666年の時を越えて、届く
第32話です。
再度、ネイピアにひどく叱られてから。
図書館のエントランスを通過して、奥にある会議室へ向かう。
みんなが室内に入ると、ネイピアが《風》の防壁を展開していた。これで、外に声が漏れることは無い。
室内には、前もって数十冊の書籍が準備されていた。
「私の調べた限りで、有用そうな史料を集めておいたわ。もっとも、666年前について書かれた史料については、その信憑性が非常に怪しいのだけど」
「だろうな」
俺が魔王にされてる時点で、だいぶおかしい。
改めて見てみると、この国の『歴史』は酷かった。
想像はしていたけれど、その想像を遥かに越えるほどだった。
延々と、『賢帝マクガシェルの功績』とかいう空想物語が記されている。
子供向けの絵本も、人気戯曲のストーリーも、そして歴史の教科書も……。
そこに記されている内容は、昨日ウーリルから聞いたような、反吐が出そうなほどの嘘の歴史だった。
『悪霊を使役した悪の魔王を封印した』だとか……
『人間の文明を破滅させた魔法戦争』だとか……。
しかも、なぜかその中には、妙に大きく的を外している解説もあった。
『この伝説は、当時の最強の魔法士を決める決闘を記したものとされている。そして、敗れた魔法士は魔王とみなされ、蔑まれることとなった』とか……
『皇帝による魔法封印の術が功を奏し、この政争の決着を決定づけた』とか……
……まぁ確かに、俺は封印魔法を喰らっていたけど、あれは単なる口封じのためだ。
それに、功を奏するも何も、俺はそもそも魔法が使えないっていうのに。
どこが『最強の魔法士を決める決闘』なんだか。
そういう間違いを見つけると、無力感のようなものを感じつつも、なんか笑えてくる。
それでも、どこを見ても「賢帝最高!」とか「賢帝こそ正義!」なんて言われているのは、やっぱりキツい。
こんなものが、この世界の歴史として伝えられ、そして学校で教えられているなんて。
ネイピアが、忌々しげに言う。
「帝国の歴史には裏がある。勝者たる皇帝にとって都合の良い歴史のみが、この国の『正しい歴史』になり、『常識』となり、それこそが『真実』となる」
確かに、その通りだ。
勝者のみが後世に歴史を残していき、敗者は歴史から消える……あるいは悪として書かれ、貶される。
そういう意味だと、皇帝マクガシェルが『賢帝』となって、俺が『魔王』となったことだって、歴史的には当然のことなんだ。
もちろん、だからと言って、こんな歴史の改竄を認めるわけないけれど。
「一方で、帝国図書館は、多くの勝者の歴史を残すだけでなく、数少ない敗者の歴史も保管しているわ」
「あぁ。この帝国で刊行されたすべての本を収納する、それが、この帝国図書館の使命だ」
俺が帝国図書館の理念を言うと、ネイピアも頷きを返して、
「ちなみに、資料が処分されないよういろいろ頑張りすぎたせいで、職員ですら全ての本を把握できなくなっていて、闇に眠っているままのモノも多いという……」
「……はは。本末転倒だな」
思わず笑いが漏れる。
だけどネイピアは笑っていなかった。
「その中に、ジード・ハスティについての資料も残されていたのよ」
「……それって、『魔王』としてじゃなくてか?」
「ええ。そもそも、魔王の名前なんて史料には残されていないのよ。いくら調べても『魔王』としか出て来ない」
「え? ……でも昨日は、歴史マニアだったら魔王の名前を知っているって言ってたけど」
するとネイピアは、力強く断言した。
「あれは嘘よ」
「……へ? 嘘? どうしてそんな嘘を?」
ネイピアは、言いづらそうに視線を逸らして、
「……それは、あの場所で、私が貴方の名前を知っている本当の理由を、知られたくなかったから、仕方なく」
「うん? じゃあ、その本当の理由って何なんだ?」
俺が聞いても、すぐに答えは来なかった。
ネイピアは、「ハァハァ」と息が荒くなっていて、何度も深呼吸をしている。
苦しそうで、乱れた髪の隙間からは耳まで真っ赤になっているのが見えた。
俺たちは、静かに彼女の言葉を待つ。
そしてついに、ネイピアは大きく息を吸って、言ってきた。
「……わ、私! 貴方の論文のことが大好きなのよ!」
「…………ぇ」
あまりに予想外の一言だった。
声が出なかった。
……本当に?
嘘じゃなくて?
そう聞きたいのに、聞くことすらできない。
だけど、すぐに、そんな質問をする必要は無くなった。
「貴方の基礎魔法理論の論文は、最高よ! あの論文たちのお陰で、私は魔法の力を飛躍的に伸ばすことができたの! 今の私があるのは、全部、貴方が残してくれた論文のお陰なのよ!
ありがとう!
本当に、本当に感謝してもしきれないんだからねっ!」
そんなことを早口で言ってくるネイピア。
その目は、とてもキラキラ輝いていて。
まっすぐ俺のことを見てきてくれて。
そして、俺のことを、認めてくれていた。
するとネイピアは、少しだけ落ち着きを取り戻しながら、話を続けた。
「特に、『魔力効率の最適化に向けた魔法陣展開論』は、何度も何度も読み返したわ」
そう言ってネイピアは、机に置かれた冊子の中から一冊の本を取り出した。
それは確かに、俺が書いた論文──『魔力効率の最適化に向けた魔法陣展開論』だ。
日に当たることがなかったんだろう、紙も白くて綺麗なままだった。
いっそ、ほとんど読まれていないんじゃないかっていうほど、新品同然の状態だった。
するとネイピアが、その隣にもう一つ冊子を置いた。
こっちは汚れてボロボロで、何ヵ所もつぎはぎのようになっている。
そっちも表題は『魔力効率の最適化に向けた魔法陣展開論』だった。
だけど、それは俺の字じゃない。
「本物の方は、地下書庫の隠し部屋にこっそり保管しておいたのよ。だって、素手で触るのも恐れ多いんだもの。だから私は、写本を作って読んでいたの」
「……ぇっ」
言葉が出てこなかった。
何度も修復されているボロボロの写本。ページ数は200を越えているのに。
「……ちゃんと、読んでくれてたんだな」
写本を作るほどに……ボロボロになっても直して読むほどに、読み込んでくれてたんだ。
「当然でしょう!」
ネイピアは、弾けるような笑顔を見せて、
「この論文は、《風》の情報集能力を駆使して見つけ出した、最高の論文なんだから!」
まるで自分のことのように、誇らしく、そう言っていた。
この論文は、名称の通り、魔力効率の最適化についての俺の研究や仮説を集めたものだ。
より少ない魔力でも、最大限の効果を発揮することができるよう考察していた。
魔法陣の大きさや太さ、それに角度、さらには、呪文の文言や、声の大きさ、語気の強さ等々……
……つっても、俺自身は実践することができなかったし、マクガシェルはこんな理論を試すまでもなく他者を圧倒してたんだけど。
そのくせ、666年経った今は、途轍もなく非効率な魔法が蔓延していた。
まるで、敢えてこの理論を無視しようとしているんじゃないかと思えるほどに。
それは逆に言えば、この現状で俺の理論を実践できれば、そいつの魔法は抜きん出て強くなることになるはずだった。
それを、ネイピアは実践してくれていたというわけだ。
机の上には、この論文の他にも、『血流と魔力回路との関係性についての一考察』や、『生命力を魔力に転換するための実験的仮説』等々が並べられていた。
自分でも渾身の出来だった論文から、自分ですら半信半疑の希望論満載だった論文まで、いろいろと。
どれもこれも懐かしい。
……そういやネイピアは、『結界冷凍保存法』も読んでくれていたんだよな。ちょうど『血流と魔力回路との関係性についての一考察』の冊子に含まれている論文だ。
魔法の全く使えない俺が研究して、デタラメ呼ばわりされていた論文を、ネイピアはしっかり読んでくれていたんだ。
「666年前に、俺がやっていたことは、無駄じゃなかったんだな……」
想いが声になって溢れていた。
かつての俺の声は、完全に封じられた訳じゃなかったんだ。
ちゃんと、誰かに届いていたんだ。
666年の時を超えて――
この、目の前で微笑んでくれている少女に、届いていたんだ。
思わず嬉しくなって、もう、堪えきれなかった。
涙がボロボロと、とめどなくこぼれ落ちる。
ふと、エレナとセラムが、俺の手をそれぞれ握ってくれていた。
突然のことで困惑しながら左右を見ると、ふたりとも、とても穏やかに微笑んでいる。
というかエレナは、微笑みながらも、俺よりも大粒の涙をボロボロと流していた。
「ジードくんが凄いってこと、私たちはとっくに知ってたもんねー」
その涙を隠すことなく、誇らしげに言ってくるエレナ。
「今更になって気付いた人間界は、666年も遅れてる」
セラムも誇らしげに胸を張っていた。
……そうだよな。
俺のことを最初に認めてくれたのは、セラムとエレナだもんな。
今もこうやって、自分のことみたいに喜んでくれるんだもんな。
このふたりには、何度惚れ直しても惚れ足りない。
大好きだ。
「……ありがとう。エレナ、セラム」
666年分の想いを込めて、伝える。
そしてもう一人――
666年分の想いを込めて、伝えなくちゃいけない。
「ネイピア、本当にありがとう」
涙声になっていた感謝の言葉。
エレナとセラムとネイピアが、さっと目配せをし合っていた。
そして、
「「「どういたしまして」」」
3人の声が重なって、俺の視界は笑顔に包まれていた。
次話の投稿は、本日の20時30分を予定しています。




