歪んだ《風》の流れる場所
2巻の16話です。
「エレナッ⁉」
名前を叫びながら両手を差し出して、倒れ込んでゆくエレナを支えた。
「大丈夫か? エレナ」
「…………ぅ」
弱々しい声。顔色が悪い。呼吸も荒い。
精霊に病気はない。発熱なんかも起こらない。だけどこれは、病気に罹っているようにしか思えない。
こんなこと、666年間で初めてのことだった。
いったい何が起こってるんだ?
「ジード――」
珍しくネイピアが俺の名前を呼んできた。
「ひとまず、ソファに寝かせるといいわ。下手に寮まで動かすより、ひとまずはね」
ネイピアが冷静に言ってきた。
その冷静さに助けられた気がした。俺は、ひとつ深呼吸を入れて、
「ああ、そうだな」
俺はエレナを抱き上げてソファに寝かせた。
「ぅ……ん」
エレナは、熱に浮かされたように呻いていた。
思わずエレナの額に触れる。いつもと変わらないエレナの体温。
魔力が減っているわけじゃない。今もちゃんと、精霊であるエレナが人間界で存在できるよう、俺の魔力としっかり繋がっている。そこに異常は感じられない。
そのとき、エレナに触れていた手がピリピリと、まるで痺れたような感覚に襲われた。
「うっ……。魔力の流れが、何だかおかしくなってるのか?」
俺が独り言のように呟くと、セラムが頷きながら言ってきた。
「何か、違うモノが混じってる」
「……違う、モノ?」
「詳しくは私も解らない。ただ、今は、エレナに混じりっ気のないジードの魔力を与えてあげてほしい」
そう言うセラムの声は、ほんのわずかながら、震えているようだった。
「解った。とにかく俺の魔力をエレナにあげればいいんだな」
「そう。そうすることで、エレナの体内にある異物の割合を薄める。そのあとは、エレナの体力勝負になるから問題ない」
「なるほどな」
こんなときでも、エレナへの軽口は忘れないセラム。お陰で、俺は少し落ち着けた気がした。
「それじゃ、まずは俺に任せろ」
俺は決意を込めてそう言うと、エレナの手をしっかりと握った。
「あら。貴方だけには、任せられないわね」
「え?」
ふいにネイピアが言ってきた、かと思うと次の瞬間、俺の手がエレナの手ごと『糸』に包まれてしまっていた。
これは、『風絆結束』だ――『糸』で結んだ相手に魔力を与える、ネイピアが編み出した新魔法。
その効果の高さは、俺自身も魔力を与えられたことがあるから、よく知っている。
あのときは――俺が帝都を浮かせるために魔力を受け取ったときは――まったくの他人同士をつないでいたっていうのに、そんな魔力の相性だとか個別の信頼関係なんて関係なく、大量の魔力供給を効率よく受け取ることができていたほどだ。
それを、信頼し合っているもの同士でつないだとしたら、その効果はどれほど向上してしまうのやら。
何より、エレナのことを助けようとしてくれるネイピアの気持ちが、嬉しい。
「少しでも、効率が良くなった方がいいでしょう?」
謙遜するようにネイピアが言った。
「助かるよ。ありがとう」
俺は素直にお礼を言いながら、さっそくネイピアの『糸』を介して、エレナに俺の魔力を注いでいった。
変化はすぐに見られた。
エレナの顔色が良くなってきて、呼吸も落ち着いてきた。
そして、まだ少し弱々しいながらも、俺の手を握り返してきてくれた。
「エレナ! ……大丈夫か?」
「おかげさまで、大丈夫だよ。……ふふ、ジードくんがそんな顔してるなんて、珍しいものを見られちゃった」
冗談めかして笑うエレナ。その口調は、エレナにあるまじき弱々しさだった。
俺は、咄嗟に返すことができなかった。
エレナのこんな表情の方が――こんな弱々しい声の方が、よっぽど珍しい。それどころか、初めて見たようなものだったから。
自分でも、動揺していることは実感していた。頭が上手く働かなくて、対処法がなかなか浮かんでこなかった。
それほどまでに、エレナが元気でいてくれることは、俺にとって大切なことだったんだと、改めて気づかされた。
「ジードくんってば、心配しすぎ。なんかちょっとボーッとしちゃってただけなのに」
「んなこと言っても、あのエレナが倒れるなんてこと、これまで全然無かったからさ」
「確かにそうかも……。ん? 『あのエレナ』って、どういう私なのかな?」
「そこは気にすんな」
俺は適当に流してから、
「そんなことより、話をしてて大丈夫なのか? 気分は、どんな感じなんだ?」
「ホント心配しすぎだよ、もう」
エレナは少し気恥ずかしそうに苦笑して、
「何か、急に目の前が真っ暗になって、何も見えなくなっちゃったんだ。それに、音も何だか遠くになって、ジードくんが声を掛けてくれてたはずなのに、それも頭の中で響いちゃってた感じになってて。それで気付いたら、このソファに横になってたの」
「つまり、人間で言うと、立ち眩みを起こして、軽く気を失っていたってことか」
「立ち眩み……って言うのがどういうのか解らないけど、急に目の前が、真っ黒な厚い布に覆われたみたいに暗くなっちゃったんだよ」
「なるほど。今は、もう大丈夫なのか?」
「うん……。まだちょっと胸の中がムカムカする感じは残ってるけど、別に痛いとか苦しいとか、気持ちが悪いとかは全然ないよ」
「そうか。……さっきセラムの話だと、何か、魔力に別のモノが混ざり込んでいるって話だったんだけど」
「あー、うん。多分そうだと思う」
「原因に心当たりがあるのか?」
俺がそう聞くと、エレナは弱々しい声のまま、いきなり「ふっふーん」と不敵な笑みを浮かべてきた。
一瞬なにごとかと身構えてしまった。
「実は私、見つけたんだよ。思わず気持ち悪くなるくらい、魔力の流れが歪んじゃってる場所をね」
エレナはそう言って、下を指さした。
次話の投稿は、本日(6/12)19:00を予定しています。




