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6.魔物の正体


 笠が店に顔を出したのは、閉店迫る日没の頃のことだった。私がちょうど自宅スペースに引っ込んで〈アスタロト〉と向き合っている時だった。通り雨が降ったかと思うと、霊が私を呼びに来たのだ。やや慌てているようなその様子に、私もまたすぐさま店へと駆けつけた。そして、そこにいた笠の姿を前に、少し驚いてしまった。


「やあ、お勉強中悪いね」


 そう言ったのは、狸ではない。何処からどう見ても何の変哲もない中年男性のようだった。しかし、彼がため息交じりに歩き出し、来客用の蘭花のテーブルへと自ら座りに行くその数歩の間に、彼の姿は昨日この目で見た狸の姿に変わってしまった。


「よいしょっと」


 その姿に少しだけホッとしていると、霊にそっと促され、私は笠の目の前の椅子に座った。すると、前置きもなく笠は封筒を一つテーブルの上に置いた。恐る恐るそれを受け取り開けてみると、そこには予想通りの手紙が入っていた。


 ──お前の父の話をしよう。


 前の文面とは少しだけ違ったが、切り抜き手紙であることは間違いない。


「場所は同じ。日時は明日の夜だ」


 笠の言う通りの内容をこの目で確かめていると、霊は不安そうに笠を見つめた。


「それで、鬼神のお方々は?」

「任せるそうだ。昨日言っていた囮作戦も許可を下すった。だが、鬼神さんたちは別件で忙しいそうで、明日は手伝えそうにないと言っていたぞ」

「そう……それは不味いわね」


 そう言って霊はしばし考え込んだ。


「幽ちゃんはどうしたいんだい?」


 笠に問われ、私は緊張しつつも正直に答えた。


「私は……行ってみたいです。確かめられるのなら、早く確かめてしまいたい」


 そんな私の答えに、笠は同意を示した。


「そうだろうな。分からないままなのは気持ち悪いからな。ならば判断は霊、君次第ってことになりそうだが」


 笠に言われ、霊は静かに頷いた。


「幽さんが行きたいというのなら、極力それを支持したいわね」

「行けそうってことかい?」

「いつもよりは少しだけ自信があるの。最近、体の調子がいいから、ある程度の敵には負ける気がしない」


 そう言って霊は妖しい笑みを浮かべた。

 彼女の横顔を見つめ、私はふと気になった。そういえば、彼女自身は何者なのだろう。まさか並みの人間じゃないだろう。ならば、やっぱり私と同じ魔女なのだろうか。


「なるほど、確かに顔色はいつもよりずっと良い」


 笠はそう言って笑うと、力強く頷いた。


「分かった。それじゃ、かの方々にはそう伝えておこう。手が空けば様子を見に、俺か別の誰かが派遣されるかもしれねえ。だが、危険と判断したら、それらを待たずに速やかに店まで戻るんだぞ」

「ええ、分かっているわ」


 霊は落ち着いた声で肯くと、改めて私へと視線を向けた。


「──というわけで、幽さん。詳細は後で語りましょう。あなたはそれまで〈アスタロト〉で魔法の勉強を続けてください」

「分かりました」


 頷きつつ、私はそっと自分の左胸に触れた。

 耐えず鳴り続けている心音を確かめ、もうすでに生じている緊張感に耐えた。

 ほんの数日で魔術をマスターできるほど道は甘くない。だが、足手まといにだけはなりたくなかった。

 無駄な足掻きだとしても、せめて魔術についての知識だけでも、脳みそに焼き付けておかないと。


 その後、笠が帰ってから、私は〈アスタロト〉とにらめっこを続けていた。教本として浮かび上がる知識を少しでも覚えるために、学生時代の受験勉強のごとく文字を頭に刻み込んでいく。

 無論、文体を覚えるだけでは意味がない。暗記しても使えなければ魔女ではないのだから。


「発光ルミネセンスのコツは、指の先に気を集中させること。まるですべての血がそこに集ったかのような感覚を得たら、蝋燭の炎を灯した時のような光景を思い描くと良い。その際、合図となる言葉(発光、ルミネセンス等)を唱えることで、より集中しやすいという報告もある」


 読みながら人差し指を立てて、私はその先を見つめた。

 小説、漫画、映画、舞台、ドラマ、あるいはアニメなどで、登場人物が不思議な力を使う場面を目にしたことがある。

 または、超能力を使える人物の話をテレビで見たことがある。

 彼らのような力が、私にはあるはずだ。遠くに置いた消しゴムを、触れずに飛ばしてしまったあの時の感覚を思い出し、〈アスタロト〉が表示してくれた記述の隅々までを頭に刻み込みながら、私は力強く唱えた。


「発光!」


 しかし、後に訪れるのは沈黙ばかりだった。

 ならばこちらでどうだろう。


「ルミネセンス!」


 駄目だ。やっぱり駄目だった。静寂しか生まれない。

 たった数日で身につくものではないのだろう。

 それでも諦めきれず、他の基本魔術一〇選についても内容を覚えていく。


「発火フロギストン、発電エレキテル、音波エコロケーション、思念伝達テレパシー……」


 どれもこれもここで試すには危険だったり、そうでなくとも到底できそうになかったりする内容ばかりだ。

 そして頁を送ると、内容はさらに複雑になる。

 初日に目にした糸車の魔術、ガチョウの卵、人魚の涙、薬の魔術。そして最後に目に止まったのが──。


「……主従の魔術?」


 その文面を目にした瞬間、私の胸に宿る〈赤い花〉が反応を見せた。何故だろう。主従というその言葉にやけに惹かれてしまったのだ。〈アスタロト〉の紙面を指でなぞりながら、浮かび上がっている文面を目で追う間も、私の頭にはその文字が浮かんでいた。


「この魔法は無限に時を生きられる可能性のある魔女たちが、孤独を癒すために生み出した契りである。両者の性別は問わない。なれど、魔女同士で契ることは出来ない。相手は必ず魔物となる。服従させる場合は、相手の口から誓いの言葉を述べさせる必要があるが、自らが従う場合は相手に言わせる必要はない。……注意、この魔術は法による法律婚よりも根深く融通が利かない契約である。絶対に取り消すことが出来ない。ゆえに、安易な気持ちで使用することや魔物を主人とすることは推奨しない」


 その内容は、驚くほどすんなりと頭に入ってきた。

 直後には実際の誓いの言葉も記されている。その文章に指を這わせながら、私は半ば無意識にその内容を脳に刻み込んでいた。

 法律婚よりも根深く融通が利かない。

 魔物を主人とすることは推奨しない。

 それだけ強力な魔術ということなのだろう。ともすれば、今の私の人格がゆがめられてしまうくらいの。

 しかし、主従というものを目にした時、私はごく自然に自分がこの誓いの言葉を誰かに向かって唱えている姿を頭に浮かべてしまったのだ。

 その相手は何故か、初めて目にした時の霊の姿をしていた。


「いけない。何を考えているんだ、私は」


 急に恥ずかしくなって〈アスタロト〉に再び視線を向け、私は浮かび上がってくる追記を読み続けた。


「なお、この魔術が成功し、結ばれた主従の肉体は一度だけ若返る。その際、死に直結するような傷であっても瞬時に治るため、瀕死の重傷を負った魔物を救った魔女の逸話は複数存在する。逆に戦地で重傷を負った魔女を救うために、その場に居合わせた魔物がこの魔術を使うよう促し、その魔女の命を救ったという伝説も世界各地に残されている」


 一度だけ使える命を救う魔法。

 ここに記されている以外にも、多くの魔女がこれを使ったのかもしれない。そして、私もまた彼らと同じ魔女の心臓を受け継いでいる。

 だが、ここで一つの疑問が残った。

 魔物とは何なのか。魔女同士ではないならば、魔女たちはいったい何者と契約を交わしたのだろう。


「〈アスタロト〉……魔物って何?」


 呟くように問いかけると、〈アスタロト〉のページが変わった。浮かび上がるのは別の書籍のタイトル。そして、『三聖獣(三神獣)』という言葉だった。


「空の覇者ジズ、海の覇者リヴァイアサン、彼らに運ばれ、世界に散らばっていた命は地上に降り立った。ジズはあらゆる魔物を、リヴァイアサンは人間を含む獣たちを。そして、地上で出会った彼らを結びつけたのは、大地の覇者ベヒモスであった。二つの血は混じり合い、後から魔族が誕生した」


 何かの神話だっただろうか。似たような話は聞いたことがある。図書館で興味本位に読んだ本だっただろうか。リリウム教やそれの前身だというハダス教関連だった気もするし、それ以前の時代を象徴する古代イリスの神話だった気もする。

 もう少し思い出そうと頭を抱えながら文章を目で追い、頁を捲るとそこには私の求める知識が記されていた。


「魔物とは赤きオーラを持つ民や獣の事である。代表的な魔物には、吸血鬼や人狼(犬神や山犬族とも呼ばれる)、鬼などがいる。また、クロコ国各地に暮らしている竜人、鳥人、角人といった聖獣たちの子孫も含まれる。魔女や翅人、妖精族(木霊とも呼ばれる)といった魔族たちは、魔物と並みの人間との混血児から誕生しているとされている」


 魔物の代表は吸血鬼や人狼。言われてみれば納得した。そして、魔女もまた魔物の子孫なのだとしたら、吸血鬼の父と魔女の母を持つ私は自分で思っていた以上に人間から遠いのかもしれない。

 それにしても、歴代の魔女たちはどういった経緯で吸血鬼や人狼などといった者たちと契約を交わしたのだろう。

 気になって仕方がなかった。

 だが、いずれにせよ、私には縁のない魔術でもあるかもしれない。魔物とそういう仲になるイメージはわかないし、そもそも今の私には魔術を成功させること自体が遠い道のりだろう。

 とはいえ、いつまで経っても消えないのが「主従」という言葉だった。


 〈アスタロト〉の表紙を閉じ、仰向けに天井を眺めながら、私はついさっき覚えたばかりの口上を述べてみた。

 勿論、私が従者となる場合を想定して。


「〈赤い花〉の魔女ゆうは誓います。心臓をかけて誓います。神より賜れた寿命を返上し……生涯尽くすことを誓います。この誓いは永久に取り消しません。死が二人を別つ後も幽は……尽くします……」


 実際には、途中に相手の名前と種族名が入る。また、私が主人となる場合は、名前の入る位置を逆にした上で、従える魔物に言わせなくてはいけないらしい。そんな事が出来るのか不思議だが、並々ならぬ絆を結ぶことが出来たならば、或いは、魔物を操る魔術でも見につけたならば、そう言う事も可能なのかもしれない。

 従うにしろ、従えるにしろ、私にも来るのだろうか。この魔術を使う日が。いくら考えてみても、やっぱり実感はわかなかった。



 真面目に魔術と向き合った為だろうか。その日の夜は消灯直後から速やかに眠りについてしまった。夢を見たのかどうかさえも覚えていないほどの深い眠りは、本当ならば朝まで醒めたりしなかっただろう。

 しかし、今宵もそうはいかなかった。ここに置いてもらった日から変わらない、食事の時間はやってくる。〈赤い花〉は相当飢えていたのだろう。いつもの金縛りが起こった瞬間から、喜びときめき、せっかく眠っていた私の意識を呼び覚ました。

 すでに相手は部屋の中にいる。狙われているという恐怖と快感が肌を差してくる。目を開けたくなるところだが、もがいてもそれは敵わなかった。そうこうしているうちに、血を求める捕食者は私のベッドへとやってきた。


 荒い息遣いと共に仰向けに眠っている私の身体に覆いかぶさり、いつも噛みつく場所を探って触れてくる。その感触がすでに望ましく、心地良くて、私は必死に息を殺していた。目を閉じたまま、早く噛みついて欲しいという期待に胸を躍らせながら、ほんの少しだけ残っている冷静さを頼りに、私は考えた。

 この相手もまた、魔物なのだろうか。

 恐らくは吸血鬼の一種と思われるが、一体どんな相手なのだろう。

 だが、考えている途中で、痛みはもたらされた。与えられるものは毎晩変わらない。それなのに、受け取れば受け取るほど〈赤い花〉の喜びは強まっていき、期待も快感も激しくなっていく。それはもはや渇いた喉を潤す水や腹を満たす美味しいご馳走などの域を超えているように思えた。


 これが魔女の性というものなのだろうか。

 満たし続けることが恐ろしくなるくらい、けれど、満たさないという状況が考えられなくなるくらい、私の心は悦楽に支配されていた。

 そして、心の全てが溺れてしまうのではないかというほど満たされたその時、突然、沈みかけていた体がやっと水面に浮かんでくれたような解放感を覚えた。

 ずっと目を閉じていた私の脳裏には、赤い蕾が開くような光景が浮かび上がっていた。その花が完全に開いた瞬間、あれだけ私を拘束していた呪縛は突然解かれてしまった。


 ぱっちりと目が開いた瞬間、私は目の前の景色がすぐに理解できなかった。しかし、段々と目が慣れてくると、真っ先に気づいたのは真っ赤に光る二つの目だった。私の身体をベッドに押さえつけ、見下ろしてくるその目は、まさに捕食者のもの。恐怖と同時に仄かな憧れのような感情を抱くも束の間、さらに目が慣れてくると、その目の持ち主の顔がはっきりと見えてしまった。

 私はその顔を見つめたまま、固まってしまった。けれど、どうにか動く唇で、私はその相手に呼びかけた。


「霊さん……」


 その名を口ずさんだ瞬間、赤い目が細められた。確かに霊だ。間違いない。いつもとはだいぶ違う雰囲気だが、間違いなくこの家の主だった。

 少しも動揺を見せないまま、霊は私を見下ろしている。だが、しばらくすると、私の首筋に軽く口づけをして、そっと声をかけてきた。


「もう──やめましょうか?」


 その問いかけに、私は震えてしまった。

 とんでもない事が発覚した。今すぐに中断して、説明を受けた方がいいはずだ。それは分かっている。分かっているのだが、いつもとは違う霊の囁きかけに、あれだけ満たされていたはずの〈赤い花〉が興味を持ってしまったのだ。胸の高鳴りを抑えられずにいると、霊はそれを煽るように指を這わせてきた。

 聞かなければならないことが山ほどある。今すぐに言葉で確かめなければならないことがいっぱいある。それなのに──。


「お願い……やめないで」


 私はこの口で、はっきりと、そう願っていた。

 そんな私の懇願に、霊は妖しいため息を吐くと、小声で言った。


「分かった。しばらくじっとしていて」


 優しくも支配的なその誘いに、私の心身はすぐさま絡み取られていった。

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