晴れて私は、聖王妃になったらしい
聖都は聞きしに勝る、大きな都だった。
街中の道路は鈍色の石畳で綺麗に舗装され、所々に設置された花壇には花が咲き誇り、全体的に清潔な雰囲気だ。
家々の壁はみな、白色で統一されており、灰色の屋根が累々と続く。見渡す限り白亜の景色は壮観だった。
辻にはそれぞれデザインの異なる噴水が置かれ、区画毎の経済的なゆとりを感じさせる。
それは、私がフランツ王国を出るときに見た光景とはかなり違うもので、国力の違いを見せつけられた。
聖都の真ん中には大きな湖があり、聖王の住まいである聖王宮は、湖のほとりにあった。
「嘘でしょ……何あれ?」
思わず馬車の窓にかじりつき、外を見つめる。
湖の上には大きな浮島があったのだ。
城のような白亜の建物が乗った島が、湖の遥か上空に浮かび、その島の中を流れる川でもあるのか、浮島の四方から途切れることなく水が滝のように、湖に流れ落ちている。
ファンタジーだ。
まさに、ここはファンタジーの世界なのだ。
湖のほとりにたつ宮殿――聖王宮は、圧巻の大きさだった。
青色のタイル張りの美しい巨大な城が中心に建ち、それを円形に取り巻くように幾つもの白亜の建物があり、湖のほとりで一大建築群を構成している。
城の尖塔には国旗なのか、ドラゴンのようなものが描かれた青い旗が掲揚され、風にはためいている。
そしてその背後にある大きな湖の上には、3D画像かと見紛うほど幻想的な、城のたつ浮島。
フランツ人の兵士たちも同じく驚愕したらしく、皆でしばしその圧巻の光景を前に、固まってしまった。
この王宮の主人に嫁ぎに来たのだと言われても、到底信じられない。
聖王ルイズィトとの結婚の儀式は、私が到着するなり挙行された。
着ていたドレスを脱がされ、数人の侍女の手によって次々と着飾らされていく。
簡潔な指示で豪華な城内を移動させられ、矢継ぎ早に侍女が現れ、髪も顔面も仕立てられていく。その合間に男性官吏が何やら儀式の説明をするのだが、殆ど頭に残らない。
時折女官が銀の水差しからカップに水を入れて、手渡してくる。薔薇の香りと甘味が仄かに漂う上品なその飲料に、ここがどこなのかより一層分からなくなる。
私は極度の緊張のあまり、周りの人達に完全にされるがままだった。
そうして結婚式が始まった。
私と、聖界を統べる聖王との結婚式だ。――まじ、ウケる。何この状況。
聖王宮の奥には、大きなステンドグラスがファサードを飾る、壮麗な石造りの神殿があった。
私は金銀財宝を全身に纏わされ、異様に重たい身体を引きずり、神殿まで案内された。
神殿の周囲には、頭から爪先まで純白のローブを纏った巫女らしき女性たちが、たくさんいた。祝いのためか、みな小さな花のブローチを胸元につけている。
「なんてお美しいの」
「フランツの女性は色白ね」
「緊張されているかしら?」
隠しきれない興味のためか、巫女たちがひそひそと私のことを話しているのが、こちらにまで切れ切れに聞こえて来る。
極度の緊張に耐えかねていると、女官がやってきて細かなガラスのビーズのようなものが織り込まれたヴェールを、頭からかけられる。
神殿の中は、真紅のカーペットが入り口から奥まで敷き詰められていた。
カーペットの左右には木製の長椅子が何列も並び、大勢の着飾った人々が座って私を待っている。
「シャーロッテリナベル様。さぁ、どうぞ神殿にお入り下さい。中で陛下がお待ちです」
眩しく微笑む女官が、にこやかに絨毯を手で指し示す。
幾らか心細くなりながらも、神殿のツルツルとした大理石の壁を見つめながら、一人で真紅の道を進む。
中にいた人々が、一斉に起立する。
緊張のあまり、誰とも目を合わせられない。
神殿の中には燦々と日光が溢れ、大変明るい。
その眩しさに目を細める。
祭壇の前には高齢の神官らしき男と、一人の若い男が私を待っていた。
それが、この世界の聖王だった。
ルイズィトは深紅の衣装を纏って、私の前にやって来た。肩には私とお揃いの、煌めくヴェールをかけている。
髪は美しいブロンドで、その髪と同じ色の冠を頭上に頂いている。髪が日光を反射し、まるで輝く黄金のように眩しい。
瞳の色はアメジストのような紫色。
ルイズィトは直視すると息が詰まるほどの、類い稀な美貌の持ち主だった。
眼福どころか輝かし過ぎて、心臓が辛い。長くそばにいたら、早死にできそう。
この神がかり的な美貌は、人間なのか疑いたくなるほどだ。
あまりにきらきらしくて、逃げ腰になりかけたが、なんとか平静を保って隣に立つ。
私だって、今はかなりの美少女なのだから。多分、月とスッポンにはなっていないはずだ。
「お目にかかれて光栄です。フランツ王国より参りました、シャーロッテリナベルと申します」
胸に片手を当て、膝を軽く折る。
付け焼き刃で教わったお辞儀だ。
この世界にも結婚式では指輪を交換するという文化があるらしく、年老いた神官がツルツルとした純白のリングピローに載せた指輪を差し出す。
ルイズィトが私の手を取ると、手が心臓になったかと思うほど、ドキドキした。手が震えてしまい、彼が指輪をはめるのに、そのせいで少し時間がかかってしまった。
続けて私も彼の手を取る。
神官から指輪を受け取り、差し出されたルイズィトの大きな手にまず左手を添えた。
彼は長い指に、たくさんの指輪をしていた。単純な金色の輪のもの、巨大な青い貴石がはめられたもの。
中でも光を浴びると、星型の輝きが現れる真っ赤な貴石の乗る指輪が、とても美しい。
一本一本をさっと眺め、ある指輪に視線が釘付けになる。
透明な石が台座に乗る、銀色の指輪だ。
ルイズィトは薬指と人差し指に、同じ指輪をしていたからだ。
(なんで同じものを二個もつけてるの? 余程のお気に入り……?)
「シャーロッテリナベル?」
ルイズィトから名を呼ばれ、我に返る。
指輪から視線を上げ、彼の顔を見た。
「さぁ、指輪を」
「え、ええ。そうね」
緊張で手が震えている。
覚束ない手つきでどうにかルイズィトの指に、結婚指輪をはめた。
ルイズィトの隣には、お菓子の箱にでも描かれていそうな愛くるしい少年が立っていた。
少年はお仕着せを纏い、うやうやしく銀のトレイを両手で捧げ持ちながら運んで来る。
トレイの上には、白く丸いパンのようなものが乗せられている。
初老の神官が、何やら祝詞のようなものを唱え始める。入れ歯が合っていないのか、正直滑舌が悪すぎて何を言っているのか半分も分からない。
その入れ歯は絶対に、作り直すべきだ。
パンをルイズィトが千切り、二つに分ける。
ルイズィトはその内の大きい方を私に差し出した。
目が合うとルイズィトがにっこりと微笑む。
「さあ、頂こう」
「え、ええ……」
緊張と焦りから震える手で、パンを受け取る。
あまりの緊張に、味はまるで分からなかった。
万里花は独身だったので、結婚式の主役になったことはない。いつかはなりたいとは思っていた。
でもまさか、その晴れ舞台がこんな急にやってくるとは思ってもいなかった。
しかもこんなに奇妙な形で。
短い挨拶が終わると、今度はルイズィトと二人で王宮内を練り歩いた。
彼はどの建物が何という宮なのか、何をする所なのかを逐一説明してくれたのだが、正直広すぎてとても覚えきれない。
最後の方はもう、ただ聞いているフリをしていた。
微笑み疲れて聖王宮に戻ると、もう日が傾いていた。
そう、恐ろしいことに、恐怖の一大イベント、いわゆる「初夜」が私を待っていた。
ええと、どうしよう。
どげんかせんといかん。