5.吸血鬼たち
◇
突如、店側に呼び出されたのは、昼前の事だった。
お客さんが来ると言う話は朝一番に聞かされていたことではあったが、私に用がある人なんてすぐには思い当たらない。疑問に感じながら霊に連れられて店へと赴き、そこで待っていた人物の姿が目に入った途端、呆気にとられてしまった。
狸だ。乙女椿伝統の装いの似合う狸が、一昨日私も座ったあの蘭花のテーブルに座らされている。何を言っているか自分でも分からないが、直立二足歩行の狸が当然のようにそこに座っていたのだ。
「お連れしたわよ」
何の疑問もなく霊が声をかけると、その狸は人間となんら変わらぬ表情豊かな反応を見せ、私に向かって軽く礼をした。
「突然すまないね。君が幽ちゃんだね?」
おじさんだ。
装いから性別の想像はついたが、思っていた以上におじさんボイスだった。
「君のアパートにこれが届いていた。確かめてみて欲しい」
そう言って彼が示すのは、蘭花のテーブルに置かれた封筒だった。恐る恐る手に取って開けてみると、そこには見覚えのある切り抜き文字の手紙が入っていた。
──お前の父を知っている。
同じ手紙だ。指定の日時こそ違うけれど、私を呼び出そうとしているのは間違いない。霊が差し出したのではないというのはもう分かっている。
では、本当の差出人は誰なのか。
「差出人に覚えはあるかね?」
狸に訊ねられ、私はすぐさま答えようとした。しかし、その前に急に彼への不信感を思い出し、警戒を露わにしてしまった。
「あなたは一体……というか、うちのポストを開けたんですか?」
すると、狸はきょとんとした表情になり、頭をごしごし掻きだした。尻尾がぶんぶんと揺れている。可愛いといえば可愛いのだが誤魔化されてはいけない。
「すまないね。その通り、確認させて貰った。申し遅れたが、俺は笠という。ここの店主、霊の仕事仲間といえば、少しは警戒を解いて貰えるかな」
「笠……さん」
探るように見つめていると、霊がそっとフォローを入れてきた。
「一昨日、あなたを襲った犯人について調査をして貰っているの。その一環でポストを無断で開けることになってしまったことは私からもお詫びするわ」
霊にそう言われると、少しだけ納得してしまった。
ちっぽけなプライドと不快感だけで無下にするよりも大人しく従っていた方が身の為かも知れない。そう判断し、私はぎこちなく頷いた。
「それで、幽ちゃん。この手紙の差出人に覚えはあるかい?」
笠にそう訊ねられて、私は首を横に振った。
「ありません。でも、もし一昨日私を襲ったのが吸血鬼なのだとしたら、父以外に思い当たる人物はいません。父は……殺人事件の容疑者なのですよね?」
問いかけると笠は腕を組みながら頷いた。
「──だが、分からないね。その事件の犯人が本当に天だとしても、君を襲った吸血鬼と同一人物とは限らない。やはり、それとこれとは別の話なんじゃないか。愛した人の忘れ形見である君を襲うなんてね」
「どうでしょう。思い通りにならなかった過去から苛立ちを向けて来てもおかしくないのではないでしょうか」
突き放すようにそう言う私を、笠はじっと見つめてきた。
狸の目では何を考えているかは分からない。それでも、私の心情を察しようとしていることだけは分かった。
「なるほど、君はお父さんのことがあまり好きではないのだね」
笠の言葉に私は目を伏せた。
「好きになれる機会はありませんでした。私が生まれるまでの詳細は、母の葬儀の際に母の友人だと言う方々から聞かされましたので」
吐き捨てるようにそう言うと、何だか眩暈がしてきた。頭痛も酷い。もうだいぶ前のことになるはずだが、それでもあの葬儀の場で受けた心の傷は癒えていないようだった。
そんな私を前に笠は口を閉じ、しばし考え込んだ。そして、ふと思い出したように霊へと視線を向けて、そっと訊ねた。
「一昨日、幽ちゃんを襲った相手は吸血鬼で間違いないんだな?」
彼の問いに霊は頷く。
「ええ、間違いないわ。私の力が当たる前に完全にかき消された。例の指輪で増強していたはずの魔術が。そんな芸当が出来るのは、吸血鬼の中でもマテリアル。それも、天である可能性が非常に高い」
「……マテリアル?」
聞き慣れない言葉に思わず問い返すと、笠が頷いた。
「吸血鬼にはね、いくつか種類があるんだ。人間たちと同じように生まれ、同じくらいの寿命で死ぬ一族。ごく一般的な吸血鬼のイメージのごとく仲間を増やしていく不老不死の連中。そして、不老だが不死ではない半端な吸血鬼。マテリアルっていうのはこの半端な吸血鬼のことだよ」
笠は再び腕を組み、険しい顔で私を見つめる。
「マテリアルの子供はとにかく弱く、誘拐被害も多くてね。この町では庇護の対象でもある。だが、大人になれば立場は一変する。はぐれ者や曲者、厄介者だらけ。強いマテリアルはそれこそ何千年も生きることが出来るという……」
「あなたのお父様である天もマテリアルなの」
彼の言葉にかぶせるように、何処か不満げに腕を組む霊が補足した。
「この町のマテリアルはね、生まれた時から監視下に置かれるの。社会に溶け込もうとするならば、温かく見守られるし、いざという時は魔の者たちから庇護を受けられる。けれど、そうでないならば、世間の目は厳しくなる。あなたのお父様は、残念ながら社会に溶け込もうとしなかった。それどころか人間の命まで脅かすようになって、いつしか討伐の対象になってしまったの」
そして、若かりし頃の母もまた討伐の為に駆り出されたのだろう。
母の仲間だったという人たちが語る話が本当ならば、そうであるはずだ。
「幽ちゃん、これだけは信じて欲しい」
と、笠が声をかけてきた。
「俺たちは君の味方だ。君が生まれた頃から知っているし、だいたいの事は把握している。その上で、君の身に危険が及ばぬように計らうつもりでもある。人道的な理由でもあるし、秩序の為でもある。お父さんが問題を起こしていたからといって、俺たちは君まで同じように危険視しているわけではないのだよ」
笠の言葉に私は沈黙してしまった。
味方だと言われても、素直にそれを受け止めることが出来ずにいた。信頼できないから、というわけではない。信頼していいのか、信頼する権利が自分にあるのか、それが分からなくなっていたのだ。
ただ、何かの役には立ちたかった。父が犯したかもしれない事件の手がかりは分からずとも、せめて、遺族が探しているという水色のメダイに繋がるような何かが。
手紙を見つめ、私は呟いた。
「吸血鬼……」
呼び出そうとする手紙を眺め、私は二人に訊ねた。
「この手紙の主がもし、その事件にも関係しているとしたら……遺品の在り処を知っているとしたら、私を囮にして誘き出すことは出来ないでしょうか」
少なくとも手紙の主は私に用があるはずだ。それも、あまり穏やかとは言えない内容の用事が。その人物が事件に関わっているとは限らない。
しかし、可能性はゼロではない。吸血鬼の犯した事件というだけでも候補は絞られる。それならば、この手紙の主が誰なのかはっきりとすれば、二人にとっても有益な情報となるはずだ。
「囮ね……」
しかし霊は頭を抱えた。
「幽ちゃんはどれだけ魔法が使えるんだい?」
笠の問いに霊が代わりに答える。
「教本となる〈アスタロト〉を渡したのは昨日のこと。どんな天才魔法使いでも、昨日の今日でマスターできるわけではないわ」
「うーん、それだと確かに不味いな。だがなぁ、正直、有難い提案ではある。この手紙の主は幽ちゃんに用があるんだ。指定された場所に向かえばすんなりと姿を現すだろう。現れた後は、霊、君の腕の見せ所ってやつだね」
「無責任な事を言うのね。手伝いもしないくせに」
「俺は非戦闘員だ。君のように強い相手とやり合えるわけじゃない」
「私だって別に強いわけじゃない。ただ、モノの力に頼っているだけ」
軽く爪を噛みながら、霊はそう言った。余計な提案をしてしまった。そう思って肩を竦めていると、霊は考え込んだ末に、大きくため息を吐いた。
「──でも、そうね。せっかく幽さんがそう言ってくれるのなら、一度だけ試してみてもいいかもしれない」
「おお、さすがだ」
笠がおだてると、霊はややきつい視線をその顔に向けてから、私の方へと視線を向けてきた。
「というわけで、幽さん。あなたさえ良いのなら、お言葉に甘えます。あなたの身は私が守ります。けれど、少しでも危なすぎると判断した場合は、あなたを連れてすぐに逃げますし、二度はありません。いいですね?」
「は、はい……」
自ら言い出したことではあるが、霊の深刻な表情も相まって緊張感に包まれる。
しかし、これで私も少しは役に立てるだろう。そう思うと妙な安心感も浮かび、霊のもとに居座ることへの罪悪感も少しは薄れた。
「となると、さっそく用意をしたいところではあるが、その手紙をもう一度見て欲しい」
笠に言われ、私は何気なく目を向けた。
日時は昨日となっている。
「そう言う事だ。次にまた手紙が来るまでは、待機ということになるかな。ちなみに明日はお客さんが来ることになっているぞ。覚えているな、霊」
笠に言われ、霊は頷いた。
そして、私を見つめ、穏やかな口調で言った。
「明日は別のお客さんが二人いらっしゃるの。そのうちの一人はあなたにもある意味関係のある人よ」
「関係?」
全く想像もつかないまま問い返すと、霊はこくりと頷いた。
「そのお客さんはね、マテリアルの男性なんです。あなたと同じく天の血を引く青年。あなたの異母兄にあたる、雨という人よ」
◆
異母兄。天涯孤独だと思い込んでいた私には衝撃的な話だった。
同じ母の子はいないようだが、霊によれば同じ父の子は他にも複数いるらしい。中には私のように吸血鬼──マテリアルには生まれなかった者もいるが、その雨という異母兄は、生みの母も生粋のマテリアルであるらしい。
マテリアルについては、昨夜、〈アスタロト〉からかなり詳しく教えてもらった。その名はマグノリア語が由来となっていたらしく、非人道的な魔術の実験や研究の記録が大量に出てきた。昨日、笠がちらりと語った以上の恐ろしい記録の数々は、それまでに私が無意識に抱いていた吸血鬼へのイメージを少々変えるものでもあった。
その一方で、従来のイメージ通りでもあったのがマテリアルによる犯罪記録の数々だった。子供の頃は世間に搾取されるマテリアルも、大人になってしまえば、私の中にも半分はその血が入っているのだと思うと恐ろしくなるほど、凶悪になる者が多かったらしい。
それこそ、私の父のように。
だが、全てのマテリアルが悪者であるわけではない。まず、聞く話によれば異母兄である雨は悪い吸血鬼ではなかった。社会の枠組みから外れないように気を付ける、実に素行の良い人物だった。
ちなみに彼を店に連れてくることになっている八雲という男性もまたマテリアルだそうで、霊の仕事仲間だという。温厚な彼を、霊は信頼しているらしい。私と顔を合わせておきたい理由もそのためだった。
「いやあ、なかなか緊張しますね。こんな狭い空間に偉大なマテリアル、天様の血を引くお方が二人もいるなんて」
そう言って場を和ますように笑うのは、顔立ちのはっきりとした実に美しい青年だった。明るい太陽のような印象は、私が勝手に抱いていた吸血鬼の印象とは被らない。店にやってきた八雲は、実に話しやすい雰囲気の好青年だった。
一方、彼の隣で借りてきた猫のように大人しい青年の方は、どこか親近感を抱いてしまう人物だった。緊張するといったのは八雲だが、この場でもっとも緊張しているのは私か、目の前の彼だろう。
彼こそが雨という人物で、私の異母兄である。そして、霊が事前に言っていたように、ずっと抱いていた父の──いや、吸血鬼全体に対して私が抱いていた恐ろしい印象とはだいぶかけ離れた人物のようだった。
「き、君が幽……なんだね?」
ずっと黙っていることに罪悪感を覚えたのだろう。雨は不意に口を開くと、私にそう訊ねてきた。こちらもまた恐る恐る頷くと、雨もまたやはり緊張を隠せぬ様子のまま、ぎこちない笑みを浮かべようとした。
「初めまして……僕の名前は雨。聞いての通り、君の異母兄にあたるんだ。こうして母違いの兄弟姉妹に会うのは初めてではないのだけど……なんだか緊張するね。君が吸血鬼ではなく魔女だからかな。それも、珍しい〈赤い花〉の……」
ぼそりと呟く雨の言葉に、八雲が透かさず反応を見せた。
「ああ、そうそう。君のお母さん、憐さんは非常に頼りになる〈赤い花〉でしてね。まあ、マテリアルの僕は正直言うとちょっと怖かったのですが、戦闘時以外は魔女の性を制御する魔法の指輪をしてらしたから、何度かお話したことはありまして。花の香りが本当に忘れられなくて。ああ、そういえば君もお母さん譲りの香りがしますね」
にこやかにそう語る八雲の姿に、私は妙に惹かれてしまった。
私の知らない母を知っている人物。それも、父と同じ種族の吸血鬼。少し前まで吸血鬼にはネガティブな印象しかなかったけれど、この八雲という人に関しては陽気な性格もあってか、親しみやすさを感じてしまう。
しかし、そんな彼のお喋りを、霊はあまり許さなかった。
「八雲、雑談はその辺にしましょう」
短い注意を受けて、八雲は首を竦め、にこにこしながら自分の唇を手で抑えた。彼が沈黙したことを見届けてから、霊はようやく雨に向かって質問を向けた。
「雨さん、この度はお越しいただきありがとうございます。霊と申します。とある事情によりあなたのお父様──天を捜しています」
「……はい、笠さんと八雲から話は伺っております」
雨は控えめにそう言った。
同じ父を持つ、純血の吸血鬼。そんな彼は、美しいけれど今にも萎れてしまいそうな可憐な花のようだった。
思っていた吸血鬼とは違う。少なくとも、周囲から恐れられ、恨まれている私たちの父とは全く違うだろう。
「父とは長く会っていません。母が亡くなってからは特に」
彼の言葉に私は息を飲んだ。
そうか、彼もまた母を亡くしているのだ。だからだろうか。私は少しだけ、この異母兄に対してさらに親近感を抱いてしまった。
「お母さまのことは存じております。……事故だったと」
そう言って霊は言葉を濁す。やがて首を振り、彼女は改めて雨に言った。
「──すみません。とにかくお会いしていないことは分かりました。けれど、何か連絡はありませんでしたか。もしくは噂など」
「……ごめんなさい。僕、今は父とは関わらないようにしているんです。その……手を出してしまったのでしょう? 並の人間の……それも子供に」
控えめな雨の態度を勇気づけるように八雲はその肩を軽く叩いた。
霊は気遣うような眼差しを送り、優しい声で語りかけた。
「現在追っている事件の犯人かどうかはまだ分かりません。分かりませんが──」
「実際に誰かを死なせてしまったことはある。僕もそう聞いています。そのせいで、僕もだいぶ白い目で見られてしまって」
「天さんが大暴れしていた頃は吸血鬼ってだけで苦労しましたからね」
苦笑しながら言ったのは八雲だ。
「吸血鬼の中でもマテリアルは社会的信用を失った。僕なんかも人を殺すんじゃないかって疑われたものでした。特にマテリアルの括りにいない吸血鬼の皆さんからの風当たりは強かった。同じ吸血鬼と思われたくないと仕事関係を解消されたりもしましたし……」
苦笑いしながら語る八雲の横顔に、私は一つ気づいたのだった。
確かに、私も同じだ。父と同じ吸血鬼を過剰に恐れたし、吸血鬼であることが悪人であることのように思えていたかもしれない。
そして同時に自分の事もまた不安になり、社会に打ち解けることが怖かった。
天の血を引いている自分が、澄まし顔で生きていていいのだろうかと。
「──すみません、お役に立てなくて」
控えめに謝る雨に対し、霊はゆっくりと首を振った。
「いいんです。貴重なお時間をありがとうございました。今後、もしも何かあったら、私や笠、もしくは八雲まで連絡いただけますか?」
その問いかけに雨はしっかりと頷いた。
しばらくして、そろそろ帰ろうとするお客さんを店主である霊と並んで見送っていると、妙にホッとした気持ちになった。
異母兄だという人物との初対面で緊張したということもあるし、吸血鬼が二人も前にいるということに見えないプレッシャーを感じていたのかもしれない。
或いは、霊と並んで見送る事で、自分にはこの店という居場所が出来たのだと実感できて、安心感に繋がっているのかもしれない。
いずれにせよ、穏やかに時は過ぎていき、八雲に連れられる形で雨は帰るところだった。
「ああ、そうだ」
と、雨は、ふと私へと視線を向けてきた。
「幽、だったね。ちゃんと覚えておく。君は同じ母の子ではないけれど、妹に間違いないんだ。でも、〈赤い花〉か。少し心配だな」
考え込む雨の肩を八雲はぽんと軽く叩いた。
「安心しなって。霊さんが一緒だし、この子には鬼神の方々がついている。お兄ちゃんが心配するような危険な輩は近づけないさ」
明るい彼の言葉を裏付けるように、霊もまた頷いた。
「ええ、それに幽さんには魔女としての訓練を受けて貰っています。魔女としての素質は確か。魔力さえあれば、最低限でも身を守れる程度の魔法は身につくはずです」
霊の言葉に雨は顔をあげ、安心したように少しだけ目を細めた。
そして彼は私を見つめ、控え目ながらそっと手を伸ばしてきた。
握手だ。恐る恐る応じると、思っていた以上に力強く握りしめられた。
「そっか。それなら心配はいらないね。幽、僕は吸血鬼で君は魔女だけれど、兄として君の魔女修行を応援しているよ。またいずれ会おう」
そう言って、雨は──私の異母兄は、笑みを深めてみせた。
その明るい表情を目の前にして、私はしばし惚けてしまった。美しい顔だからというわけではない。その笑みに、今はもう失ってしまった家族の温もりのようなものを感じて、懐かしさや心地良さが生じたからだ。
握手を辞めると雨は姿勢を正して霊に向き直った。
「じゃあ、霊さん。幽を──妹を、よろしくお願いします」
深々と頭を下げるその姿に、私は戸惑いと共に、温かなものを感じた。
母を失って、ずっと孤独だった。そんな私に身内と呼べる存在はもういないも同然だった。でも、私にはまだ兄がいる。腹違いとはいえ、温かな言葉で励ましてくれる同じマテリアルの血を引く兄という存在が。
その事実は私にとって、とても嬉しいことだった。




