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アリシアの剣  作者: 森陰 五十鈴
第三章 魔境の入口
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〈棘の人〉

 その魔物は、〈棘の人〉と呼ばれているらしい。戦いの前にグラムがそう言っていた。

 ずんぐりむっくりとした身体。頭は小さい。緑色の皮膚は見るからに分厚く、さらに棘に覆われていて敵の接近を妨げる。普通の武器で致命傷を負わせようとすれば、間違いなく怪我をするだろう。厄介な相手だった。グラムがリグの槍を取ったのは、そのためだと知る。ついでに、魔物の対処にレンが選ばれた理由も。

 囮になった狼たちは何処かへと消え去り、今はレンたち四人が〈棘の人〉に対峙していた。グラムとレンが前に出て、リズは後衛。ウィルドは長剣を携えて、レンとグラムのやや後方で攻撃の機を窺っている。

 ハルベルトを突き出す。穂先は緑色の肌に沈んでいった。しかし、思っていた以上皮膚が硬く、深く入り込んでいかなかった。レンは舌打ちをする。

 槍の穂先を引き抜き、ゆっくりと右に回り込む。〈棘の人〉は頭を回し、レンの姿を追った。目を付けられている。種のような黒く小さい目で。

 レンはハルベルトを振り上げると、斧頭を重みに任せて叩きつけた。肩の辺りに刺さる。果物を割ったようなみずみずしい感触が手に伝わる。そのまま真っ二つになってくれればいいのに、斧頭は魔物の体表を上滑りした。傷口に沿って血が滲む。植物のような魔物でも、他の動物たちと同じように赤い血が流れているらしい。

 ふと頭上に影が差す。魔物が棍棒のような腕を振り上げていた。慌てて後ろへと跳躍する。棘だらけの右手が、石ころだらけの赤い大地を抉った。棘で厄介なだけではない。力もあるようだ。レンは歯噛みする。さっさと片付けてしまいたいのに、そうはいかないらしい。

「よっ」

 ひらり、とグラムがレンの視界に乱入する。魔物の前に入り込んだ彼は、白い槍で二段突きをすると、素早く後退した。入れ替わるように、氷の矢が緑色の腕に突き刺さる。よろけたところを、再びグラムが踏み込んで一突き。隙を突いてウィルドが長剣を差し込む。一撃離脱(ヒット&アウェイ)を利用した見事な連携。付き合いの長さが成せる技だろうか。

 自分はいらないんじゃないか、と思わず不貞腐れそうになる。しかし任せっきりなのもそれはそれで癪で、レンはハルベルトを握る手に力を込めた。身体の回転も加えて横に振り回し、丸太のように太い足を狙う。斧頭が突き刺さる。穂先を引き寄せるように刃を抜き、同じことを繰り返す。赤い飛沫が出ている。痛みはあるのだろうか。足が使い物にならなければ、少しは優位に立てるはず。そう思いレンは執拗に足を狙うが。

〈棘の人〉が突然(うずくま)るように身を縮めた。痙攣(けいれん)でも起こしたかのように、身体を微細に震わせる。

 攻撃の手を止めたレンの背に、知らずひやりとしたものが落ちた。

「まずい。レン!」

 リズの声に、レンは後退した。グラムとウィルドも同じようにして距離を取っている。無防備とも言える魔物の姿。しかしレンは目が離せなかった。喉が干上がる。視線が逃げ場を求めて彷徨う。勘が正しければ、あれは――

 身を縮めていた〈棘の人〉が、身体を大きく広げた。同時に、身体に無数にある棘が、弾けるように飛来した。レンは咄嗟に左腕で顔を庇い、目を閉じる。

 その耳元で、風の唸り声がした。

 レンは薄く目を開ける。渦巻く風に、巻き上がる棘。振り返れば、真剣な表情で黒い杖を地面に突き立てたリズがいる。彼女の仕業か、と瞬時に理解する。

「サンキュー、リズ!」

 いち早くグラムが魔物へ駆けていく。〈棘の人〉は身体中から棘を失くして、ただの緑の巨人になっていた。好機だ。レンもハルベルト片手に駆け出す。

 が、すぐに踏鞴(たたら)を踏むことになった。〈棘の人〉が身体をぶるりと震わせると、また棘が生えてきたからだ。

「嘘だろぉ!?」

 グラムの悲鳴に、レンも思わず目を伏せた。気持ちは同じだった。いや、よくよく考えれば想定できた事態か。先程襲われていた四人は、身体中棘だらけだったのだから。

 きらり、と低くなった太陽の光に照らされて針先が光る。金属の針かと錯覚してしまいそうだ。

 少し気を取られているうちに、魔物がグラムに接近する。棘だらけの腕を振り払うように横薙ぎ。グラムはすぐさま屈み込んで躱す。その体勢のまま足を一突きし、立ち上がった瞬間に必死な様子で距離を取った。

 グラムとレンは、ともに離れた位置で槍を構え、相手を牽制する。魔物はグラムとレンを検分するかのように首を左右に振った。魔術師のリズと、彼女を庇うように立つウィルドに意識が行っていないのは、救いだろうか。

「どうするんですか!?」

 有効打を与える隙のなさに焦れたレンは声を張り上げた。魔物の多いシャナイゼから来たという彼らの経験値を頼るしか、レンには(すべ)がなかった。

「気を惹いて」

 据わった目で魔物を見据えるリズの杖が光った。

「何か手が?」

「一撃で仕留める」

 リグの杖と同じように、リズの杖が変形を遂げる。両剣(ツインブレード)。柄尻で二本の黒い剣が繋がっている。

 リズはその一本の両剣を分割して二本の片手剣に変えると、うち一本をウィルドに放った。受け取ったウィルドは心得たように頷き、自身の剣と併せて構えて魔物へと向き直る。

 訳が分からずレンは眉を顰めたが、グラムが動き出したのを目端で捉えると、魔物のほうに集中した。挑発するように白い槍を突き出すグラム。魔物の意識はグラムへと向かう。レンは地面を蹴り、突撃の勢いに乗せて穂先を背中に突き立てた。〈棘の人〉の身体が仰け反る。その隙に、ウィルドが首筋にリズの剣を突き刺した。

「離れて」

 こちらに来たウィルドに促され、突き刺さったハルベルトはそのままに、言われるがまま離れる。

 魔物の首筋に刺さった黒い剣。その柄の先に青い魔法陣が描かれた。剣を包み込むように太い氷柱が現れ、そのまま魔物を串刺しにする。

 氷柱の先端が腹を突き破っているのを見て、レンは身震いした。おそるおそるリズのほうを振り返る。夕暮れの風にローブをはためかせる彼女は、魔物に突きつけるように黒剣を掲げていた。勇ましい姿に、レンは(おのの)く。剣を媒介にして魔力を飛ばし、遠隔で魔術を使ったのは分かった。しかし、あれだけの大きな氷柱を作り出すとは。容赦なさも然ることながら、それを実現できる彼女の能力が恐ろしい。

 どう、と〈棘の人〉は地に横倒しになる。手が、脚が、もがくように動いた。

 ――まだ死んでないのか……。

 貫かれたのは首から腹にかけて。だが、運悪く心臓は無事だった。血は大量に流れていた。それでも、まだ死なない。なんて強い生命力だろうか。

 グラムが魔物に近づく。手にしていた槍を魔物の左胸に深く突き刺した。

 今度こそ、魔物は息絶えた。

 レンの口から安堵の溜め息が漏れる。気が緩んだ拍子に、疲れがどっと押し寄せた。のろのろと魔物の死体に近づき、背に刺さったままのハルベルトを抜く。本当に厄介な相手だった。忌々しく思って見下ろす。横たわる様子はそれこそ植物だが、棘が変わらず針のようで恐ろしかった。

 それにしても、さすがは魔物の多いというシャナイゼの入口。これまで獣と大差ない魔物しか見たことがなかったレンには、人型の魔物なんて珍しかった。こういうのも居るのか、などと思っていると。

 不意に、過去の映像が重なった。

 石の床と、そこに広がる血。

「ちっ」

 レンは舌打ちして、ハルベルトを背中に戻した。頭を振って過去を振り払うと、踵を返して魔物に背を向けた。同じように、槍を死体から抜いていたグラムと目が合う。舌打ちが聞こえたのか、彼は苦笑していた。

「お疲れだな」

 顔を上げると、いつの間にかリグが傍に立っていた。こちらの戦闘が終わったのを見計らってやってきたらしい。彼はグラムの全身を観察し、それからレンのことも観察する。最後に満足そうに頷いたところをみるに、怪我の心配をしてくれたのだろうか。

「あの人たちは?」

 グラムはリグに槍を返しながら尋ねた。リグは受け取るや、槍を杖の状態に戻して背にしまう。

「三人重傷、一人は軽傷。治療はしたが、重傷のほうは治しきれなかった」

「でも生きてるんだったら、良かったな」

 グラムとリグは歩き出す。レンはその後を追う。行く先にはラスティたちがいて、その三人を看護しているようだった。

 リズとウィルドが先に着き、ラスティたちと話していた。レンたち三人が到着したところで、凛とした顔立ちの娘がこちらに頭を下げた。グラムたちと同じ年頃。茶色の髪を肩で切り揃えられている。白い服は肩が剥き出しで、下はショートパンツにブーツ。腰には刺突剣(エペ)。この格好であの棘だらけの魔物に挑んだのかと思うと、なかなかの度胸だ。

「ありがとうございました」

 彼女は粛々とグラムに礼を言う。

「無事で良かったよ。ツイてたな」

「本当にそう思います。あのままですと、きっと全滅していましたから」

「ヒューマノイドに遭遇したんじゃあなぁ」

 後頭部を掻くグラムに、レンは声を上げた。

「ヒューマノイド?」

「人型の魔物のこと。ああいうのをまとめてそう呼ぶんだ。そっちにはいないみたいだな」

 レンは首を振った。魔物は獣の亜種だとずっと思い込んでいた。

 羨ましいよな、とグラムは言う。そのわりに複雑そうだった。グラムに同意するリグも苦々しい表情をしている。

「ヒューマノイドは厄介なんだ。戦闘になれば、どちらかが死ぬまで襲ってくる。見つからないようにするか、戦って勝つか。二つに一つしかないってわけ」

 娘は顔を青くした。まさに死の瀬戸際に立っていたのだと改めて思い知らされたのだろう。唇を噛み締めて俯いた。胸元に置いた拳が小刻みに震えている。

「それで、あんたたちはこれからどうするんだ? 引き返すか?」

「いえ……」

 俯いていた娘は、真剣な目でグラムを見上げた。

「この先に――シャナイゼに行かなければならないのです」

 グラムとリグが互いの顔を見て、目を瞬かせた。レンはグラムが何を考えているのかをなんとなく察した。

「同僚は怪我をしてしまいましたが……最悪私一人だけでも沙漠を渡れないか、と皆と相談しておりまして」

 仲間はこのままフェロスに引き返すつもりなのだという。怪我は残っているが、歩けないことはないようだから。

「んじゃあ、一緒に行くか」

 軽い調子でグラムが誘う。娘に驚いた様子はなく、代わりにわずかに眉尻を下げた。おそらく娘もはじめからそれを狙っていたのだろうが、グラムから提案されたことで申し訳なさを感じているようだ。

 ありがとうございます、と彼女は頭を下げた。

「私はアタラキア神殿の神殿騎士をしています、ユーディア・エンゲルスです」

 道中よろしくお願いいたします、と頭を下げる娘ユーディアを眺めながら、レンは抗議すべきだったかと後悔した。誘ったグラムも、無言で許諾したリグも、目を見開いて固まっている。

 アタラキア神殿。

 それは、浅学のレンでも知っている、クレールの大きな神殿だった。

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