精霊界の温泉と、人間界の温泉と
新章第3話です
セラムのために、この人間界でも綺麗な水があるところに行けたらいいな。
そんなことを考えていると、俺たちの会話を聞いていたらしく、プリメラが声を掛けてきた。
「この大陸は元々が活火山の集合体ですから、温泉も多いのですよ」
「へぇ、温泉かぁ」
そう言えば、精霊界に居たときも、エレナやセラムと一緒に温泉に行ったことがあったっけ。
精霊界にはそもそも男湯と女湯の概念が無いから、実質的には混浴ばかりだったんだけど……。
「……うぅ」
俺は思わず、あのときの抉られるような痛みを思い出して呻いていた。
当時の俺は、そんな精霊界の常識なんて知らずに、ごく普通に温泉に入っていただけだった。なのに、そこに次々と女性の精霊たちが堂々と入浴してきたものだから……。
次の瞬間、俺の目はセラムの《氷》によって凍結されて何も見えなくなって、そして全裸のままエレナの《風》で運ばれていったんだよなぁ。
それからしばらく、女性精霊たちの俺を見る目が、どこか生温かかったことを今でもよく覚えている。
……逆に、俺がそのとき見ていたはずの温泉の光景は、まったく思い出せないんだけど。
もちろん、ふたりとはちゃんとした温泉の思い出もたくさんあるけれど。
精霊界でやっていたことを、少しでも人間界でできたら、きっとまたいい思い出になるだろうな。
そんな光景を思い浮かべると、つい頬も緩んでしまう。
「……何を想像しているの。不純異性交遊の常習犯」
ネイピアに睨まれてしまった。
「う、いや、変な言いがかりをしないでくれ!」
俺はすぐに弁明する。
「俺はただ、精霊界でもエレナやセラムと一緒に温泉に入った思い出があるから、そういうことが人間界でもできたら楽しいだろうなぁって……」
「……一緒に入った?」
「…………あ」
余計なことを喋っていた。
「一応注意しておくと、この人間界では、混浴の公衆浴場は存在していないわよ。魔法を使った覗きなんかも多発しているから厳格だし、けっこう厳罰なのよ。……もし、そんな思い出が作りたいのなら、いろいろと覚悟した上での思い出作りをすることね。きっと、一生に一度あるかないかの、貴重な思い出になるんじゃないかしら?」
「……はい。気を付けます」
ついでに、余計なことまで口走らないようにも気を付けます。
「と、ところでプリメラは、温泉には詳しいのか?」
俺は強引に話を戻した。
するとプリメラは、ポンと手を合わせながら、見るからに嬉しそうに、
「詳しいというか、好きなのですよ。山や川を探索してから温泉を見つけて、その温泉に溶け出している土の成分を全身で感じると、とても安らぐのです。その山全体に包み込まれているかのような、安らぎ……」
本当に安らいだように、穏やかな口調と表情で語っていた。
魔法士の中には、土が好きだから《土》属性、みたいな判りやすい理由で属性が決まっている者もいる。プリメラはそういうタイプのようだった。
その意味では、精霊は判りやすい。
そもそも精霊は、ある特定の場所に一定の想いが集まることで、魔力が劇的に集中し、その結果として魔力の結晶体が作られることがきっかけとなり、誕生する。
その魔力の結晶体に、先の想いが集まることで感情が生まれ、心となり、生命となったモノが、精霊なのだ。
その想いというのは、たとえば感謝だったり、もっと単純に楽しいという感情や綺麗という感想だったりもする。あるいは、哀しみだったり、憎しみだったりすることもある。
だから、《風》の集まる場所を楽しいと思ったことがきっかけで生まれると、《風》が好きで元気な《風》の精霊が生まれる。
他には、波もたたない静かな泉が安らぐと思ったことで精霊が誕生すれば、《水》が好きな大人しい《水》の精霊が生まれる。
そういう意味では、プリメラの感性は精霊に近いとも言えるわけだ。
「プリメラがおすすめの温泉ってあるのか? ちょっと行ってみたいんだけど……健全な意味で」
ネイピアに睨まれたので慌てて弁明した。……むしろ露骨な健全アピールのせいで弁明になっていない気もするけれど。
「そうですねぇ……。公衆浴場は混浴ができませんし……」
「そこはこだわってないから」
思わずツッコミを入れたが、プリメラは真剣に悩んでいて聞こえてないようだった。
「でしたら、かつて水銀鉱山だった地下鍾乳洞の奥にあると言われている『メルキュリオの泉』というのは、とても興味深いですよ。今は、入口付近が水銀で埋もれてしまっていて、なかなか行くことはできなくなっていますけれど」
「……へぇ」
俺は思わず、微妙な反応しか返せなかった。
エレナとセラムも、反射的に俺に目配せをしてきていた。
何せ、メルキュリオは、666年前に人間界に連れて来られていた精霊の名前なんだから。
《水》のメルキュリオは、666年前の皇帝マクガシェルによって人間界に召喚され、そして、人間界の魔法文明の発展のために酷使されていた精霊のうちのひとりだ。
666年前のあのとき、俺が皇帝マクガシェルに叛逆して懲役666年をくらって、人間界と精霊界とを結ぶ『扉』を完全に閉じたとき、人間界に召喚されていた精霊のうち数名は、いったんは精霊界に戻ってくることができた。
だけど、人間界で蝕まれていたダメージは甚大で、結局、そのまま亡くなってしまう精霊も多かった。
……そんな彼女の名前が、人間界に残っていたのか。
もしかしたら、そこには何かしら彼女の名残があったりするかもしれない。
いつか絶対に、エレナとセラムと一緒に行ってみよう。
そう強く思った。
一方、プリメラの温泉に関する熱弁は続いていた。さすが温泉好きと言っていただけあって、普段の彼女よりもかなり饒舌だ。
「温泉と言えば、全体が火山でできている島――ゼガ島も、いい温泉があると聞きますよ。そちらも、あまり気軽に行ける場所ではないんですけど」
「ゼガ島?」
「帝都から北東に約200㎞。大陸の端からも20㎞は離れている北の海に浮かぶ、秘境とも言われている孤島ですよ。実は、島のことは私も詳しくは知らないんですけど、以前、何でだったか忘れてしまったんですけど、隊長さんが話していたんですよ」
「隊長って、ガルビデが?」
その名前が出てくると、少し重苦しい空気が俺たちを包み込んでいた。
教導士団の隊長だったガルビデ。俺が会話をしたのは数えるほどだったけれど、あの男がただの世間話をするとは思えなかった。
何より、あの男は、魔王ゼグドゥに身も心も乗っ取られていた。
そんな彼の、その発言、何か意味があるんじゃないか?
しかも、きっと魔王ゼグドゥに関することで。
「ゼガ島と言えば――」
と、ここでネイピアが話を挟んできた。
「私も最近、その名前を聞いたわ。数日前、ウーリルとルーエルと一緒に資料整理をしていたときなのだけど。何でもあの二人、今度ゼガ島に行くのだとか……」
ウーリルとルーエル――帝国軍に所属する双子魔法士だ。俺たちが666年ぶりに人間界に来たときに、『魔王封印の祠』を監視する役職に就いていたせいでいろいろと巻き込んでしまったわけだけど……。
ただ、それがきっかけで、双子はネイピアと仲を深めていっているようだった。
ネイピアの治世で楽をして出世したいと考えていたルーエルにとっては、願ったり叶ったりなのかもしれない。
「いったい双子は、何のためにゼガ島に行くんだ?」
「さぁ?」ネイピアは肩をすくめて、「というのも、ルーエルが一方的に愚痴をこぼしていただけなのよ。『ゼガ島に行かされる』って。彼女の愚痴はとても賑やかで、いちいちすべてを聞いてはいられないわ」
「あぁ、確かに」
俺は思わず納得していた。
ただ、帝国軍のウーリルとルーエルが、ガルビデの話にも出てきたゼガ島に行くというのは、妙に引っかかる。
俺はゼガ島について記憶に刻みながら、意識を実習に戻す。
実は、あまり世間話もしていられない状況だった。
前方50mほど、俺たちの行く手を阻むように、魔物の群れが現れたのだ。
次話の投稿は、本日の20:30を予定しています




