666年前 ~初めての精霊界~
第41話です。
第四章
一
朝起きて、エレナとセラムにキスをして、そしていつものように騒がしくなって、隣のネイピアに怒られる。
そんな日常ができ始めていた、ある日の夕方。
授業を終えて生徒会用の寮に戻って来ると、玄関先にネイピアが立ちはだかっていた。
「申し訳ないのだけど、貴方たちの部屋は別の場所に移動してもらうことになったわ」
と、まったく申し訳なく思ってなさそうにネイピアが言った。
「あぁ、解った。元々、臨時で使わせてもらってただけだしな」
俺の言葉に、エレナとセラムも頷く。
「代わりの場所は既に用意してあるから、そっちに移動してもらえるかしら。そこにある物は、好きに使ったり処分したりして構わないから」
「あぁ、助かるよ」
俺たちは、今の部屋の荷物を纏めてから、指定された場所へと向かった。
「納屋じゃん」
そこにあったのは寮ではなく、それどころか人が暮らすような建物ですらなかった。
オンボロの、隙間が開いて傾いている木造の納屋が、ポツンとあった。
「ここに、住むのかぁ……」
さすがのエレナも、ポカンとした様子で納屋を見つめていた。
「学園の校舎まで、徒歩10秒」
セラムは冷静に立地を分析していた。
まぁ確かにな、これは校舎の裏に建ってる納屋だもんな。登校するには便利な場所だ。
それに広さも、生徒会の寮の一室と比べたら5倍以上ある。一般市民の一軒家と比べても2倍くらいはある。
だからって、ここまでボロボロの、ちょっとかび臭くもある納屋となると……。
そこでふと、俺は懐かしい光景を思い出していた。
それは、666年前の……。
「……ふふっ」「ふっ」
ふいに、エレナとセラムが同時に笑いを漏らしていた。
ふたりは顔を見合わせてから、エレナが口を開いた。
「何だか、666年前のことを思い出しちゃった。ジードくんが精霊界に来てくれて、そして初めての夜を過ごしたときのこと」
「あぁ、やっぱりか。俺もあの時のことを思い出してたんだ」
そう言うと、セラムも頷いていた。
みんな同じことを思い出していたんだな。
「精霊界に来たジードには、住む家なんて無かった。元々、精霊たちにとっての『家』は、自分が生まれた場所に自然と発生するものだったから」
「あぁ。だから人間の俺は、魔力が溜まりづらい辺鄙な場所をもらったんだよな。ボロボロになった枯れ木が積まれてて、毒の沼があるような場所だった」
そのときの様子と、今のこの状況が、重なって見えたんだ。
俺は、666年前のあの光景を思い浮かべていた。
俺たちの、始まりの場所――
※※※
「ジードくん、ようこそ精霊界へ!」
「ジード、熱烈歓迎」
エレナとセラムが、俺を誘い入れるように両手を握っていた。
666年前のあの日――
『扉』を超えたその先で、俺は、ふたりに支えられるようにして、丘の上に立っていた。
ただ茫然と、辺りを見渡していた。
目の前に広がっている、この景色が、精霊界なんだ。
そこは、見渡す限りの大草原だった。
青々と茂る草木と、色とりどりの花たち。
そして、深く澄んだピンクの空に、真っ赤な雲。
目に痛いくらいの、精霊界の大自然だった。
「……なんか、すごい色をしてるなぁ」
『青々とした草木』とは言うけれど、本当に『青色をした草木』を見たのは初めてだった。
「そぅお? 私たちにとっては普通なんだけどね」
エレナが楽しそうに言う。
「恐らく、自然における魔力含有量の違いが見えているだけ」
セラムの説明に、
「「へぇ、なるほど」」
俺とエレナの声が重なっていた。
俺は思わずエレナの顔を見やりながら、
「……エレナも知らなかったのか?」
「え、えへへ。私、勉強とか苦手だから」
「そうなのか。……じゃあ、詳しいことはセラムに聞いた方がいいんだな」
俺がそう言うと、セラムはスンと背筋を伸ばしながら、
「私を頼ってくれればいい」
と言ってきた。
その格好が可愛らしくて、そして本当に、頼もしかった。
「ありがとう。本当に、頼りにしてる」
「ん」
セラムは短く頷きながら、キュッと俺の手を握り返してきた。
ひんやりと冷たくて、気持ちいい。だけどなぜだか、ほんのり温かい。
「ジ、ジードくん! 私のことも頼っていいんだからね! 私、セラムちゃんよりお姉さんだし!」
「え? あ……お、おう。ありがとう」
急に迫られて圧倒されながら、お礼を言う。
すると今度は、セラムが俺の耳元に顔を迫らせてきた。
「エレナは今年、34歳。お姉さんというより、おばさん」
さらっと酷いことを言う。
「セラムちゃーん? 聞こえてるよー? 精霊と人間の年齢を一緒にしないで!」
「さすが《風》の精霊。なんでも聞こえる、耳年増」
「それ意味が違うし! ただ『年増』って言いたいだけでしょ?」
「もちろん」
「わ、正直だ!」
そんなやりとりに、俺は思わず笑っていた。
このふたりの会話は、聞いているだけで楽しい。
お互いに、相手を信頼しているのが伝わってくる。
……俺は、そんな会話を、誰ともしたことがなかったけれど。
ただ、今は、自分もその輪の中に入れている気がした。
というか、さっきからずっと、俺たちは手を繋いだままだった。
そう意識すると、何だか一気に恥ずかしさが増幅した。
「えーと、もう手を離しても大丈夫だよな、ごめん……」
「「ダメ」」
ふたりの声が揃い、しっかり握り直してきた。
その予想外の力強さに、俺は戸惑いながらふたりの顔を見やっていた。
セラムが冷静に説明してくれた。
「ここは精霊界。私たちの魔力を使って護っていないと、ジードは死ぬ」
「あっ……」
思い出した。
精霊界に放り込まれて死んでいった、数々の実験結果。
俺は今まさに、それと同じ状況に囲まれているんだ。
次話の投稿は、本日の20時30分を予定しています。




