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とある夏の43日記  作者: 伊藤真奈
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夏休み終了まで、あと三十日

2023年8月1日。

とうとう8月が始まってしまった。嫌で嫌でたまらない。ここまでくれば永遠落ち続けるだけだ。これからは宿題が終わった高揚感とまだ7月だという油断すらない。いずれ来る終わりにおびえ続けるのだ!ああ、もう本当にどうにかなりそうなんだ。無性に生きていたくない気持ちで気分が重たい。私以上に苦しい人はいるはずなのに、どうしてこうも自分の命を軽く見てしまうのだろう。

生きるのに疲れるのはどうしてだ?いや、分かってる。もう人と関わるのに疲れたんだ。学校が嫌なのもそうだ。みにくいものを見るためだけに学校に行っているような気がするのだ。今まで教えられてきた人の美しさすら、そのみにくさから生まれたものだと思いたくない。口を開けば批判に悪口陰口ぐちばかり。なぜあんなにも簡単にうざいだのなんだの、それ以上のことを言えるのか。私にはとうてい理解できない。

けれども――昨日あたりに話したことの繰り返しになるが――私が自覚していないだけで、本当はそんな奴らと同じなのではないか、同じ思考回路を、感情を、素質を、そしてなにより心を、持っているのではないか、と思うのだ。私が理解できないというのは主観でしかないのだから。現に私は、そうやって悪口を開く彼らをどこかで見下しているではないか。あいつらよりはマシだ、と他人を下げているではないか。これをいやしいといわずして、なんという。自覚してなお、まだそう考えている。自己中の固まりだ、私は。

だからといって変える気も、実のところ、ない。あくまで私も、みにくい奴らと同じ、しょせん人の子ということなのだろう。

そう思うと、ゆううつで仕方ない。仕方ないから、思わず死を軽く見てしまう。これではいけない。健全じゃない。私にはそんなことをする勇気も理由もないのだから、めったなことを言うべきではない。私の命が好きな人、私の命に無関心な人に怒られる。

結局のところ、生きていたくないが生きている。長々書いたわりに単純な事実でしかないな。けれど、少しすっきりした。ならいいか。おやすみ。

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