表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
繋身  作者: 紫子
4/11

4

 いつの間にか眠りに就いていた少女は、柔らかな手に抱きかかえられて、目をこすった。

――あまさま。

 わけも分からず、周囲を見回す。慌ただしさの中に、何やら悲壮感の漂う空間だった。少女には、この場に満ちるものを言葉に言い表す術を持たなかったが、女たちの泣き声が、低い天井に反響して押し寄せてくるのに従って、急激に胸が騒がしくなるのを感じていた。

 ――あまさま、どこへ行くの。

 くり返し問いかける少女に、尼装束の女人は、憐れむような眼差しを向けた。

 ――みなは、どこへ向かっているの。

 一向に、尼は答えようとはしなかった。側には二人、女人が大振りの剣と小箱を捧げ持ち、瞳を伏せている。少女は、もう一度尼を見、そして、すがるように側女たちに呼びかけた。

 ――それを持って、どこへ行くの。それは、わたくしたちのものではないでしょう。

 言ってから、少女はようやく気が付いた。

 ――では、会いに行くの。わが君に。これを届けにいくの。

 ――そうでございます。屋島で降りられた帝は、先に行って待っておられますよ。

 ようやく答えた尼は、安心させるように少女を揺すった。

 ――かせのきみが、喜びのあまり騒ぎ立てては人に知られかねないので、内々に伏せておりましたが、みかどからは文をいただきましたよ。新天地は、美しいところだそうです。長らく息をひそめていた、古の都を見つけられたのです。

 ――わたくしにあてた文もありましたか。

 ――ええ、後で見せて差し上げますよ。さあ、行きましょう。

 尼は、側に控える女人たちに目配せをすると、ためらいのない足取りで、揺れる船内を歩いた。波が打ち寄せる甲板に出るのは恐ろしかったが、尼がしっかり抱えていてくれるので、少女は気を張っていることができた。

 ――あまさま、わが君の見つけた古の都は、どこに。

 ――波の下に。なのでここより先は、船では参れません。

 急激に不安を覚えた少女は、こわばった顔を精一杯動かして、尼に問うた。上手く声を出すことができないのは、吹き付ける風のせいばかりではなかった。

 ――海の中にあるの。寒くはないかしら、それに、息は苦しくないかしら。

 ――みかどの居わすところが、春なのですよ。きっと暖かく、かせのきみも、心安らかに過ごすことができましょう。よいですか、水に入ったらば、沈むに任せて、少しの間呼吸を我慢しておいでなさい。すぐに、お迎えが参ります。

 ――お迎え……

 ――竜宮のお迎えです。

 ふと、記憶をくすぶるものが、脳裏に逆巻いた。波にもまれ、引きずり込まれる感覚……泳ぎ来る、五色の女人の、揺れる長い髪。それらを、すでに少女は知っていた。

 ――離して。

 足をばたつかせる少女を、尼は万力で押さえつけた。はっとして、つぶっていた目を見開く。

 ――あまさまではない……

『動き出したわね』

「わたくしを返せ……」

 闇が、古志加の叫びを吸い込んでいった。耳元でささやく女人の声が生々しく、身にまとわりつく生肌の感覚が、夢と現の境をつないでしまったかのようだった。

眩い明かりを背に、こちらをのぞき込んでいる人物の顔がある。

「――竜宮の者か!」

 五色の女人は、鳥の羽ばたきに吹き飛ばされるようにして、かき消える。

「阿彦さま、何を」

 名を呼ばれて初めて、古志加は我を取り戻した。視力が戻ってくると、白兎が目を丸くしているのが分かった。一方の一亀は、寝言ともいびきともつかぬ、かすかな吐息を立てながら、耳をふさぐように寝返りを打つ。彼らの姿を闇に浮かび上がらせているのは焚火の明かりであり、五色の女人は、幻覚の描いた夢の続きだったのだと、古志加は胸をなでおろした。

「竜宮などと、阿彦さまもおとぎ話のようなことを申すものなのですね」

 古志加は、あまりに混乱していた。

「夢を見ておいでで?」

「ああ……」

 ふうん、と言った白兎は、伸びをしながら、再び身を横たえた。その様子をぼんやりと眺めながら、ようやく夜の寒さを思い出した。ひたひたと、足元から忍び寄る冷えた感覚は、潮の香を蘇らせた。

(あの夢には……夢の中では、わたくしに思い出があった)

 地面を感じ、側に眠る者たちの吐息を聞くと、身体の震えはしだいに収まっていった。それと立ちかわって、驚異が頭をもたげてきたのだ。

 七つの時から、毎夜同じ夢に身を沈めていた。海に呼ばれているのだと思っていた。竜宮の使いが――あるいは母が、わが子を懐かしんで手元に置こうとしているのだと。

『時が来るのを待っていたわ』

 まだ夜明けまではずいぶんと間があり、円かな月は、煌々と空を占拠している。眠気が満ち引きをくり返し、わずかにまどろむ度に、女人の声が間近でささやいた。

『あなたは気づいたの、かせのきみ』

 ――かせのきみ。

『あなたの名』

 ――わたくしの、名。

 夢と現が交錯したように、寒さの中で眠る自分自身の身体の感覚さえ、間遠に思われる。

 女人の足の踏みしめる地面は、一切物音を立てず、気配すら、その息遣いによって静寂に作り変えられていくかのようだった。彼女が胸から下げた、ひしゃげた小さな玉は、澄んだ緑色に輝きながらも、染めのない衣に反射して、様々に色を変える。古志加が女人を五色だと思ったのは、その明るさのせいだった。

 ――母上なの。

『あたくしに子はいないわ』

 すっぱりと言い切った彼女は、額に垂れた髪の房を、ふわりと払いのけた。

『あなたが、あたくしをよく見知っていると思うのは、毎夜会っていたから』

 ――竜宮から来たのか。

『あたくしも考えていたわ。あなたはいつも竜宮と言うけれど。もしかして、それはあなたの作り出した夢か何かかしら』

 何を思い出と呼べばよいのだろうと、古志加は考えた。母と同じく竜神に召されたという過去か、それとも、あの少女――「かせのきみ」が、心から慕う誰かが見つけたという、海の下の古の都のことだろうか。

『どちらでもかまわないわ』

 五色の女人は、古志加の周りをゆっくりと巡りながら言った。

――わたくしは、だれ。

『あなたは、「つなぎみ」なのよ』

 ――兄の。

『そうかもしれないし、あたくしの知っている「かせのきみ」もまた「つなぎみ」だった。それに、あなたは「古志加」という「つなぎみ」だわ』

 ――それは、どういう……

 言い終わらぬうちに、古志加は息を飲んだ。

 裳裾を翻した女人は、焚火の周りをゆらゆらと舞っていたが、いきなりこちらを振り返ると、軽やかに駆け出した。狐火のように姿を転じ、懐をめがけ、吸い寄せられるように飛ぶ。古志加は地に繋ぎ止められたかのように身動きできず、まばたきすらも忘れていた。

 火の玉となった女人は、胸元で五色に燃え上がったかと思うと、古志加に溶け合うようにして消え去った。

(――あれは、何だ)

 眠っていたのか、それとも意識を失っていたのか……汗でしとどになった額に、夜風が冷たかった。つい今しがた、海から引き揚げられたかのような気がする。それは、夢と現が地続きになったような、不思議な感覚だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ