新しく始まる、日常の風景
第31話です。
四
「……貴方たち、つい先刻、私が忠告したことをもう忘れたのかしら?」
帝国図書館前に行くと、ネイピアは不快感を露に言い捨ててきた。
「……あ」
今、思い出した。
そして、両腕にしがみ付いたままのエレナとセラムに離れてもらった。
だがもう遅い。
俺たちは、直立不動になってネイピアの説教を受けた。
「私はこう言ったわよね? 建前であっても、不純異性交遊のようなことをして面倒事を増やさないようにって」
「はい。言っていました」
口調も思わず敬語になる。
「さっきの態度は、何?」
「はい。純粋な異性交遊です」
「そういうことを言ってるんじゃないわよ。……はぁ。退学にするわよ?」
「それは、困る――」
つい本気のトーンで返していた。
「つーか、そもそもこんな状態になったのは、ネイピアが俺たちのことを同じ苗字で呼んだからだぞ。そのせいで、ふたりは妙なスイッチが入っちゃったものだから……」
「はぁ。そんなことで、規律を無視するほどスイッチが入っているようじゃ……」
ネイピアは突然、言葉を途中で切ると、
「……今の発言は訂正するわ。貴方たちにとって、同じ苗字であることは『そんなこと』では済まされないということだものね。失礼な物言いだったわ」
と、発言を訂正して謝ってきた。
てっきり反論がくるだろうと思ってたから、拍子抜けした。
ネイピアは、途轍もなく律儀というか、真面目な性格をしているみたいだ。
「いや、まぁ正直言って、俺たちもどこか浮かれちゃってるからな。俺たちも気を付けるけど、また何かやっちゃってたら厳しく指摘してくれ」
「言われなくてもそうするわ──」
ネイピアは、当然だとばかりに言った。
「──あ、そういえば、クラスにはあまり馴染めなかったみたいね。一部始終を《風》の便りで聞いているわ」
「あれは、俺たちにとっては不可抗力だったんだけどなぁ」
俺は不服を訴えるように溜息を混じらせた。
するとネイピアは可笑しそうに声を弾ませて、
「解ってるわよ。私も別に、貴方たちが面倒事に巻き込まれることは一向に構わないもの」
「は?」
「今回も、いつも私が受けているような面倒事を貴方たちが受けてくれて、感謝しているわ」
「うわ、そういうことかよ」
つい苦笑した。
ネイピアは、いつもコルニス派に絡まれて、そしてネイピア派には担がれてるんだろう。
俺たちよりも面倒な立場――当事者として。
「これで、私が授業に出ない本当の理由が解ったでしょう?」
ネイピアはそう言って、皮肉っぽく笑っていた。
ただ、それはどこか、寂しそうにも見えた。
「さて、貴方たちと話をするのは、この帝国図書館が最適でしょう」
ネイピアが本題を進めた。
「あぁ。俺たちも、調べ物をしながら話せた方がいいと思っていた。現代のことも知りたかったし、ありがたい」
帝国図書館は、市民用の図書館とは別に造られた施設で、ダインマギア帝国の建国以来、あらゆる書物を保管・研究している。
もちろん666年前にも存在していた。
ここは、表に見えている建物自体はあまり大きくないが、その地下には膨大な空間が広がっている。
その地下書庫こそが、この図書館のメインだ。
かつて魔法理論学の研究をしていた俺にとっては、職場みたいなものだった。
言い換えれば、引きこもり場所だ。
この図書館は、当時から既に年々拡張を続けてきていて、誰もその全容は解っていないと言われていたほど……。
果たして666年経って、どんなことになっているやら……。
思わず心が躍り出す。
「……人間界の、本」
そしてもうひとり、図書館を前にして興奮しているものが居た。
セラムだ。
精霊界にある全ての書物を読破して、さらに自分でも書いたりするほどの無類の本好き。
そんなセラムは、人間界の図書館を前にして、普段の冷淡な口調がさらに冷淡に、無感情のようになっていた。
その表情も、まるで仮面のように固まったまま。
実は、感情を出すのが得意じゃないセラムは、楽しい気持ちを反射的に押し殺そうとすると、こんな顔になってしまうのだ。
もし、同じくらいの喜びをエレナが表現するとしたら、文字通りに垂涎しながら「ぐへへー」と笑っているくらいの感情になっている。
……改めて比較すると、エレナはエレナで感情の出し方がヤバいんだよな。
さておき。
「本、たくさん読めると良いな」
「ん」
セラムは嬉しそうに高速で頷いた。
そうか、そんなに楽しみか。
「じゃあ、早く行こう」
俺はセラムの手を引いて、図書館に向かっていった。
「あっ。セラムちゃんだけズルい! 私も私も!」
すかさずエレナが、反対の手を掴んできた。
結果として、俺はエレナとセラムに両手を掴まれてしまって――
「……貴方たちは、私の言葉を覚えられないの?」
――ネイピアに首根っこを掴まれてしまった。
次話の投稿は、本日の19時30分を予定しています。




