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事態が暗転しているらしい

「大変です! 陛下、妃殿下!」


 騒々しく侍女達が駆け込んできたのは、まだ夜明け前だった。

 返事も待たずに寝室の扉が開けられ、侍女達が駆け込んでくる。

 ほとんど一睡もできなかった私は、窓の外を見たが外はまだ闇の中だ。


「どうした? 何事だ?」


 ルイズィトが寝具をめくって起き上がりながら、すぐに寝台を降りる。

 彼は上掛けを羽織ると、その足で寝室を出ていく。扉が開くなり、廊下にいたらしき人物から何事か報告を受けている声がする。

 私は侍女達の手によって、急いで寝間着からドレスに着替えさせられた。


 身支度が整うと聖王を追いかけた。

 廊下を出たところで、外の眩しい光に気がつく。

 窓の外を確かめると、王宮の外壁に取り付けられた灯りが全て灯されていて、異様に明るかった。

 その眩しさに目がくらみ、思わず右手でひさしを作って目を庇う。

 外で何が起きたのか知りたくて、近くのベランダに出ようとすると、踏み出す寸前で腕を後ろから引かれ、止められる。

 振り返るとそこには顔面蒼白のサラがいた。


「妃殿下、危ないです! 出ないでください」

「何があったの?」

「結界を破って、武装した集団が王宮内に侵入したらしいです」

「まさか…どこから?」

「王宮に設置された結界石が、今夜いくつかなくなっていたようです。その隙に転移してきたようで、集団と言っても二十人ほどらしいのですが、転移術を行えるだけあって高度術者です。普通の兵士ではまるで歯が立たず、苦戦したみたいです」

「何者なの、そいつら……?」

「魔術を操るもの達のようで、いま神官達が近衛軍と一緒に防戦しています」


 このタイミングを狙われたのだ、とすぐに分かった。

 聖王宮内は、いま手薄だと魔族達は知った上で、今夜侵入したのだろう。




 聖王宮の一角で、侵入者達は神官達に囲まれるや、彼らは転移して脱走した。

 事態が一応の収束をしたかと思いきや、もう一つのとんでもないことが起きていた。

 聖王宮の神殿の地下にある、大きな神玉石が何者かに破壊されているのが見つかったのだ。

 それはあとかともなく粉々にされており、周囲には顕著な魔術の痕跡が残っていたのだという。つまり、高等な術を使える魔族の者が、聖王宮の心臓部に忍び込んだことになる。


(私のせいだ!)


 あの日、ガル=アルトに祈りの間の場所を、教えてしまったから。

 敵の真の狙いはおそらく、今夜この神玉石を破壊することだった。


 執務室にはすぐに高位の神官達や大臣が集められた。

 状況が詳しく説明され、喫緊の課題が浮き彫りになる。

 今日は天空島に聖術の鎖をかける日なのだ。神殿の石が破壊されたとなると、天空島から直接聖術を行って島を王宮上空に留めなければならない。

 大臣達は聖王に、すぐに神官長と天空島に上がるよう、懇願した。

 一時間ほどで解散になり、執務室に聖王と私だけが残されると、私は決心した。

 私には神玉石を破壊した者に心当たりがあった。ガル=アルトだ。この件には絶対に彼が関わっている。

 ルイズィトを今、天空島に行かせるわけにはいかない。ましてや神官長と二人きりでだなんて。

 レプリカのことは話せないけれど、どうにか、なんとかして彼に注意を促さないといけない。


「陛下、天宮島の神殿の祈祷台に上られるおつもりですか?」

「春を呼ぶわけではないのだ。祈祷台に上がったりはしない。天空神殿の中から、聖力で鎖をかける」


 良かった。

 それならレプリカのせいで、空洞に落下することもない。


「神官長とではなく、他の神官と行かれてはいかがですか?」


 ルイズィトは微かに眉根を寄せた。


「なぜそんなことを?」


 答えに詰まってしまう。するとすぐにルイズィトは苦笑した。そしてその紫色の瞳が、私の左手の腕輪の上に落とされる。


「それは――もしやその腕輪がそう言わせているのか?」

「違います! まさか」


 その逆なのに。

 ルイズィトは肩をすくめてから首を左右に振った。


「残念ながら貴女の提案は聞けない。他の神官では、力不足だ」


(そうよね。来たばかりの怪しい妃なんて、信用できないし、神官長の方を信じるわよね……)


 私の言葉がルイズィトにあしらわれてしまうのは、当たり前だ。私は彼の前で、仮面しか見せてないのだから。

 執務室を出て行こうと椅子から立ち上がりかけた聖王を、制止する。


「陛下。私の話を少し聞いてくださいませんか?」


 外はやっと日が上り、明るくなりかけていた。

 優しい朝日が差し込む執務室。

 木立にとまる鳥たちのさえずりが窓の外から聞こえ、爽やかな雰囲気を醸し出していたが、デスクに向かう聖王の顔は青白く、疲労が蓄積していることかよく分かった。

 デスクの上には書類が無造作に散乱し、インクの付いた羽ペンが黒いシミを机上につけたまま転がっている。

 聖王は落ち窪んだ紫色の瞳で、どうしたのかと私を見上げた。


「陛下は私が隠し事をしている、と仰っていました。その通りなんです。私、ずっと大きな秘密を抱えておりましたの。でも、もう隠し事はやめます。陛下の妃なんですもの」


 連日連夜の激務明けの聖王の座るデスクの前で、私は仁王立ちになって力説した。


「私、実は前世の記憶がありますの」


 ルイズィトは椅子に腰掛けたまま、目だけを私に向けて硬直した。返事がないので聞こえなかったのかと一瞬心配したが、たぶん逆だろう。聞こえたからこそ、固まったのだ。


「以前は、こことは全く違う世界に生きていたのです」


 全部話すわけにはいかない。腕輪にまつわる話だけは、自分の手首のために言うわけにはいかない。でも、そのほかの全てを打ち明けなければ、私の言うことなんて、聞く耳を持ってくれないだろうし、信用してもらえない。

 フランツに罪はないし、この地に来てからの私の窮状を知ってもらいたかった。

 聖王は掠れた声でわずかに反応した。


「違う世界?」

「はい。ある時突然前世の記憶が蘇って、ベルの記憶が押し流されました。私はあの時から、自分がベルではなくなってしまったんです」


 ルイズィトは無言だった。

 己の妃の、色んな意味での衝撃の告白に、息も止まっていそうな雰囲気だ。

 この無音の反応が、いたたまれない……。

 発言になんとか信憑性を持たせよう、と話を続ける。


「私がいたのは、こことは随分違う世界で。ここよりもっと科学技術が進んだ世界です」

「科学技術?」


 ルイズィトが怪訝な顔で聞き返す。

 よかった。ちゃんと聞こえてはいるようだ、


「私がいた世界にはユニコーンはいませんでしたけど、代わりに翼のついた鉄の船で、好きなところに行けますの。ええと、夜空に浮かぶ星にも行けますわ。それと、万能な薄い箱があって、それを使えば遠くにいる人とも連絡がとれます。箱にお願いすれば、なんでも家まで届けてくれますし。『パソコン』って言うものなんですけどね」


 私は身振り手振りを交えて捲し立てた。

 それにしても、こうやって文明の利器を説明してみせると、凄く嘘くさい。そんなもんがあるわけない、って気がしてくるから不思議だ。

 激務のせいか目が落ち窪み、疲労が色濃いルイズィトは極めて平坦な声色で相槌を打った。


「それは凄いな」


 この反応は頂けない。どう見ても、私の話は信じてもらえていない。


「信じてもらえないかもしれませんけど、いわゆる異世界という所ですわ」


 ほらみろ、ルイズィトの目が完全に泳いでしまっている。


「お信じになりませんか? 荒唐無稽な話だと」


 少しの間、考え込む仕草を見せてからルイズィトは答えた。


「そうだな。可能性は二つしかないように思える。この非常時にそんなことを言い出すのは、よほど能天気な阿保か、それが事実かのどちらかだ」

「もしや、私をその前者だと?」

「わからぬ。だが、貴女が出会ってから一貫して同じことを言っているのは、確かだ」

「一貫して?」


 なんのことだろう。異世界の話をするのは、これは初めてのはずなのに。

 ルイズィトは力なく笑みを浮かべてから、小さなため息をついた。


「最初に出会ったとき。貴女はまだフランツにいた」


 えっ、と息を飲む。私たちの出会いは、聖王宮で挙行された結婚式だったはず。

 私が知らないところで、ベルちゃんと聖王は出会っていたのだろうか。


「いつ、私たちはフランツで?」

「実は……神官長が亀の甲羅を割ったあと。フランツ国王が王女の中から選んだ貴女のことが気になって、どうしても結婚前に会ってみたくて、姿を変えて貴女に会いにいったのだ。――貴女は、浜辺で何やら海に向かって(わめ)いていた」


 信じられない思いでルイズィトを凝視する。

 私たちが会ったなんて、一体、いつの浜辺で?

 必死に記憶を探る。


 ルイズィトは少々苦い表情で微笑を浮かべ、私を見つめていた。

 そしてそのアメジストの輝きを持つ瞳を見つめるうち、はっと息を呑んだ。この色を、もっと前に、どこかで見たはずだ。

 ルイズィトは思い出すように遠い目をしつつ、言った。


「貴女は海に向かって『むりげー』だの『こーりゃくぼん』がどうのと、叫んでいた」


 フランツ城の裏手の浜辺で、喚いていたあの日の記憶が鮮やかに蘇る。


「あの浜辺で私が会ったのは、一匹の猫だけど……」


 じっとルイズィトと見つめ合う。彼は肯定も否定もしない。だが物言いたげなその瞳を見つめるうち、あの時私が撫でた銀色の猫の表情と、彼のそれが妙に重なった。

 私は「まさか!」と叫んだ。

 ーーそうだ。

 この美しい瞳と全く同じ色のものを、フランツの城の裏で見たではないか。

 ルイズィトはそっと私から目を逸らし、自嘲気味に薄く笑った。


「遠いフランツから来る王女が、私の妃になる人が、どんな人なのかをひと目でいいから見たかった」


 そうして、王女は予想外すぎる不審な女だったというわけか。

 挙句に魔王の手先だ。

 ルイズィトは少し顔を歪めてため息をついた。


「貴女は元気いっぱいで、とても愛らしかった。わけの分からないことを言っていたが、野良猫の私に、あたたかく優しかった」

「……まさか、あの猫が陛下だったなんて」


 思えばガル=アルトもミミズクに変身できるのだ。高等な聖術や魔術を使える人なら、そんなことができるらしい。

 私は胸の前で両手を組み、祈る思いで聞いた。


「私は何もわかっていなかったんです。その無知さから、魔族の手に落ちるという、過ちを犯してしまいました」


 ルイズィトのアメジストの視線が、私の左腕に落ちる。


「私の言っていることを、信じていただけますか?」

「全てを信じるわけにはいかない」

「一部だけでも信じてくださるなら、どうか今からするお話を、信じてください。神官長は魔族の手先です。彼と天空島に行ってはいけません。このままでは魔族の思うつぼになってしまいます」


 ルイズィトは大きなため息をついた。


「だが神玉石が破壊されては、今日の祈祷式が行えない。天空島が風に流される前に、上陸して神殿から直接鎖を地上にかけなければならない」

「いけません、陛下」

「すまないが、事は一刻を争う。もう時間がないのだ。誰が魔族の手のものなのかは別として、天空島を彷徨わせるわけにはいかない。あれは繁栄の要なのだ」


 全能神との繋がりを失うわけにはいかない。そう言うなり、彼は椅子から立ち上がった。そのまま私を宥めるように肩に一度そっと手を置くと、大股でドアに向かい、部屋を出ていく。


(神官長と行かせたら、何をされるか分からない……) 


 私は彼を追い、廊下に出たその私の後を控えていたサラが何事かと不思議そうな表情で追う。


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