覚醒ジード、人間界へ
第7話です。
第一章
一
666年ぶりの人間界が、すぐそこにある。
俺の生まれた世界に、帰る……
そのはずなのに、嬉しさは全然ない。
いっそ、精霊界での幸せなスローライフを邪魔されたことが気にくわなくて、さっさと問題を解決して精霊界に帰りたいくらいだ。
俺の帰る場所は、精霊界なんだ。
《扉》の先に広がっているのは、夜のような暗闇。
精霊界と人間界との二つの次元が触れ合う境界の異空間――『次元の狭間』だ。
互いの世界の魔力が激突するように入り乱れ、まるで強烈な嵐が吹き荒れているかのように、俺たちの身体を弄ぼうとしてくる。
正直、俺は666年もの間、精霊界での生活を送ってきて、かなり強くなったと自負していた。だけどこの状況だと、そんな自負は危険な慢心になりかねない。
「ふたりとも、もっと近くに寄ってくれ」
「うんっ」「喜んで」
エレナとセラムがギュッと身体を寄せてくる。
俺は改めて、ふたりの手を固く握った。
それにしても、これほどまでの酷い乱れようは想定していなかった。
全身が潰されそうな圧と、四肢を引き裂かれそうな激流。
666年前にここを通ったときは、こんなに魔力が乱れてなんていなかった。
それどころか、人間界の《扉》に入った瞬間、その勢いだけで精霊界まで抜け出てしまっていたくらい、あっさり通過できていたのに。
……まぁ、666年も経ってるんだ。むしろ、何も変わらない方がおかしいか。
それに、666年間も完全に封鎖していたところを、いきなり『扉』をこじ開けて入ってきたわけなんだから。
これから先、何が起こったって不思議じゃない。
ふと、進む先に、僅かな光が漏れているのが見えた。
あの先が、人間界だ。
すると、ふいに俺たちの目の前を塞ぐように、光を帯びた『網』が出現してきた。
まるで蜘蛛の巣だ。
俺たちの行く手を阻むように、同様の網が何重にも展開されている。
「まいったなぁ。666年も封鎖してたもんだから、妙な蜘蛛が巣を作っちゃってるじゃないか」
俺が冗談めかして言うと、エレナとセラムも、
「こりゃ厄介だねぇホントに」
「即刻駆除すべき」
と不満げに言ってきた。
この網の正体は、666年前、俺を精霊界に閉じ込めるために、マクガシェルが最後に掛けた封印魔法の結界だ。
史上最高の『ミスリル級』魔法士。その力量だけは認めざるをえない。666年経った今も、こうして何重もの結界が残るほどの力だ。
あの男は、ここでもまだ邪魔をしてくるんだな。
「さあ、とっとと掃除して先に進もう」
俺は敢えて口に出した。
ここで足止めされるわけにはいかない。
……それに。
どうも、ここにはあまり長居したくない。
魔力の荒れ具合が、不気味だった。
得体の知れない不安が、俺に付きまとっている。
「私の《風》で吹き飛ばしちゃおっか?」
「ここは《氷》で凍らせるべき」
エレナとセラムが同時に提案してきた。
「いや。こんな魔力の不安定な場所で精霊魔法なんて使ったら、何が起こるか解らない。ここは俺に任せてくれ。それにふたりは、人間界でどんな影響を受けるかも解らない。少しでも力を温存しておいた方がいい」
俺はそう言って、ふたりに先立って進んでいく。
そのとき、マクガシェルの結界が反応した。
蜘蛛の巣のように張られていた結界の糸が一斉に絡み付いてきて、俺の全身を縛り付けながら、そのまま一気に繭のように包み込んだ。
かつては史上最高と言われたマクガシェルの魔法……
だが、それは666年前のこと。
そして、普通の人間が使ったモノ。
今の俺にとっては──666年間も精霊界を生き抜いてきた俺にとっては、それこそただの蜘蛛の巣みたいなものだ。
俺は、軽くフッと息を吐いた。
パシュンッ!
破裂するように結界の繭が消えた。
魔力を込めた俺の息だけで、マクガシェルの結界が――かつての史上最高の魔法が破れていった。
その後も、何度も結界が取り囲んできたけれど、軽くあしらうように手を振るだけで、弾けて消えた。
……俺、強くなったんだなぁ。
そんなことを、しみじみ思う。
ただそれは、俺だけの力じゃない。
666年間の精霊界での生活――あのミスリルでさえ砂糖菓子みたいにボロボロになるような自然の中を生き抜いてきた。特に、エレナとセラムがいつも一緒に居てくれて、いろいろ付き合ってくれたお陰なんだ。
だからこそ、俺はマクガシェルよりも圧倒的に強くなれた。
そう思うと、なんだか俺は、ここの結界を断ち切っただけでなく、もっと重い呪縛のようなものも断ち切れたように感じた。
「これで結界は全部だ。ここを抜けたら人間界だぞ」
目の前には、人間界の光を漏れ出させている、《扉》の出口。
「それじゃあ行こっ」
「どこまでも一緒に」
エレナとセラムが、俺の手を握ってくる。
その温もりを改めて実感するように、しっかり握り返した。
次話の投稿は、本日19時30分を予定しています。