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明日への希望を繋ぐ『糸』

新章37話――最終話です

 5


 命の恩人――

 世界の救世主――


 彼のことを何て呼んだらいいのか判らない。

 ただ、彼は今、死に向かって着実に進んでいる、そのことだけは痛いほど判る。


「ルートボルフ! 皇帝!」


 俺は何度も叫んだ。なのに、反応がない。

 彼の心臓は、もう存在しない。


 むしろ、そんな彼を霊装の《氷》で凍結していたのに、そこから動けたこと自体が奇跡だった。

 心臓も、魔力回路も動かなくなっていたはずなのに、そこから動いて、『糸』をたぐりよせて、そして、最後の力を、俺たちに分け与えてくれた。


「……助けてよ」


 弱々しい、女性の声。

《風》の中で消え入りそうなほど小さく、震えた声。


「……助けて。父を助けて、お願い」

 ネイピアの声が、痛い。

「ジード。前みたいに言ってよ。心臓が無くなったくらいじゃ死なないって……ねぇ」

「…………」

「こんな、誤解を謝れないまま別れるなんて、嫌よ……」


 ネイピアの言葉に、誰も、答えることはできなかった。

 今の俺には、何の魔力も残っていなかった。


 俺だけじゃない、エレナも、セラムも、そしてネイピア自身も、もはや魔法の一つすら撃てない。

 新しい心臓は作れない。

 作れたとしても、ネイピアの位置からゼガ島まで運べない。

 ゼガ島まで心臓が運ばれたとしても、手術をするには2つの霊装が必要だ。その力を発揮できるほどの魔力が無い。


 魔力も、心臓も、無いんだ……


 ……………………本当に、そうか?

 諦めきれない。俺は思わず辺りを見渡していた。


 どこからか魔力を集められないか?

 どこかに心臓の代わりになる物は無いか?


『糸』は無いか?

 どこかに繋がってないか?


 ヒトじゃなくてもいいんだ。何か心臓の代わりになるモノは……。


 そのとき、視界の隅をかすめるように、漆黒の『点』が横切っていった。思わず弾かれたように視界を戻す。

 そこにあったのは、『穴』――『次元の狭間』への入口だ。

 まだ空いたままになっていたんだ。

 あんな危険なもの、早めに閉じておかないと……。

 そこまで考えて、ひとつ閃いた。


 ……その方法なら、行けるかもしれない。

 だとしたら、あと必要なのは『糸』だけど……。

 ……なんだ、あるじゃないか。


 これで揃った。

 ルートボルフを助ける手段は、ここにある。


「ネイピア、よく聞いてくれ」

「いやよ聞きたくない!」


 ネイピアは怯えるような声で叫んでいた。

 どうやら誤解させてしまったようだ。


「違うんだ、そういう意味で言ったんじゃない。今から俺の言うことを聞いてほしいんだ」

「…………」

 無言を肯定と捉えて、俺は言った。


「心臓が無くなったくらいで、死なせるもんかよ」


「…………ぇ」

 ネイピアが消え入りそうな声を漏らす。


 何を言われたのか、ちゃんと理解してくれていただろうか。

 でも、今はその確認を繰り返すような時間は無い。

 むしろネイピアに伝えるのも時間の無駄と言われたらそうなんだろうけど。

 でも、そこは気持ちの問題だ。心の持ちようで、魔法はいくらでも強くなる。

 ネイピアを喜ばせたいという想いが、俺の力になる。


「エレナ、セラム!」

「うん」「ん」


「作業工程は単純だ。俺から心臓を取り出して、それをルートボルフに移植する」


「うん! わかっ……えっ⁉」

 エレナが返事をしてから遅れて困惑していた。


「それだと今度はジードが死ぬ」

 セラムが怒ったように言ってきた。


「いや、死なないさ」

「魔力が足りないから死ぬ。その状態で心臓を取ったら魔力回路も働かない。そもそも霊装を使った手術もできない」

「大丈夫だよ」

「そうは思わない。この孤島で魔力の調達は無理」

「そりゃまぁ、ここの地図を見たら孤島だろうから大変だろうけど、ちゃんと近くに繋がってるところがあるじゃないか」


「ここの地図……近くに繋がっている……」

 セラムは俺の言葉を抽出するように呟いていた。

 そしてすぐに、セラムにとってはらしくないほど目を見開いて驚いていた。


「『次元の狭間』――その先にある、精霊界に援助を求める⁉」


 そのセラムの言葉を受けてエレナも驚きながら、

「で、でも、そんなことができるの⁉」

「できるさ――」


 俺は思い切り断言した。

 俺には、ひとつ確信を持って言えることがあった。


「だって、いつも近くに居るんだろ? 精霊王イルミテ!」


 俺がその名前を呼ぶと、エレナもセラムも、目を大きく見開きながら固まっていた。


「……気付いておったか、ジード」

 声が響く。

 それは確かに精霊王イルミテの声だ。

 ただ、声はすれども姿は見えない。『次元の狭間』の陰から、こちらを見ながら話しているんだろう。


「気付くもなにも、あのメルキュリオの泉にも、何度か足を運んでいるみたいじゃないか。あそこに魔石、落ちてたぞ」

「……なるほど」

「確かに精霊王ほどの力があれば、俺でもできるような『扉』の移動も不可能じゃないだろう。だけど、その頻度によっては、精霊王自らが世界の境界線を歪ませていた危険も出てくる。その責任は感じてもらわないとな」

「脅すつもりか」

「別に結果が出せれば何でもいいさ――」

 俺は強引に話を切り替える。


「人間界の皇帝であるルートボルフを救いたい。そのために力を貸してほしいんだ」

「なぜ、精霊が人間の命を救うために力を貸さねばならぬのか」


 そんな精霊王の言葉に、エレナもセラムも哀しそうに俯く。

 人間と精霊との対立。それは666年が経とうとも、簡単に変わるものじゃない。

 精霊は、人間を忌み嫌っている――むしろ恐怖しているんだ。

 恐怖を抱いているものに対して「仲良くしよう」とか「歩み寄りしよう」などと言ったところで見当違いになってしまう。

 だから、精霊と人間の関係は、もっと語り合わないといけないんだ。


「精霊と人間とが協力関係を作っていくためには、精霊社会も、人間社会も、今よりもっと良くしていく必要があるだろう。そして、人間社会を良くするためには、ルートボルフが必要なんだ」

「…………」

「ここでルートボルフが亡くなるのは、人間界にとっての大きな損失だ。それは必然的に、精霊界にとって人間界が交渉に値する存在になる可能性が遠のくことでもある」

「人間界を、より良くか」

 精霊王は、考え込むような声で呟いていた。


 そもそも、精霊界が人間界を見ている目は、「犯罪者」であったり「野蛮・低俗」であったりと、666年前のマクガシェルにすべて集約されているようなものだった。

 さすがに、666年前の復讐として今の人間界を襲い返す、なんてことを考えていることはないけれど。


「ならば、判った――」

 イルミテは、少し考え込むような口調ながら、

「ジードに魔力を供給することについては、協力しよう。その魔力をどう使うかについては、ジードに任せたい」


 また回りくどいことを言っている。

 でも、今はそれで十分だ。


 これは人間と精霊とが歩み寄る、大きな一歩になっただろう。

 それこそ、もしゼグドゥが言っていた俺の出生が本当だったら――精霊と人間とのハーフだったら――こういう橋渡しの仕事こそが天職なのかもしれない。

 ……ゼグドゥに言わせれば、それも『孤独で不遇な境遇』ってことになるのかもしれないな。

 そのことに不満を持ち続けるのも、それを武器にして前に進むのも、自分次第――いや仲間次第でもあるか。

 ……俺は、本当に仲間に恵まれている。


「行くぞ、エレナ、セラム! 俺たちにならできる!」

「うん!」

「当然」

 エレナとセラムが霊装になる。そこに、精霊王イルミテからの魔力供給を受けていく。


 能力は万全になった。

 あとは、自分のできる最善をやっていく。


 精霊王の力を受けた俺たちが、人間界の皇帝を救うのだ。

 それが俺たちにできること――俺たちにしかできないこと。

 何より、俺たちのやりたいことなんだ。


 精霊と、人間とが、等しく仲良くいられますように。


 666年前から、ずっと抱き続けている想い。

 その想いが、俺とエレナとセラムだけじゃなく、みんなに広がっていくように。


 ここから、人間と精霊との関係は、また一つ新しく始まっていくんだ。

 10年でも。

 100年でも。

 666年でも――。

新章の投稿は、以上で終わりです。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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