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科野から深野、小海、山代を抜ける間に、すっかり秋といえる景色ができあがっていた。山は下界よりも一足先に季節を迎えるので、葉を赤や黄に衣替えした木々も珍しくはない。
隠里から従ってきたのは、刀良と魚吹の中年を手始めに、血の気が盛んな若者二人だった。
途中、一行は街道を避けて、脇の山道を辿ったが、ヤマトの侵攻で焼け野原となった村々を幾度となく目にした。しかし、そのことに心を痛める暇すらも、惜しいものだった。
ようやく街道に降りた時には、急峻な峠の道がこのような場所に至っているのかと疑いたくなるほどの、広大な道となっていた。それぞれの大路には辻が走っており、市は活気に溢れている。そこには、見たことのない品が方々から集められていた。
「まずは、お召し替えを」
一亀が、雑踏に顔をしかめながら言うので、古志加は声を立てて笑った。
「なぜお笑いになる。このようななりでは、宮の門を叩けません」
「たしかに、そうかもしれないわ」
「姫が笑うところなんて、初めて見たかもしれない」
白兎は目を丸くした。
「あら、そう」
朝夕は肌寒く感じるものの、久々に山を出ると、日差しのありがたさが身に染みた。陽気に誘われるように、古志加も自然と足取りが軽やかになり、頬が上がるのだった。
それでも、人目をはばかって歩いているのはたしかで、心から都の賑わいを楽しむことはできない。行きかう人々と目が合うような気がして、古志加はあえて、焦点を定めずに景色を眺めた。
「――にしても、替えの衣など、どうやって求めるの。引き換えにできる品など、何もありはしないというのに」
傍らを歩く一亀を見上げると、彼はわずかに眉を跳ね上げた。
「剣とでも取り替えてしまえばいいでしょう」
「まあ、なんて」
古志加は反論しようとしたが、魚吹がその隙を与えずに口を挟んだ。
「そのようなもの、都でいつまでも腰に下げているわけにはいかんからな。だが、渡の民の品では足が付く」
「そのための、こいつさ」
待ってましたとばかりに、若者が一行の先頭に走り出る。
「申し訳程度だけど、里から母ちゃんの簪を借りて来たんだ。ずっと大切にしていたものさ」
差し出されたそれを手に取ると、鹿角に美しい細工が凝らされているのが分かった。
「佐流、これは、大事なものではないの?」
古志加が問うと、彼はにっと歯を見せた。
「いいや、いつまであっても仕方がないから」
「火事場泥棒したんじゃねえのか」
「真桑のやつめ」
小突きあう若者たち見やりながら、刀良は言った。
「魚吹の言うことはもっともだ。佐流の母者の簪を使わせてもらうとしよう。得物は、布にでもくるんで背負ってしまうことだな」
一行は人気のない辻に入って、その言葉通りに支度をした。
『――来る』
ふいに、女人の声が古志加を打った。
「――来る、来るわ」
今更ながら気付いたことに、古志加のみならず、その場の男らがみな舌を巻いていた。
雑踏の中から、一人また一人と滑り出てくる影。――いつの間にか一行は、十ほどの敵に取り囲まれていた。覆面をした彼らは明らかに、大路にたむろする烏合の衆でなかった。
(身のこなしが、手練れているのだ……)
喧嘩のいろはも知らない古志加だったが、彼らが、一亀や白兎にひけを取らない兵なのだと見当を付けた。
「玉の里の者が、こんなところまで」
中の一人が言う。
「そなたたちは」
古志加は後ずさりながらもすかさず問うた。
「われらが将、大若子命の『耳目』、とだけ」
古志加は、歯を食いしばった。父にも、そういった手先がいたことを思い出したのだ。
(――そうだ、ヤマトが見張りも立てずに里を去るなどあり得ないのだ)
「まさか、ここまで待たされるとは思わなかったが」
ふいに、一亀が口を開いた。
「追ってきているのは知っていた。わたくしたちは、他でもない大王にお話があって旅をしてきました。玉の里の者の手を借りて……いや、わたくしたちこそ、玉守の一族。隠里を楯にして、真の巫女姫を隠してきたのです」
思わぬ返り討ちに、明らかに男らはたじたじとなった。
「――真の、巫女姫だと」
「ええ」
古志加はあごをそびやかした。
「あなたたちが連れ去ったのは、わたくしの『つなぎみ』。わたくしこそが、真の玉の巫女姫、衣世です」
「ふうむ」
中の頭目と見える一人が、考え込むようにこちらを見た。
「それならば、偽りの姫を見過ごしておけばよいものを。『つなぎみ』を立てる意味がないのではないか」
「いいえ。玉の力が発動せねば、今度もまた罪なき乙女が命を落とすことになる。隠里の民を無駄死にさせてしまうことになる。どうかと思ったのです。――このあたりで、玉を取り戻してはどうかと」
古志加が進み出ると、予想外のことに、覆面の男らは顔を見合わせた。
「さあ、宮に連れていきなさい」