子で、ユーディアはリグに尋ねる。その顔が強張っているのは、彼女の所属している神殿が、何かとんでもないことに関わっているかも知れないという事実を恐れてのことだろう。

 リグは仲間たちの顔を見渡した。ユーディアの隣に座るリズも、さらに隣のウィルドも、自分の隣にいるグラムも何も言わない。ただリグを見守っている。――この場はリグに任されている。

 溜め息を吐きたくなる気分の中で、リグは徐ろに口を開く。

「〈セルヴィスの手記〉は禁書。世界の有り様を揺るがしかねない禁術が書かれている」

「禁術……」

「仔細は省くけど。まあ、大半がろくでもないものだ」

 魔術の専門家が集う〈塔〉でさえ、資料として扱うのも躊躇し遠ざけるほどの代物。〈木の塔〉の中でのみ管理され、外部に知られることのないよう存在をひた隠しにしていた。たとえそれが、シャナイぜを領地とする国――リヴィアデール相手であっても。

「本来、クレールが知っているはずがないんだよ。まして、盗まれるなんて」

「……え?」

 ユーディアは目を瞬かせ、半ば他人事として流していた、テーブルの隅のラスティとレンが顔を上げた。

「それって、まさか……」

 リグも他の誰も口を開かなかったが、二人の顔に理解の色が浮かんだ。

「なんというか、大丈夫なのか? この機関は」

 情報漏洩に盗難被害。危機管理意識が甘いとしか言いようのない状況に、ラスティが呆れるのも無理はないが。

「そこだよ。今回のことは、あまりに有り得ない」

 思えば最初からおかしかった。〈セルヴィスの手記〉は魔術師が厳重管理しているもので、防犯のための魔術も掛けられていた。仮に存在を知っていたとしても、魔術のまったくの素人が盗み出すことなんてできるはずがない。今回の泥棒が魔術に疎いことは、レンに確認済みだ。

「内通者――少なくとも〈木の塔〉の関係者がいるってことか」

「そうだな。だけど、重要なのはそこじゃない」

 そのくらいのことは、〈木の塔〉も予想済みだ。リグたちとは別部隊だが、そっち方面の捜査も行われていることだろう。

 だが、リグたちは今、犯人が誰かということよりもずっと気になることがある。

「知られるはずのないものが知られて、狙われる。その状況に、お前なら心当たりがあるだろ?」

 顔を強張らせたラスティが右手を腰に当てる仕草をするのは、そこに神剣があるからだろう。アリシアの剣。これまでアリシエウスが(うま)く隠してきたというのに、今になって突然クレールに狙われた。

 同じだ、とリグは思う。盗まれたかそうでないかが違うだけで、〈セルヴィスの手記〉と非常に状況が似ている。

 そしてどちらも、クレールが関わっている。

「……クレールは、何を考えている……?」

 世界を滅ぼした剣。世界の有り様を揺るがす魔術書。西の帝国はそんなものを率先して掻き集めようとしている。

 リグは、向かいのユーディアを眺めた。ユーディアは、この場で唯一のクレール縁者だ。今一番の手掛かり。しかし、敵か味方か判然しないので、どこまで情報を与えるか悩みどころである。彼女自身はたぶん〝良い子〟なのだが。

 顔色を青くしたユーディアの視線は、落ち着きなくあちこちに飛んでいた。彼女はたぶん、何も知らない。

「……なあ、どうするよ」

 ここまでやって、リグは疲れてしまった。椅子の背もたれに思い切り体重を預け、少々情けない格好でリズとウィルドに助けを求める。

「どうするって言われてもね……。〈手記〉を取り返せなかった責任が重くなったな、としか」

 テーブルの上に両腕を乗せたリズが嘆息する。全くその通りだ。せっかく振り切った後悔が、また胸の内で蘇る。

「ですが、問題はむしろ単純(シンプル)になりました」

 全員の視線を浴びてもなお、ウィルドは澄まし顔で身動ぎ一つしない。腕を組み、瞼を伏せて、堂々たる有り様で告げる。

「注視すべきは、クレールです」

 部屋の空気が重くなり、全員の視線が一点に向かう。リグの目の前でユーディアが所在なげに俯いた。

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