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10.新しい居場所


 結局、私がマテリアル殺しの罪で裁かれるようなことはなかった。魔物同士のことは魔物同士で解決する。生粋の魔物ではない魔女の私も例外ではなく、霊の背後にいる鬼神たちを始めとしたこの町の治安を維持する複数の一族の判断により、私が罰せられることはなくなったらしい。

 雨はいなくなった。危険は去った。もうアパートに戻っても大丈夫。とはいえ、私が〈赤い花〉であることを誰が知っているか分からない以上、これまでのような暮らしはもうできない。結局、霊の立会のもと、住んでいたアパートを引っ越すことになった。


「これからはここがあなたの家。当初の予定通り、魔女の修行を積みながら助手として働いてもらうことになるわ」


 荷解きに追われる私を見つめ、霊は語った。


「それと、朝晩の食事には付き合ってもらうわ。約束通り、補い合いましょう」

「食事……」


 その言葉に〈赤い花〉がときめき、私の顔は真っ赤になった。

 補い合うという言葉の通り、霊に血を捧げることは私自身の食事にもなる。寂しく一人で暮らしながらひたすら父だけでなく吸血鬼の存在そのものに怯えていたあの頃は、こんな未来が待っているなんて思いもしなかった。


「幽」


 手を止めていると、霊に声を掛けられた。


「終わったら居間に来て。今後の事を色々と説明したいから」

「わ、分かりました!」


 霊が立ち去っていくのを見送ると、私はすぐに荷解きを再開した。引っ越しに際して、持ってきた私物はそれほど多くはない。衣服もそんなにたくさんは持っていないし、思い出の写真や何故か捨てられない子供の頃の思い出の品などを含めても、与えられたこの部屋に問題なく収まる程度だ。

 それでも、私のものをベッドの周囲に置いただけで、少し前まで客室だったこの部屋もすっかり私の城になってしまったかのようになる。


 今日からここが私の家。

 新しい居場所の居心地は、最高だった。


 さて、荷解きがある程度終わると、言われた通り私は一階へと降りていった。居間に向かうと霊は食卓の椅子に座り、手帳を見つめていた。

 近づいていくと霊はすぐに気づいて立ち上がった。


「終わったのね」


 そう言って、彼女は椅子を引く。


「座って。これからの事をちゃんと話しましょう」

「はい」


 促されるままに座り、改めて食卓の上に置かれた複数のモノを見つめた。

 片方は見慣れぬ十字架のネックレスのようなもの。もう片方はあの水色のメダイだった。


「これって、あの……」

「ロザリオとメダイ。これからここで預かることになる遺品よ」


 水色のメダイ。霊が参考に貰っていたものと同じだが、これは正真正銘の少女の遺品。その事が何故だか私にもピンときた。

 血まみれだったことが嘘のように輝きを取り戻している。かつては怖いと思ってしまったお守りだが、今はもう触れることにためらいはなかった。


「ロザリオには少女の思い出が宿っている。遺族の夢にまで影響を及ぼし、辛くなるほどの念が残ってしまっているの。そして、この度、無事に取り戻せたメダイも同じ。少女の遺した思いを少しでも慰めるために、これからはこの店で静かに過ごして貰うことになる」


 霊はそう語ると、私の向かいに座った。


「この店ではね、こういった遺品を預かることも多いの。でも、それだけじゃない。今回の騒動で、あなたには色々と不思議な古物を見せたわね。ああいった物も取り扱っているの。売り物から非売品まで色々と」

「私がお借りしている〈アスタロト〉もその一つなんですよね?」


 問いかけると、霊はしっかりと頷いた。


「どれもこれも人間社会の常識からは逸脱した力を持つモノ。社会に混乱をもたらしかねないとして、居場所を奪われた古物たちなの。普段の私はそんな古物たちが心地よく過ごせるように気を配るお仕事をしているの」

「私はそれを手伝うことになるんですね……具体的に何をしたらいいんですか?」

「そうね……一応、日没までは普通の雑貨屋さんでもあるから、普段は普通のお店の販売員と同じような仕事をして貰うことになるかしら。でも、それだけじゃないわ」


 そう言って、霊は立ち上がると、私の背後に回った。

 何となく動くことを許されていないような気がして、私はじっとしていた。

 すると、霊は私の背後からそっと手を伸ばし、首筋に触れてきた。


「この血をよこしてくれるだけでも、私にとっては相当ありがたい。常に万全の態勢でいられるのは、この世界で生きるマテリアルにとっては相当恵まれたことなのよ」

「そうなんですか……?」

「ええ、けれど、〈赤い花〉はちょっと貴重すぎるわね。私の本音を言うならば、あなたも普段は影の中にしまっておきたいくらい不安なの。用がある時だけに呼び出すようにすれば、邪なものがあなたに近づくことは出来ないでしょうから」


 と、なると、私はメタモルフォセスのような存在になるということだろうか。本当の意味で自由を失うことになるとしたら、それはそれで抵抗もある。

 両肩に手を置かれ、私は緊張気味に答えた。


「わ、私は、霊さんのすぐ傍でお手伝いをしたいです!」

「そう。真面目なのね」


 愛らしい声で笑うと、霊は軽くため息を吐いた。


「まあ、あなたがどう願おうと結局はそうなるわね。私の影の中だったら、あなたを完璧に守れるはずなのだけれど、どうやらあなたに流れるお父様の血が私の影の拘束を拒絶するみたいだし」

「……みたいって、あれ、霊さん? もしかして試したんですか?」


 驚いて振り返ると、霊はにっこりと笑って見下ろしてきた。


「昨日、寝ている間にちょっとだけね」


 全く悪びれないその笑顔が怖い。

 この人、こんな人だったんだ。主従になる前はちっとも気づかなかった。


「言ったでしょう。吸血鬼は怖い生き物なの。魔女と同じかそれ以上に」


 よかった。抵抗力があって。

 その事だけは父の血に感謝しつつ、私は霊の片手にそっと触れた。


「失敗して良かったです。じゃないと、立派な魔女にも頼れる助手にもなれませんからね」


 そう言って見上げる私を、霊はじっと見つめてきた。


「可愛い事を言うのね」


 そして彼女が僅かに目を光らせた途端、突如私の身体は動かなくなった。

 これは。金縛りだ。

 どうやら無効化できないタイプの術らしい。


「やっぱり指輪をはめていると通用する術もあるようね。これからじっくり探っていきましょうか。毎日のお食事をうんと楽しくするためにも」

「れ、霊さん」


 何とか口を動かして、私は上目遣いで霊を見つめた。


「食事を楽しむのに、どうして術が必要なんですか?」

「その方が嬉しそうじゃない。あなたの〈赤い花〉が。それに、あなたを喜ばせれば悦ばせるほど美味しい血が頂けるから」


 そう言って体に触れてくる霊の事が私は少し怖かった。

 吸血鬼ってこんなに淫らなんだっけ。まるで色魔か何かのよう。その空気に当てられていると、私まで貞淑さを失ってしまいそうだった。

 とはいえここでお世話になってすでに一週間程度。

 今更ではあるのだけれど。


「さて、おふざけはこの辺にして」


 そう言って、霊はあっさりと私の身体から離れてしまった。〈赤い花〉が泣いている。散々期待されて何も与えられなかったのだから当然だ。

 しかし、その不満を面に出すのは恥ずかしくて、私はただじっと耐えていた。夕飯はまだまだ先だ。耐え切れば、美味しい思いは出来るはず。


「幽。今日はあなたにこの店の事をたくさん知ってもらうわ」


 そう言って、机の上に置かれていたロザリオとメダイをケースにしまった。


「預かり物の保管場所も覚えておいてね」

「はい」


 頷いて、そして、私はふと浮かんだ疑問を口にした。


「……結局、その遺品の持ち主を殺したのって、私の兄だったのでしょうか」


 思い出すのは彼の最後の姿。

 殺したかどうかは本人の口から言わせられずに終わったけれど、遺品の一つを持っていたことを思えば、疑わしいのは間違いない。

 それでも、霊は断言を避け、溜息交じりに答えた。


「そちらの捜査は私ではなく鬼神のお方々が行っているわ。その結果を私たちが知るのはずっと後の事になるでしょうね」

「そうですか……」


 母違いとはいえ、同じ父の血を引く兄が犯人だとしたら、それもまた父が人を殺したことがある事実と同じくらい、私の心に重く圧し掛かってくる。

 犠牲となった少女の事を私は何も知らないけれど、かつて少女であった時代を思い返せば、やっぱり気が滅入ってしまった。

 だが、そんな私に霊は言った。


「いずれにせよ、あなたが責任を感じる必要はない。あなたは、あなた自身が起こしたことの責任を負えばいい。身勝手に生きるお父様のことは勿論、あなたを殺そうとまでしたお兄様の過去のことなんてもう気にしなくていいの」


 私は俯いてしまった。

 その励ましの言葉は心強くもあったが、今はまだすんなりと納得するに至らない。割り切って、心を軽く出来るまでにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 黙ったまま俯いていると、霊は静かに近寄ってきて、私の手を引っ張った。

 無言の命令が身体に伝わり、よく調教された獣のように私はすっと立ち上がった。従順なその振る舞いに満足げな笑みを浮かべると、霊は言った。


「そろそろ店の方に移動しましょう」

「……はい」


 手を引かれるままに、私は霊について行った。

 自宅スペースと店とを繋ぐ長い廊下を歩いていると、否が応でもやってくる明日以降の未来について考えてしまった。

 これまでとは全く違う暮らしに、戸惑うことは多いだろう。それでも、きっと、ここでの生活は、母が生きていた頃のような明るさがあるに違いない。



 日が落ちて、店の掃除も戸締りもすっかり確認してしまうと、私は霊に連れられて、食卓の上に座らされた。椅子ではなく、机の上に。戸惑いつつ言われるままに従うと、霊は私の前に立ち、溜息交じりに抱きしめてきた。

 これから始まるのは夕食だ。これまでのように大人しく血を吸われるだけのはず。しかし、今宵は少し雰囲気が違った。


「ねえ、幽」


 霊が囁いてきた。


「主従の魔術について、あなたはどれだけ知っているの?」


 今から噛もうとしている場所を指でなぞりながら、霊は訊ねてきた。

 その感触に震えつつ、私は答えた。


「私が知るのは、〈アスタロト〉に書かれていたことだけです。魔女と魔物の間で成立することと、契約の際に負傷した者の命を救えること、そして、一度契ってしまうと二度と取り消せないことです」

「ええ、間違いないわね。この魔術の存在はね、魔物に生まれた者ならば誰もが一度は教えられるの。弱々しく見えたとしても魔女の事を甘く見てはいけない。奴らは魔法で心を操り、唇を乗っ取るのだと。魔女の従者になれば、それはもう死んだようなもの。二度と以前の誇りは取り戻せないでしょうとね」


 けれど、と、霊は私の髪を手で梳きながら、笑みを漏らす。


「敢えてこの魔術に付き合う魔物もいるの。中には魔女と話し合ったうえで、まんまと主人に収まる魔物もいる。どういう狙いがあっての事か分かる?」

「わ……分かりません」


 素直に答えると、霊はその腕を蛇のようにするりと動かし、私の肩から胸元へと這わせていった。魅惑の感触に耐えていると、首筋に吐息のかかる近さで彼女は言った。


「それはね、その魔女と魔物が愛し合っているからよ。愛を永遠のものにしたいとなれば、この魔術は絶大な力を誇る。歪な関係ではあるけれど、主人にしろ、従者にしろ、互いに心を縛られるのは変わらない。二度と消えない絆のために、この魔術は積極的に使われることがあるのよ」


 語りながら霊は私の首筋に口づけをしてから言った。


「つまりあなたは、私の同意なく婚姻届けを出してしまったようなもの。取り消せないこの関係に、私もあなたもこれからずっと振り回されることになるわ。その償いとして、約束して欲しい事があるの」

「……何ですか?」


 どうにか訊ねると、霊は小声で言った。


「絶対に浮気をしない事。私の許可なくこの身体を他人に許さない事。疑わしい場合は、地下室の檻の中に閉じ込めるからそのつもりでいてね」


 とても冗談に思えない口調で霊は言った。

 地下室の存在なんて初耳だったが、この感じだと嘘ではないのだろう。この人はきっと本気だ。なんたって私が寝ている間に影の中に捕えようとした前科もある。約束を破れば、私は二度と太陽の光を見られなくなるかもしれない。


「わ、分かりました」


 狼狽えながら答えると、霊は嬉しそうに笑みを漏らした。

 大丈夫。私だって霊と同じだ。自分のかけた主従の魔術の力のせいだろう。今はもう、霊の従者でなかった頃の感覚が分からない程、私の心は彼女の存在に縛られていた。

 命を助けたいがために築かれた関係だが、今や愛し合っていると言っても差し支えはないだろう。自然に出来た絆ではなかったとしても、取り消せないのならば本物か偽物かなんてどうでもいい。

 霊が心配せずとも、今の私には浮気なんて不可能だ。


「お利口さんね」


 霊はそう言うと、私の身体を食卓に抑え込んだ。


「じゃあ、今夜は少し特別な食事に付き合ってもらうわ」

「……特別?」

「ええ。主従となった私とあなたは、もはや家族と言ってもいい。愛と絆を確かめ合うスキンシップがあってもいいでしょう」

「それってつまり」


 ぴんと来てしまって体が熱くなる。そんな私の真正面から、霊は唇を重ねてきた。触れ合った瞬間、とてつもない喜びが生まれ、一気に思考が狂った。

 最初は押され気味に、だが、途中からは私もまた縋りつく形で口づけを交わすと、霊はうっとりとした表情で深く息を吐いた。


「そう言えば、私、ちゃんと聞いていないの」

「何を、ですか?」


 興奮を抑え込みながら訊ね返すと、霊は私の目を見つめてきた。


「あなたの誓いの言葉。主従になった時の言葉よ」

「そうでしたね」


 確かにあの時、霊は気を失っていた。成功することを願い続け、必死に唱えたあの言葉を、聞いていたのは私自身だけだった。

 もはや懐かしくさえ感じるあの日の事を思い返していると、霊は小さく呟いた。


「聞きたい」


 まるで甘えてくるようなその愛らしい声に、逆らう理由なんてどこにもなかった。


「分かりました」


 そして、私は唱えた。あの日と同じ口上を、覚えているままに諳んじた。

 一言一句間違えたりしない。頭に焼き付いているその言葉は、すらすらと口から出ていった。

 霊の耳にしっかりと届くほどの小声で全てを語り終えると、霊は食卓に寝かされた私の身体の上に圧し掛かり、囁いてきた。


「間違いなく全部言えたわね。お利口さん」


 そして、牙を見せながら、赤く光るその目を細めた。


「今からご褒美をあげる。全てを委ねて、力を抜いて」


 言われるままに私はじっとして、両目を閉じた。少しずつ衣服を剥がれていくのを感じながら、私は左胸で悦び狂う〈赤い花〉と一緒に幸福を感じていた。

 程なくして、私の首筋に痛みはもたらされた。

 彼女の健康を支える血と、魂の底から求める痛みの交換。足りないものを補い合うこの行為は、これから先の二人の長い未来を約束するための誓いのようにも感じられた。


 こうして、私は魔女としての新しい一歩を踏み出した。

 乙女椿国の人間社会のはみ出し者として、けれど、私らしくいられる呼吸のしやすい居場所に出会えたのは、この上ない幸運だった。

 これから私はきっと自分の事を並みの人間だと思っていた頃と比べて想像も出来ないような出来事に直面するだろう。もしかしたら、今回の事よりもずっとショッキングな場面に遭遇することもあるかもしれない。

 けれど、私にはご主人様が出来てしまった。

 この人の傍にいる限り、大丈夫だと信じられるような人と出会えたのだ。

 そのきっかけが、今は亡きリリウム教徒の少女の思い出の詰まった遺品であったことを、これからもずっと忘れずにいたい。

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