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繋身  作者: 紫子
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6

 古志加は、木立がまばらになった辺りで、眼下に広がる里山を見下ろした。遠くで立ち昇るのは、村があった跡だろうか。それに気が付くと、冷たく横たわる不安が、鎌首をもたげた。それでも今、古志加の中にはかすかに予感があった。

『――ヤマトの軍勢は、近くにいる』

 五色の女人の声は、どこからともなく響くのだった。耳元に海鳴りがまとわりつき、わずかな潮の香が辺りに満ちる。その一時は、自分がどこに身を置いているのかすら、おぼつかなくなる気がした。

「ヤマトの軍勢は近い」

 亡国の後、辿った深山の道筋は険しく、古志加は痛む身体をかなり鞭打っていた。それでも、一亀や白兎に轡を取られた馬に始終揺られていただけといえば、そうだった。片や、交替で古志加の馬を引く二人は、休息を取るといっても、うたた寝することすらできなかっただろう。

「こりゃあ、高見の見物ですなあ」

 旅の間に、白兎は古志加を姫だなどとは考えなくなっているかのようだった。馬上の少女を見上げて、彼はけたけたと笑った。

「どうだ」

 後から追ってきた一亀は、竹筒を差し出しながら言う。

「姫も、どうぞ」

 冷えた水は、のどを伝い落ちて、身体のすみずみまでを潤してくれた。

「兄者、戦はまだ近いと見えます」

 興奮を秘めた口調で、白兎は言った。

「そうか」

 一亀は、濡れた口元をぬぐいながら受け合った。

 斜面を下った先は薄の原となっており、切り開けた空は、暗く陰っている。吹き付ける風は、肌に当たると少し冷たい。秋が迫っていた。

「上手くヤマトの手勢と行き会えたとして、やすやすと受け入れてもらえるとも思えないのだけれど」

 古志加のつぶやきを耳にすると、一亀はあきれかえったようにこちらを見た。

「簡単にいくわけのないことくらい、重々承知ですよ。それでも、異国の土地で軍兵を募るよりは、現実味があると思います」

「それにしても、なぜおまえはあの女人に気づいたのか」

 ずっと不思議に思っていたのだが、なぜか問うことができずにいたのだ。「憑いている」と言った一亀の表現に、どきりとするところがあったからかもしれなかった。

「――姫に、だれかが重なって見えることがあるのです」

 さんざんためった様子を見せたが、一亀はとうとう言い切った。

「あの夜、わたしは突然目を覚ましました。焚火の向こうで、姫が立ち上がったのが見えたからです。一人で、黙って国へお戻りになっては大変なので、声をかけようと思いました。しかし……」

 神妙な顔つきで、一亀は続けた。

「それは、姫ではなかった。姫の身体から、何者かが抜け出し、ひとりでにさまよっていたのでした……あれからは、毎夜そのようなご様子です」

「兄者、それを見て、よくも悲鳴を上げなかったですね」

 白兎は感心したように言ったが、一亀は肩をすくめ、困ったように息をついた。

「――わたしは、幼い頃よりあやかしの類をよく見る質だったようで。慣れているのです。それに、害をなす存在だとすれば、姫が心を許して語り合おうはずもない」

「聞いていたのね」

「そうです」

 少し口をつぐんでから、一亀は思案するように続けた。

「よくは分からないのですが、あの女は、姫を王たらしめるのに必要な存在だと言えます。今のわれらには、何よりも必要なことです」

「どういう意味だあ?」

 一亀は、間の抜けた合いの手を入れた従兄弟を、冷静に見やる。

「山越えをして軍兵を募るというのは、わたしも考えたことです。科野の人々にとっても、ヤマトは脅威に違いないでしょうし、高志に攻め入るには、まず配下にしたい土地ですから。同盟を組むのも、科野方にとっては悪い話ではない。しかし、われらには、同盟するに足る証が存在しない。姫を、古志の姫として信ずる証拠が何一つないのです」

「それで兄者は、姫の神降ろしを利用しようというのか」

「神降ろし……」

 白兎の言葉に、古志加はふと考えこんだ。

(――神、ではない)

『そう。あたくしは、あなたと同じ』

(わたくしと、同じ……?)

「そうだな」

 女の言葉を知ってか知らずか、一亀は一つうなずいた。

「神降ろし、とでも言っておけばよいでしょう。ヤマトは、神祀りを好むと聞きますから。大きな社を、ひっきりなしに造営しているとも。出雲の大社は、天まで届くそうですよ」

『――出雲』

(――出雲?)

 女人のつぶやきは、古志加の中で疑問に変わる前にかき消えた。

 風は、茂みを騒めかせながら横切り、深い霧を運んできた。

『――来る』

 再び、声が響く。――そのささやきは、耳をつく喧騒を引き連れてきた。


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