不和の道中
赤かった大地は、日が暮れるとともに青くなる。月が昇ると、より冷たい色になる。沙漠の気温はあっという間に下がっていった。
リズは灰色のローブの上に黒い外套を羽織って行軍に望んでいた。膨らんだ月が、前を行く仲間を照らし出す。先導するのは、同じく外套を身体に巻き付けたグラム。リグとラスティが続き、その後ろにレンとユーディアがいる。リズはさらにその後ろ。殿にフラウとウィルドがいる。
露出の多いユーディアと、どうやら寒暖差に弱いらしいレンは、沙漠の寒さがつらいようだった。外套あるいはコートをしっかり身体に巻きつけて、黙々と身体を動かしている。体感温度を下げるほど風が強くないのが幸いか。
リズはそれほど寒さに堪えていなかった。だが、この広い沙漠の行軍はつらかった。転がる礫で足場が悪いのは今更。視界は月明かりで良好。なのに、パーティ内の雰囲気が悪い。主に、ラスティとユーディア二人の所為で。
ラスティは、新参者のユーディアを敵視し警戒していた。ユーディアは、彼の敵意に居心地悪そうにしていた。察した仲間たちは、触れ難い空気にだんまりを決め込むしかなかった。せめてラスティがあからさまな態度を改めてくれれば、もう少し気楽でいられただろうに。
――まあ、無理もない、か。
ラスティは、つい最近侵略されたアリシエウスの出身。そしてユーディアは、そのアリシエウスを襲撃したクレール帝国の出身だ。しかも、あのアタラキア神殿の神殿騎士だという。
クレールで主流なのはエリウス信仰だが、アタラキア神殿は、創造と破壊、光と闇の四神信仰の総本山ともいえる神殿だ。石造りの巨大な神殿で、豪華絢爛な四百年前の建築様式で建てられている。加えて、庭もまた芸術的だと聞いている。まるで宮殿のようだという話。
それだけ名高い神殿だ。当然周囲への影響力も強い。
しかも、クレールは国政と宗教の結びつきが強い。特に神殿に勤める神職者――これには、神殿騎士も含む――の上位に就く者は、クレールの国政に深く関わっているという。一帯に名を轟かせるアタラキア神殿となれば、なおのことだろう。
つまりラスティは、彼女がアリシエウス襲撃に関わっている可能性を疑っている。
リズは溜め息を吐いた。事情があるのは仕方がない。だが、周囲への影響を少しは考えてほしい、と不満に思う。ただでさえ大変な旅を、余計なことで煩わされたくない。
どうにかならないものかと思いを巡らせる。賑やか担当のグラムにじとっと視線を送ってみるが、先導する彼は視線に気付かない。
「ああ……もう!」
リズは足元を強く踏みつけた。それこそ地団駄を踏むように、だ。がつ、と砂利が鳴る。我慢の限界が来ていた。リズは拳を作り、わなわなと震え――前を行く一行に向かって叫んだ。
「休憩! 休憩しましょ! もうやってられっかってーの!」
「もう疲れたのですか?」
惚けたことを言って背後に立つウィルドの腹を肘打ちして黙らせて、リズは荷物を地面に置いて座り込んだ。
「賛成だ」
リグも続けて荷物を下ろす。彼もいい加減この雰囲気にうんざりしていたのだろう。双子の兄とは、いつも同調している。
ラスティは白い目でリズを見つめ、レンとユーディアは困ったようにグラムを見つめる。グラムはぐにゃんと脱力して笑った。
「そうするか」
リグが地面に杖を突き立てると、周辺の地面が隆起した。小さな竈が出来上がる。その間にリズがリグのもとに寄り、固形燃料を竈の中に放り込んで、同じく魔術で火を点ける。さらにリグは荷物から鍋を取り出して、リズがその中に水を張る。
「魔術の無駄使い」
グラムがニヤけて竈の側に座り込んだ。続けて、呆れて溜め息を吐いたウィルドが座る。フラウ、レンと続いて、最後にユーディアが遠慮がちに座り込んだ。
ラスティは、意地を張ってか仏頂面のまま、最後まで座ろうとしなかった。リズはラスティの手を引っ張って無理やり座らせる。
「魔物に見つかるぞ」
「そのときはそのとき」
次第に鍋の水がふつふつと沸き上がり、リズは鞄から取り出した茶葉を放り込んだ。懐中時計を取り出して、月明かりの下で時間を計る。それからおたまで茶を掬い、カップに移して配った。
カップを包むように持ち、そっと口付ける。熱い飲み物で身体が内部から温まるような気がした。半分ほど飲むと、くさくさした気分も落ち着いてくる。
他の仲間も少し落ち着いたのか、周囲を漂う空気が少し緩和した。
「……悪かった」
ラスティがぽつりと溢す。雰囲気の悪さの原因である自覚はあったらしい。少しだけ空気が動く。感嘆した、というべきか。
「自覚があるならいいけど?」
本当はよろしくない。この後も続けられたら困る。なので、嫌味を含ませる。察したラスティはもう一度頭を下げた。
「あの、どうして……」
ラスティの敵意の理由が分からなかったらしいユーディアがおずおずと尋ねる。ラスティの出身を把握していなかったのだろう。アリシエウスらしい特徴を持つとはいえ、黒髪が珍しいわけではない。実際、リズも黒髪だ。
「気にしなくていい」
ラスティはにべもなく言う。気遣いからかもしれないが、それでは逆効果だ。ユーディアは困り顔。
「戦争かぁ……どうなったんだろうなぁ」
そんな中で、グラムの空気を読まない発言が浮かぶ。リズは魔法陣を描き出しそうになった手を、必死で押し込めた。
察したユーディアの顔色が、月明かりの下で白くなった。虚を突かれたようにラスティを見つめ、それから萎々と項垂れる。
「……すみません」
ラスティの表情が険しくなった。唇を引き結んだまま、彼女から顔を背ける。
また空気が悪くなった。リズがグラムを睨みつけると、彼は視線を逸らした。リグが溜め息を吐く。
「あの」
勇気を出して、という風に、レンが声を張り上げる。
「ユーディアは、何故シャナイゼに?」
クレールにとっては大事な時期でしょう、とはレンは言わなかった。が、確かに戦争しようというこの時期に、他国に人を派遣しようというのは不思議だった。
「〈木の塔〉に用事があって」
「〈木の塔〉に?」
「魔術書を借りたくて」
間抜けな声が出た。その後、苦笑じみた感情と暗く沈み込んだ感情に襲われる。ラスティたちとの出逢いのきっかけは魔術書だった。泥棒と勘違いした相手とこうして旅をすることになるとは、とんだ奇縁だ。一方で、魔術書を盗んだ真犯人を逃がしてしまった事実が重くのしかかる。あれは逃してはならない相手だった。せめて本だけでも取り返せていたのなら。ウィルドの言う通りすぐに取り扱えない代物だとしても、悪用される可能性は捨てきれない。まして戦争をはじめたクレールに逃げ込まれたとあっては。
今帰途についていることが後ろめたい。多少強引なことをしてでも、取り返しに行くべきだったのではないか。その後悔が、リズの頭の隅にずっと引っ掛かっていた。
「あの……何か」
また何かしてしまっただろうか、とユーディアが気遣わしげな色を見せるので、リズは慌てた。
「いやいや。こっちの話」
曖昧に笑って誤魔化すが、どうも重たい空気となってしまうし、ユーディアに気を遣わせる。
「クレールは、何か企んでいる?」
それどころか、ラスティが火薬を投げ込んだ。リズは目蓋を手で覆う。さっき謝ったのはいったいなんだったのだろう。
ユーディアは傷付いた表情の後、ゆるゆると首を横に振った。
「私は、ただ本を借りてくるようお願いされただけです」
神殿内での地位もそれほど高くないのだ、と付け加えた。まだ命令される立場だ、と。十八だという、彼女の年齢を考えれば当然か。グラムも同じ年齢で隊長職についているが、それは〈木の塔〉のシステムが一般と異なるからだろう。
「ちなみに、どんな本を?」
ウィルドが尋ねる。リズは、はっと顔を上げた。確かに、クレールが〈木の塔〉のどんな魔術書を求めているのか気になるところだ。
「すみません。それは、他の方に言うのはちょっと……」
守秘義務、というやつか。ウィルドは眉を顰めたが、そのまま引き下がった。ラスティは気に食わないようで視線を鋭くさせたが、何も言わなかった。レンだけが、何故か目をキラキラさせている。
その理由は、すぐに分かった。
「あの、僕も魔術書って見れますか?」
身を乗り出して、リズたち〈木の塔〉組に尋ねる。彼が好奇心旺盛で学ぶことに積極的なのは、これまでの道程の間で知っていた。
「そうだな。申請は必要だけど」
リグが答えると、やった、とレンは小さくガッツポーズをする。不貞腐れていたラスティが少しだけ表情を動かして、微笑ましそうにレンを見つめていた。リズたちと出逢ったときから一緒にいる二人だが、どういう関係なのだろう? ラスティが持つアリシアの剣と関わりがあるのだろうか。
そういえば、アリシアの剣。ルクトールでフラウとウィルドが話していた通りだというのならば、クレールは神剣を狙っていたはずである。その辺り、神殿騎士であるユーディアはどう考えているのだろうか。四神信仰の総本山たるアタラキアなら、関心がないはずなかろうが。
しかし話題が話題なだけあって、リズも迂闊には口に出せない。少し冷めたお茶とともに嚥下する。視線はなんとなく空に行った。満ちるまで数日残した月と、銀砂を散りばめたような星空。夜に添えられた美しい天体たち。穏やかな闇はリズを落ち着かせた。感覚が研ぎ澄まされていく。
そのリズの感覚が、微かな動きを捉えた。フラウとウィルドが、腰を浮かせている。
「……どうした?」
遅れてリズも気付く。杖を抜き、周囲に視線を走らせた。同じように、残りの同行者たちも身構える。
リグが杖で地面を突く。隆起した竈が崩れさり、垣根を失った竈の火が周囲を照らした。もう一度地面を突けば、明かりは大きくなる。
なるべく火を直視しないように、リズは目を眇めた。
「地面が、動いてる?」
ユーディアの声は震えていた。彼女の言う通り、焚火の明かりが届かなくなったその向こう、月明かりに照らされて、地面からボコボコと何かが隆起している。
「いや。あれは――」
その正体に気づいて、リズは舌打ちをした。魔物に見つかる、と先程ラスティに指摘されたが、それよりも厄介なものが訪れたようだ。
〈木の塔〉の仲間たちも気付いたようで、立ち位置を変える。グラムが前に出て、手振りで指示を出す。ラスティとフラウを前に。レンは少し下がらせる。ユーディアはさらに後ろへ。リズたちは指示されるまでもなく、各々で隊列を整える。武器で戦う者が前。魔術を使う者は後ろへ。
「なんなんですか?」
レンが不安そうな声を出す。きょろきょろと周囲を見回す彼に、リズは低く答えた。
「アンデットだ」