〈死せざる死者〉
砂礫を割って、死者が立ち上がる。肉を失い、骨だけになったその姿。月明かりに青く照らされて、地面の下から何体も現れる。
「ここは昔――千年前の戦争の中心地だったらしい」
戦闘の気配に身構えながら、リズは憂鬱な気分で語る。
「だから、死者が多い土地でね。たまにこうやって、地に溜まる魔力で死体が動くんだよね」
それが〈死せざる死者〉――アンデットというわけだ。きちんと死んでいるのだが、その身体に思念でも宿っているかのように動くので、そう呼ばれている。
「これ、全部が千年前の……?」
「とも限らないけど」
いくら沙漠に埋もれていたとて、千年前の死体が全く風化されずに残るとは思えない。比較的最近のものだろうと思われた。
「でも、こういうのに殺されて、死体が増えたのは確かだろうね」
「僕ら、そんなところでのんびり休憩していたわけですか……?」
信じられない、とばかりにレンが白い目を向けてくる。リズは肩を竦めた。そうは言われても、この沙漠で真に安全なところがあるわけでもないから、仕方がない。まあ、さすがにアンデットの出現は想定外だったが。
「おい……来るぞ」
最前列のラスティが身構えるその先で、七体の骨が立ち上がる。頭蓋の眼窩が怪しく光った。まるで眼球の代わりだとでもいうように。ユーディアが小さく悲鳴を上げて後退する。
リズはそんな彼女に近寄って肩を叩いた。
「ユーディアは援護を」
震えた手で刺突剣を握る彼女に、骨だけの相手は向かない。
「援護……?」
「神殿騎士、防護の魔術くらい使えるでしょ」
心得た、とばかりに頷くユーディアは、深呼吸を二回してから小さく呪文を唱え出した。〝呪術〟とも呼ばれる、言葉を主体とする魔術。呪いの力で掛ける防護の魔術は、神に仕える聖職者の得意分野で通っている。
――まあ、リグも使えるけど。
双子の兄は器用にも前衛もこなせるので、ここは専門職に任せるのが一番だろう。
――さて。
リズは杖を構えた。前方では、剣を構えた者たちが敵へと突撃している。骨たちは、何処から拾ってきたのか、剣や盾を所持していた。だから戦い方は、対人のときのそれと同じ。しかし、肉がなく血も流れない彼らには、基本的に負傷を受けることがない。しかも魔力で動くから疲れ知らず。生きている魔物を相手にするのとはわけが違う。
白兵戦は、不利だった。
だから、ここは魔術の出番だ。
「〝闇より呼ばれし者、闇へと還れ〟」
呪文を唱える。顔の前に杖を掲げ、祈祷するように念じる。
「〝我が開くは黄泉の門。門の先にて永久の無たる安らぎを〟」
リズの呪文に呼応して、スケルトンたちの足元から闇が湧き出した。月明かりさえも吸収してしまうほどの黒。水のように溜まった闇は、そこから腕を伸ばし、死体の足を掴んだ。闇の腕に捕われたのは二体。闇の泉の中へ引きずり込もうとする。
地面に倒れたスケルトンたちは、闇に呑まれまいと地面を掻いて抵抗した。カタカタと骨を鳴らし、まるで怯えているようだ。
「うわ……」
札を手にしたレンが、ドン引いている。ぎこちない動作でこちらを振り返るものだから、リズは気を悪くした。そんな怯えた目で見なくてもいいだろうに。
「ほらぁ。余所見しない」
「…………はい」
レンは敵に向き直り、目の前の札を掲げた。魔法陣が出現、中心から火の球が飛び出す。グラムと追いかけっこをしたときにも使っていたらしいそれは、〈魔札〉というらしい。魔力を流し込むことで、誰でも簡単に魔術を使えるという便利道具だ。
火球はラスティが相手をしていたスケルトンに当たる。けれど、残念ながら無機物の体は燃えやしない。炎は空気中の酸素を貪り食って立ち消える。レンは呻いた。
前方のあちこちから剣戟の音が響く。動ける敵は五体。こちらの前衛は五人。一人が一体を相手にしている。
苦戦しているのは、ラスティだ。おそらく彼は、アンデッドの相手に慣れていない。レンが時折魔術で茶々を入れて、どうにかなっている様子。
グラムは打ち合いながらも的確に相手を攻め、ウィルドとフラウも落ち着いて対処している。槍を握るリグは、武器の相性の悪さに少々手を焼いているらしいが、まあ大丈夫だろう。
リズは冷静に戦況を見極め、杖を振るった。先に捕らえた二体は、もうただの骨に成り下がっている。アンデッドに有効なのは、森羅万象の力を借りる魔法陣による術ではなく、ユーディアが使ったのと同じ呪いの力。ただし、方向性は彼女のものと真逆だが。
「〝闇の中に眠れ。其は安寧の臥所なり〟」
ラスティが相手をしていたスケルトンの足下に、闇の水溜まりが湧く。スケルトンは底なし沼にはまったかのように、足先から引きずり込まれていく。剣を振り上げて藻掻く骸骨を、ラスティは呆然と見送った。
次から次へ。リズは、一体ずつ順調にスケルトンたちを処理していく。あまりに快調だったので、リズは気を良くした。
――だから、少し油断した。
「あっ」
短い悲鳴に、リズは振り向いた。すぐ後ろでは、一通り術を掛け終わったユーディアがまごついていたはずなのに。
彼女は、地面から生えた手に後ろから足を引っ張られて、引き倒されていた。先程リズがスケルトンに対してやったように。
肉の付いた手が二つ。ロープをたぐり寄せるようにユーディアの剥き出しの足を掴み、地中から這い上がろうとしていた。
「ユーディア!?」
杖を振り上げたところで、リズは戸惑った。このまま杖を振り下ろそうものなら、ユーディアの足を痛めつけかねない。
「ちっ」
頭に血を昇らせながらも、リズは努めて冷静になり、呪文を唱えた。闇が湧く。手が藻掻く。より力強く、ユーディアの足を掴む。
痛みにユーディアの顔が歪むのを見て、殺意にも似た怒りを覚える。が、頭はかえって冷えていった。手が生える傍まで近づくと、身体があるだろうと思われるそこに、杖を突き刺した。
がつ、と石がぶつかる音がする。手応えとしては、地面を突いたときと変わらない。まだ深くにいるのか、と判断したリズは、執拗に地面に杖を突き立てる。
「どけ!」
真っ先にスケルトンとの戦闘から解放されたラスティが駆けつけた。無表情で地面に杖を突き立てていたリズを押し退ける。ラスティは視線を動かして素早くユーディアの足を観察すると、携えたままの抜き身の剣を逆手に持ち、切っ先を地面に向けた。ユーディアを掴む腕と地面の境目に、慎重に刃を突き立てる。
土気色の手首が地面から切り離された。ラスティは続けてもう一本の腕に剣を突き立てる。
「ひぁあっ!」
切り離された手だけが自分の足に残り、そのおぞましさにユーディアは悲鳴を上げた。ばたばたと足を振って死体の手を振り払い、そのまま地面を這って、近くでラスティの処置を見学していたレンの脚にしがみつく。
ラスティの器用さに感心し、ぶるぶると震えるユーディアに同情しつつも、リズはもう一度呪文を唱えた。ついぞ地面から出てこなかったアンデッドは、そのまま闇に飲まれていく。
ふう、と息を吐いた。これで、アンデッドの襲撃は終わりだ。辺りを見回してみても、月明かりに蠢くものはない。ユーディアの件もあり地面にも目を凝らしてみたが、沙漠の夜は穏やかさを取り戻しつつあった。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫」
レンがユーディアに声を掛ける。その頃には彼女も落ち着きを取り戻していたようで、レンの脚から離れていた。それでも地面にへたり込んだままなのは、腰が抜けたからか、それとも足の痛みからか。彼女の剥き出しの白い脚には、手形が残っている。
「立てるか?」
剣をしまったラスティが、ユーディアに手を差し出す。ユーディアはしばしその手を呆然と見つめた。それから視線をラスティに移す。手を差し伸べるラスティは相変わらず仏頂面だったが、傍らでそんな二人を見せつけられていたリズは、口元を緩めずにはいられなかった。
――可愛いところ、あるじゃん。
先程まで、クレールの人間というだけで、目の敵にしていたのに。
やがて、周囲に仲間たちが集まってきた中で、ユーディアは遠慮がちにラスティの手を取った。引っ張り上げられ、立ち上がる。
「治療するか?」
槍を杖に戻したリグが、ユーディアの足下に目を向けながら言うと、ユーディアは首を横に振った。
「いいえ。たいしたことがないから、しないほうがいいでしょう」
レンが説明を求めるようにリグを見上げる。
「治療術は、身体の回復力を促進させる術だ。一瞬で傷を治せるが、その分負担もかかる。だから、緊急でない場合は使わないのが治療術の決まりだ」
戦っている最中やいつ戦いに身を置くか分からない状態では、剣を持てなくなったり動きに差し支えがあると困るから、すぐに治療してしまうことが多いけれど。ユーディアの怪我は、その差し支えがないのだろう。だから彼女は治療を辞退した。
魔術は操れればいいというものではない。術を使えば、魔術師にも周囲にもいろんな影響が及ぶ。だから、魔術は〝学ぶ〟ものなのだ。学ばなければ扱えない。せいぜい、市販されている道具に頼るばかりである。
そういう意味では、レンの〈魔札〉は便利だとリズは思う。あれもいろいろとその〝影響〟を考慮した工夫がされているに違いない。解析したい欲求が湧く。
「ところでユーディア、念の為訊いておきたいのだけれど」
魔術の講義が終わったところで、滅多に口を開かないフラウがユーディアに問いかけた。彼女に話しかけられたユーディアは驚きに目を瞬かせながら、やや緊張した声で返事をする。
「クレールの、国に仕えているような騎士や魔術師で、黒魔術を使える人はどれだけいるか分かる?」
アンデッドは魔術でも作り出す事ができる。そういった魔術は、黒魔術と呼ばれる。今のアンデッド襲撃の人為性を疑うなら、確かに黒魔術の使い手を探すだろう。
しかし、周囲に人影は見当たらず、だだっ広い沙漠の中で発生し自然現象の可能性が高いものを、どうして誰かが起こしたものだと疑うのだろうか。
「……分かりません。そんなにいないと思いますけれど」
「そう」
「何故、そんなことを?」
ラスティが眉根を寄せる。
「あれが刺客の可能性を考えただけよ」
「あ」
ラスティとレンが二人して、間抜けな声を上げた。
「……貴方たち、逃亡者の自覚ある?」
珍しくフラウは呆れた様子を見せている。ラスティとレンはばつが悪そうにしていた。そんな彼らに苦笑しつつ、確かに、とリズは心の中で頷いた。
ラスティたちは逃亡者だ。ラスティの持つ神剣が狙われている。だが、グラムが退屈していただけあって、ルクトールを出てから、襲撃者の音沙汰はまるでなかった。それが彼らから自覚を奪っていったのだろう。同行者であるリズたちも、のんきに構えていたことだし。
……のんきすぎたな、と反省をする。この沙漠でアンデッドの発生が珍しくないとはいえ、魔術を学ぶ身でその可能性を考えなかったのは、ラスティたちの事情にまだ他人事でいた証だ。フラウを見倣って少し気を張らなければいけないだろう。