任務の期限は、三日後らしい
その夜、聖王宮はにわかに騒がしくなった。
王宮に次々と馬車が乗り付け、女官達が建物に明かりを灯して回る。
浴場に行く途中だった私は、かけて来た侍女の一人に声を掛けられた。
「大変です! エジリア王国の結界石が、盗まれたそうです」
「なんですって! 陛下は…」
「執務室に大臣たちと詰めてらっしゃいます。妃殿下も、お部屋にお戻り下さい」
入浴している場合ではないらしい。
私はすぐに来た道を引き返すと、隣にいるサラに尋ねた。
「――で、結界石って何?」
「ご存知なかったんですね。知らなかったのに今の反応、お見事です……。東の端にあるフランツには縁がない代物かも知れませんが。結界石は、魔族が南から侵入するのを防ぐ、強力な結界を作るものです」
私は地図を思い出した。
エジリア王国は聖界の最南に位置する。その南の国境は、北大陸との境の森と接しているのだ。
そんな大事な石を盗まれれば、魔族の侵入を許すことになる。
と言うかその石、フランツにも置いておくべきだったんだと思う。なかったから、ガル=アルトが侵入してきたんじゃないか。
「結界石は聖力と聖術の塊です。急遽作り直せるのは、聖王家の方か高位の神官達だけです」
サラは顔を曇らせ、ため息をついた。
「こんな展開、『聖と魔のデュエット』で見たことないですけど。もう、完全にシナリオを離れちゃってます」
「もうね、ここを私たちが知っているゲームの世界だとは思わない方がいいんじゃないかな」
そんなぁ、とサラは天を仰いだ。
その日から、聖王はほとんど不眠不休で結界石作りに精を出した。
私ができることは、ごく限られているので、せめて邪魔をしないよう、彼の疲れを取ることに徹した。執務の空き時間を狙っては、肩や腕を揉み、凝りを解してあげたり。
お茶や素早くつまめそうな食べ物を差し入れたり。
特に聖王は肩を揉んでやるととても喜んだ。私が手や肘を使って硬い筋を解していると、彼は寛いだ満足そうな表情で私を見上げてきた。
長いこと、医者にしか触れてもらえなかった彼にとっては、肩揉みというありふれた癒しが、特別なことに思えるのだろう。
こんなことで喜んでもらえるなら、いくらでもにわかエステティシャンとして、頑張ってしまおう。
聖王が寝室で過ごす時間はほとんどなく、毎夜数時間電池切れのように寝に帰ってくるだけだった。エジリアの結界石はエジリアの王宮に置かれており、全部で四つあるのだという。一つを作るのに、神官長でも通常は一週間はかかるらしかった。
今魔族がエジリアに大挙して押しかけてきたら、止める術がない。
夜が明け、室内に窓から差し込む朝日を広い寝台の上で浴びるのは、複雑な気持ちだった。
聖王が来なくてホッとしたような、いややはりそれどころではない緊急事態が起きているのだ、という緊張感のような。
聖王が結界石のために夜更かしをするようになって、三日目の夜。
聖王の帰りを待とうと、ベッドの足元にある長椅子に腰掛け、私は読書をしていた。
聞き覚えのある翼の音が聞こえたが、窓の鍵は閉まっている。不埒な侵入者はこれで来られないだろうと余裕の心構えでいたら、鍵が勝手に回って二羽のミミズクが舞い込んできた。
黒いフクロウは部屋の中ほどまで羽ばたくと、煙と共に長身の男に変身した。
長く黒いマントを羽織った、ガル=アルトだ。
彼は私の方に向き直ると、丁寧に膝を折って頭を下げた。
「妃殿下。夜分に失礼します」
「何の用!? 本当に失礼よ?」
「今宵は随分と夜更かしなのですね。何かあったのですか?」
何かを見透かす様な視線を投げたまま、かすかににやりと笑うその嫌らしい表情に、ガル=アルトの訪問の目的を悟る。
「聖王宮の様子を見にきたのね」
「どうやら、もう気付かれたようですね。エジリアでの異変に」
「あなたたちの仕業ね! 衛兵を呼ぶわ!」
狼狽して長椅子から立ち上がる私をよそに、ガル=アルトは不敵な笑みを見せた。
「人が駆けつける前に、冷気で妃殿下のお体が氷になりますよ。それに、私達を部屋に呼んでいることがバレれば、貴女の進退に関わるのでは?」
「あんた達なんて呼んだ覚えはないわよ! 勝手に飛んで来るくせに」
「ときに妃殿下、天空島を係留する聖王宮の祈りの間にはもう行かれましたか?」
「神殿の地下にある場所のこと?」
するとガル=アルトは軽やかに笑った。堂々とテーブルの上に肘を乗せてもたれかかるテレンスと目を合わせ、意味ありげに頷き合っている。何だろう。妙な空気になっている。
「なるほど、かの有名な祈りの間は、地下にあるのですか。貴重な情報をありがとうございます。これで探し回る手間が省けます」
「な、っ……」
しまった。
話術にハマってしまった。あの神殿の場所が秘密だなんて、知らなかった。魔族のスパイになんてなりたくないのに、ちゃっかりスパイになっちゃっている。
焦って口を両手で塞ぐ私を見て、ガル=アルトは面白そうに言った。
「流石、フランツの王女は世間知らずでいらっしゃる」
世間知らずどころじゃないのよ。私、この世界のことを丸ごと、何にも分かってないんだから。
悔しくて黙り込んでいると、ガル=アルトはひょいと片眉を上げた。
「陛下はどちらに?」
聖王宮の出方を探っているのだ。滅多なことは言えない。これ以上、余計な情報を与えたくない。
「聖王宮が彼の家なんだから、どこにいたっていいでしょう。それよりあなたたちはどうなのよ」
「それが、問題が起きまして。予想以上に聖王や神官たちの作業が早くて、エジリアに攻め込むよりは、本丸を攻めたほうがいいと思いまして」
本丸ってなんだ、と疑問符だらけで睨み上げていると、ガル=アルトはニッと歯を見せて笑った。
「この聖王宮に放っている俺の配下は、貴女だけではないんですよ」
「他に、誰が…」
ガル=アルトは大股で一歩こちらに歩み寄り、同じ距離だけ私は後ずさった。
彼は挑むように、けれどどこか楽しげに言った。
「東の端にある海沿いの国、フランツは国力も国王の頭も弱く、侵入がたやすかった」
ムッとしつつも、反論せず黙って続きを聞く。
「その王女達は皆見目麗しく、なおかつ能天気そうだった」
我慢だ。それはベルちゃんのことであって、私じゃない。
ガル=アルトがさらに一歩踏み込み、後ろに下がった私の膝が長椅子に当たり、崩れるように長椅子に座り込んでしまう。必然的に私は首を大きく逸らして彼を見上げた。
「だから、貴女が選ばれた。もっと正確に言えば、選ばせた」
指先から血の気がひいていく。私を選んだのは、海亀の甲羅の占いのはず。
「それは、つまり、聖王妃の選定のための占い結果は、貴方によって故意に導かれたものだというの?」
「その通りです」
ガル=アルトが、フランツの王女が選ばれるよう、仕組んだ?
だが、聖王の妃選びの占いをしたのは神官長だ。それは、ーーつまり。
「あのジャンティーレが、神官長が、ーー貴方のスパイなの?」
ガル=アルトはその憎たらしいほどに整った顔を、こくりと縦に振った。
信じられないという驚きとともに、ショックだった。
フランツの王女は少なくとも、正式な神託によって選ばれたと思いたかった。
でもそれすらが、まやかしだったなんて。
「神官長ともあろう者が、魔族の手先になるなんて」
何がアプリ配信記念の人気投票だ。現役の悪役なんですけど。
怒りに両手の拳を握りしめていると、ガル=アルトは言った。
「配下にするのは、とても簡単でしたよ。大金と美女達を与えると約束したら、即答してくれました」
「あの妖艶神官長ったら、金と美女で買われたの!?」
驚きの俗っぽさである。――でも、本当に?
ガル=アルトが右手を伸ばし、私の頬に触れた。すぐさま左手でそれを振り払う。
「触んないで、この変態」
「フランツのシャーロッテリナベル王女、貴女はもう少し易々と動いてくれると思ったのですがね。正直にいうと、俺が『お願い』すると大抵の女はどんな美女でも、いうことを聞いてくれるのですよ。ですが実際に会ってみると、貴女の性格はちょっと予想外なものでした」
「当てが外れて残念ね。それなら腕輪を外して、別の女を探してきたら?」
「全く、その気の強いところがゾクゾクしてたまりませんね」
ああ、ほんと変態だ。こっちまで別の意味でゾクゾクしてくる。
変態の域を超えた、超変態だ。
「もうすぐ外してあげますよ。その為にーー」
ガル=アルトそこまで言いかけると、私の顎先に触れた。噛み付いてやろうか。
「少し貴女にも協力してほしいんです。以前、聖王の神玉石の指環をすり替える期限は、半年と言ってありましたが、少し前倒しさせてもらいます」
「い、いつまでにすり替えろと?」
「三日後までに。三日後に貴女から本物を貰いに来ます」
「三日後!? それのどこが少しなのよ!」
もう、パニックだ。
ただでさえ激務ですれ違いがちな夫婦なのに、本物を見極めてこっそり入れ替えるなんて。
ガル=アルトは私の左手を取り、両手で握りしめた。放して、と言うも効果は全くない。
彼は両手で私の左手を挟み、指先でそっと撫でながら言った。
「やらねばどうなるかは、分かっていますね? 貴女に甘い私も、三日後は容赦しませんよ。ああ、これほどの美女を血塗れにしないといけないなんて、実に惜しいことです」
「甘かったこと、あったかしら!?」
キッと睨み上げると、ガル=アルトはとろけるように微笑んだ。無駄に今甘さを醸し出すこの食えない魔族の男に、殺意を覚える。
「いずれにしても、まもなく聖王宮は大変なことになりますよ。俺はこの為に長年、血の滲むような努力をしてきたので。聖王のお手並拝見といきましょうか?」
「――ルイズィトに何をする気なの?」
ガル=アルトはわざとらしく両眉を跳ね上げた。
「聖王の身をもう案じているのですね……もうお気持ちを奪われたのですか? 貴女が奪わないといけないのは、別のものですよ」
「魔族は聖族と戦争を始める気なの?」
真剣に尋ねているのに、ガル=アルトは軽やかに笑った。
「展開次第では、そうなりますかね。――テレンス、お前はどっちが強いと思う?」
するとテーブルの上にあぐらをかいて座っていたテレンスが、無邪気に答えた。
「そりゃぁ、総司令官様がいらっしゃる魔軍に決まってます!」
「うまい!」
あはは、と笑い合う二人に、一気に疲れを感じる。
脱力して椅子に座り込む私に、ガル=アルトは言った。
「時代は動こうとしている。さぁ、聖王妃殿下は、どうなさるので?」
ガル=アルトは首を傾けて私を覗き込んだ。そうしてニヤリと笑う。
「聖王などさっさと捨てて、私のところにいらしては?」
「貴方を今絞め殺したら、この腕輪の魔術は効果がなくなる?」
淡々と尋ねると、ガル=アルトは豪快に笑った。その隣でテレンスは怒ったように唇を尖らせて私を睨んでいる。
「確かになくなるが、貴女に私は殺せませんよ」
言うなり、彼はマントを翻してフクロウに姿を変えた。
捕まえてやろうと椅子から立ち上がるが、二羽のフクロウは私をからかうかのように右に左に飛んでみせ、窓の外へと出て行ってしまった。




