どうやら攻略本(侍女とも言う)を、発見出来たらしい
翌朝、二度寝の後にうなされつつ目覚めると、嫌な記憶を振り払おうと部屋から中庭にでて散歩をした。
聖王宮にある中庭にふさわしく、優雅な東屋や花壇が設置され、緑豊かな中を小川が流れている。
風に乗って漂う緑の香りが、爽やかだ。
小川には小さな橋が架けられ、その橋にも花を咲かせた蔦が絡まり、美しい。
こんなに素敵な場所だけれど、とてもそれを堪能できる心理状態ではない……。
橋を渡り、あれこれ嘆きつつ朝の散策をしていると、どこからか泣き声が聞こえてきた。
花壇のそばにある石のベンチに一人の黒髪の少女が座り、さめざめと泣いているではないか。
後ろからそっと近づくと、しゃくり上げながら何事か呟いている。
「なんで? ゲームと全然違うじゃん! どないなっとんねん。――これじゃ、私はどのルートに乗ればいいわけ?」
――聞き捨てならない。思わず立ち止まり、様子を伺う。
「つーか、なんでフランツ王国の王女が嫁いできちゃうわけ!? アイツ、なんやねん! めっちゃ可愛いし、スタイルいいし。『デュエット』はこんなゲームじゃないのに!」
アイツというのは十中八九、私のことだろう。
私は生唾を嚥下し、ついに話しかけた。
「ねぇ、それなんの話?」
声を掛けると、少女は盛大に叫んで驚いた。慌てて芝に膝をつき、低頭する。
白く飾り気のない、簡素な服を着ている。おそらく数いる侍女の一人だろう。
「も、も申し訳ありません! 決して怪しいものでは…」
怪しくはないが、大変失礼だ。
だが気になるのはそこではない。
「あなた、もしかして転生者?」
少女はそのそばかすだらけの顔を真っ白にさせ、黒色の瞳を極限まで見開いた。
「えっ……どうしてそれを」
「もしかして、出身は日本? 貴女も気がついたらこの世界にいたの?」
目も口もポッカリと開けて、少女は言った。
「妃殿下シャーロッテリナベル様……、もしや、あなた様も?」
「私、仕事帰りに交通事故で多分死んだのよね。……で、目が覚めたらこの乙女ゲームの中にいて…」
少女は凄い速さで立ち上がり、私に縋り付いた。
「本当に!? あなたも『デュエット』のファンだったの?」
少女は身の上話を堰を切ったようにはじめた。
少女の名はサラだった。
彼女は後藤沙羅という日本人で、高校の帰り道の雨の日に歩道橋の階段から足を滑らせ、この世界に転生したらしい。
私とは違い、赤ん坊の頃から前世の記憶があったようだ。まさに転生ってやつだろう。
サラは貴族の娘で、この聖王宮で侍女をしていた。
「沙羅ちゃん、こっちの世界でも名前が同じなんだね」
「当然です。ゲーム開始の時に、普通は自分の名前を入力するじゃないですか」
「どういうこと?」
「だって『デュエット』のヒロインは、この私じゃないですか」
「えっ? ……今なんて?」
困惑顔の私の前で、サラは腕を組んで力説した。
「あのゲームのヒロインは、『神殿で働く健気な侍女』でしょ? っていうか、プレイしたことないんですか?」
そんな、「足し算習ったことないの?」みたいなノリで突っかかられても。
私が潔く事実を告げると、サラは再び芝の上に崩れ堕ちた。いちいちリアクション大きいな……。
「分かりました!! だから、だから間違ってシャーロッテリナベルが嫁いで来ちゃったんですね!?」
「間違ってって、どういうこと?」
サラの目から再び涙が迫り上がる。
その目は、なぜか非難がましく私を睨みあげている。
「極小国の王女、シャーロッテリナベルは転んて頭を打って死んで、聖王宮には来ないはずだったんです!!」
えええええええっ!?
私、ゲームでは聖王に嫁がない設定だったの?
しかもその死に方、雑すぎるよベルちゃん。
「待って、待って。じゃ、私は――シャーロッテリナベルは、この王宮に本来足を踏み入れもしないし、ヒロインの前に登場すらしないキャラだってこと?」
しゃくり上げ、滂沱しながらサラは何度も激しく首を縦に振る。
「だけど、それじゃ私のこれからの人生はどうなるわけ?」
「シャーロッテリナベル様、それはこっちのセリフです! ゲームはフランツの王女がここに来れないとわかった日から、始まるはずだったのに! もうっ、どないなっとんねん!」
芝に突っ伏して泣くサラの背をゆっくり撫でる。
そんなに泣かないで欲しい。私も同じ気持ちだし。
「サラちゃん、教えて。このゲームって本来どういうストーリーなの?」
サラはデュエットの大筋を話し出した。
このゲームでは、ヒロインは聖王宮で働く少女だった。
聖王は遠い西の果ての異国から来る己の妃のために、真心込めて部屋を選び、迎える準備を整えていた。
ところがその妃は不慮の死を遂げ、やって来なかった。――つまり、フランツ王国のシャーロッテリナベルだ。
聖王は、深く傷つく。
その夜。
嫁いでくるはずのシャーロッテリナベル…、私が亡くなりショックを受けた聖王が中庭で落ち込んでいるところを、花壇の水遣りをしていたヒロインが通りかかるのだ。
その夜、聖王は健気に水遣りをするその姿に心奪われ、彼女と恋に落ちるらしい。
弱っているところにヒロインの優しさがてきめんに効いたのだろう。
どうして夜中に水遣りをするのか、など疑問が湧く余地はなくはない。
それにヒロインとヒーローが相思相愛になる流れがかなり粗くてご都合主義に過ぎるが、なにせスマホゲームだ。
サクッと進まないと、プレイヤーは飽きるのだろう。
サラは真っ赤に充血した目で、私を相変わらず睨みながら続けた。
「妃陛下が来ちゃったせいで、ゲームのあらすじが滅茶苦茶です! 一向に私の恋愛が始まらないじゃないですか! どうしてくれるんですか!?」
そんなこと言われても。
要するに、この世界に攻略本など、ないということか。人生に攻略本などないのと同じように。
ベルの人生は、私の選択次第でどうとでもなるのだろう。
それこそ天国にも地獄にも……。
あらすじから大きく離れてしまったこの世界は、いや私とサラはどうなるのだろう。
「私、侍女のままなんて嫌です! 各方面の各種イケメンに代わる代わる執着されて、チヤホヤなリッチでセレブな異世界ライフを送るはずだったのに!」
「そうね、それは楽しそうね…」
「死んじゃったけど、この世界に転生できて超ラッキー、って思って、毎日の激務に耐えていたのに」
「どうにかするから、待ってて」
「本当ですか? ……じゃあ、神官長のジャンティーレ様との出会いを取り持って下さい!!」
「神官長? 彼も攻略対象なの?」
「そうです。今の私の本命は神官長のジャンティーレ様なんです。アプリ配信五周年記念の人気投票でも、ジャンティーレ様は聖王を抑えて一位だったんですよ。――もうルイズィト様は諦めます。差し上げます」
いや、貰っても処置に困る。
「その代わり、ジャンティーレ様は私が貰いますからね!」
「どうぞ……。その神官長とは会ったことはあるの?」
「とお〜くから、数回ならあります。本当は昨日の結婚式も任されるはずだったんですが、お腹を壊されて副神官長がされたんですよ」
ああ、あの入れ歯の合ってないお爺ちゃんね。それにしても、重要な国事を下痢で欠席とは。その神官長もどないなっとんねん。