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繋身  作者: 紫子
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5

 朝、一亀や白兎は何事もなかったかのように古志加に接し、「国を盗る」と啖呵を切ったことや、夢を見てうなされた話を一切持ち出すことはなかった。古志加はそれをありがたいと思いもし、また、肩身が狭いとも感じた。

「山越えして南に抜け、科野あたりで軍兵をつのろうと考えているのだが。おまえはどう思う」

 古志加は、川べりにしゃがみ込んで顔を洗う、一亀の背に声をかけた。

「申し訳ございません、今、何と」

 顔を上げた一亀は、悪びれる様子もなくそう言う。

(この者の主は、やはりまだ貞鶴なのだ……)

 古志加は、ほぞをかんだ。幼い頃から、貞鶴の生まれながらの将の資質には、こっそり舌を巻いていたものだった。彼が人々に振りまくのは、みなぎる自信と晴れやかさ。時折鼻につく高慢さも、人の上に立つ者には不可欠にさえ思えた。

「――もう一度聞く。おまえはどう思う」

 肩で風を切ろうとしても、上手くいくものではなかった。貞鶴の真似をしている自分を滑稽だと思いながらも、古志加は、決して態度を崩さなかった。

 一亀は、上着の裾で手をぬぐいながら立ち上がると、何か思案するように、古志加を見下ろした。

「昨日は混乱していらっしゃったのだと、思っておりましたが」

「なに……」

 あまりの言いようではないかと、古志加は憤慨した。

「――われを、何だと思っているのか!」

「屋形の奥で守り育てられた、忘れられた姫君と」

 衝撃のあまり、古志加は二の句を継げずに立ち尽くした。

「わたしどもが、とっくにどう思っているのか。まさかご存じなかったとでも――白兎!」

 落ち着かない様子で成り行きを見守っていた白兎は、急に名を呼ばれて、身を固くした。

「おまえとて、分かっていただろう」

「い、いいえ……」

 張り詰めた空気の中で、双方を窺うように、白兎は首を縮める。

「正直に申せ」

 古志加が詰め寄ると、彼はわずかに後ずさった。

「昨晩、阿彦様が、悪い夢を見てお目覚めになられた時、もしやと……海に落ちた姫は、助からなかったことにして、『つなぎみ』として隠し育てられたのではと」

 怒りにうち震えながら、古志加は一亀に向き直った。

「――何を言いたいのだ」

 しばらくにらみ合いが続いた後、小さくため息をついてから、一亀は口を開いた。

「それゆえあなた様は、外の世界を知らぬのです。だからあのような妄言を」

「関係ない。おまえに、わたくしのことが分かってたまるか」

 古志加はいきり立ち、考えるより先に、言葉をぶつけていた。

 一亀は、瞳に何とも言えない色を浮かべて古志加を見た。

「阿彦様は、国を盗ることでしか、ご自身をお救いになれぬと、そうお考えだ。そうとしかできぬと、そうお考えだ。あなた様がそのようなら、『つなぎみ』となった姫は、いつまでも閉じられた扉の奥で、目と耳をふさいでおいでだ」

「どうせよと……」

 思い出も、姫としての道も奪われて、王にもなれず。ようやく手に入れた一世一大の賭けの機会にも敗れ、身一つでどうしろというのだ――古志加は、胸の中で逆巻く思いを持て余していた。それを知ってか知らずか、一亀は強く言い放った。

「あなたさまは何者であらせられますか」

「え……」

 思いがけない指摘に、古志加は目を見開いた。しかし、その言葉は、記憶の奥底をざらざらとした手つきで撫で、肩を揺すぶって夢に見た光景を思い出させた。――海に置き去りにした何かを、ようやく手にすくい上げたような、そのような気がした。

『――かせ』

 耳元で、あの女人の声が響いた。

『かせ、あなたは、かせのきみ……かせ、かせのきみ』

「――かせ」

『かせ』

 声に出すと、それはあまりに確かなものだった。女はせせら笑った。

「わたくしが何者か、などと……だからといって、どうというのです。国を手に入れるのに何の足しにもならず、王たり得ぬ者だと証明するようなもの」

 困惑した古志加は、一亀と白兎を交互に見やると、弱々しく笑った。

「いいえ」

 一亀は、きっぱりと首を振る。

「かせ、かせ姫。あなた様は、男子にならずともよいのです。国が欲しいと言ったのは、かせ姫であって阿彦殿ではない。姫の願いです。――それをお認めになるならば、兵を募るよりもっとよい方法を、わたしは姫にお教えすることができます」

 彼の言わんとすることは、いったいどこにあるのだろうか。古志加は、吸い寄せられるようにその顔を見つめた。

 しばらくの後、一亀は、にやりと口角を上げた。それは、初めて見る、いたずらっぽい笑いだった。

「あなたさまには、女が憑いている」

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