天空島の旅②
視線を落として天空島の方を見やると、白く優美な動物が建物の前をのんびりと歩いている。ユニコーンだ。
思わず立ち上がり、叫んだ。
「あそこにいます! 草でも食べてるのかしら? まったく、こんな所に私たちを放り出しておきながら…」
興奮する私とは違って、ルイズィトは落ち着き払ったまま、優雅に座り込んでいる。
「ほら、ご覧になってくださいな! あの木の根本あたりにユニコーンが見えません?」
ルイズィトは見ようともせず、かわりに私の手首を取って軽く引いて私を座らせる。
「大人しくしていなさい、ベル」
鳥になって飛べるルイズィトは、余裕かもしれないがこちらはユニコーンに放置されれば、帰る手段がない。
歯軋りする思いで、のんびり草をはむユニコーンを睨む。
ルイズィトはそんな私の背をポン、と叩いた。
「そう焦る必要はない。人がいない天空島の緑があっという間に茂ってしまう前に、ユニコーンがあのようにして定期的に食べてくれているのだ」
ユニコーンは大切な芝刈り中だから、待てということか。タイミングは考えてくれないらしい。
「ユニコーンは自由に天空島に上陸しているんですね。……人は春の祈りの時しか、天空島におりてはいけないのですよね?」
「その通り。天空島は神にもっとも近い聖地なのだ」
そう言われて、眼下にある白く小さな神殿を見た。
「神殿の真ん中には島を突き抜ける空洞がある。その中に浮いているのが島を支える神玉石であり、代々の聖王はその上に立ち、春を呼ぶのだ」
神殿の中に、そんな穴が開いているなんて。恐ろしすぎる。
「祈りの時にその空洞に落ちませんの? 浮く石にどう乗るんです?」
ベルちゃんの脳内バンクには、そのデータがないの。
聖王は自分の左手を広げ、じっと見つめた。
「神玉石の指輪をもつ聖王家のものであれば、穴に落ちることはない。体が浮き、神玉石の祈祷台まで歩けるのだ」
そう言うとルイズィトは紫色の瞳をあげ、私を見つめた。その瞬間、ドクンと胸が鳴った。
呼吸が荒くなっていく。
(ガル=アルトの狙いは、それだ…)
春を呼ぶ儀式を失敗させること。つまり偽の神玉石をはめた聖王が、神殿の穴を渡れず島から落下することを狙っているのだ。
紫の双眸から目を逸らし、ギュッと自分の膝を握る。
(儀式の失敗、なんてもんじゃないわ。指輪をすり替えたりしたら、聖王を殺すことと同じじゃないの!)
「聖王宮は、不思議なことだらけですね」
私がどうにかそう言うと、ルイズィトは小さく笑って肩をすくめた。
「世界は謎に満ちている。――そもそも、私の隣にいる妻も、私には謎だらけだ」
「私には、実際には秘密は二、三個しかありませんよ。女の中では少ない方だと思います」
問題は秘密の数ではなく、その内容と大きさなのだが。
ルイズィトは何も言わなかったが、疑い深そうにただ私を見つめた。
どこからともなく、一羽の青い蝶がひらひらと飛んできた。
そのまま私たちの後ろの木の周囲を舞う。蝶はやがてルイズィトのキラキラと輝く髪の近くにやってきて、彼の耳の上に止まった。
思わず息を飲む。
「陛下! なんて神々しいんでしょう。蝶がまるで髪飾りみたいになっています」
「――この蝶の色は、むしろそなたの瞳の色に近い。そなたの方が、きっと似合う」
ルイズィトは私に蝶を渡そうとしたのか、そっと手を近づけて蝶に触れようとした。だがその指が羽に触れる直前に、蝶はひらりとルイズィトの髪から離れ、舞い上がった。
その鮮やかな美しい青色に目を取られ、立ち上がって追いかけようと私が前に踏み出すと、急にルイズィトに腰のあたりを押さえられた。
「危ない!」
止められて我にかえる。
そうだ、ここは小さな島の上なのだ。
足を踏み外せば、生命はない……。
ルイズィトに引かれ、木の下に戻されるも、体勢を崩して彼の膝の上に両手をついてしまった。
「ごめんなさい!」
「構わない」
顔を上げるとすぐそばにルイズィトの顔があり、その近さに思わず目を逸らしてしまう。
その瞳はあまりに綺麗で、この距離で長く見つめると心を吸い取られてしまいそうだ。
天空島のそばを流れる白い雲を目で追いながら、私はつい言ってしまった。
「なんだか、こうしているとまるで、世界には私たち二人しかいないみたいですね」
「――それはなかなか良い響きだな。そうなれば、世界は私たちのものかな。貴女を見つめる男も、私しかいなくなる」
予想もしなかったことを言われ、隣に座るルイズィトの顔を見上げると、彼は悪戯っぽく微笑んでいた。急に恥ずかしくなってしまい、自分の顔が熱くなるのが分かる。
慌てて顔を背け、島の下の湖を見下ろしながら、負け惜しみを言ってしまう。
「そもそもこの聖界のほとんどは、陛下のものですもの」
なるほど、とルイズィトは感心したように頷いた。
その後で、彼は真顔になると言った。
「実際ときおり、この世界には私しかいないのではないかと思うことがある」
「陛下しかいない?」
「聖王とは実に寂しい存在だ。周りには常に人がいるがその実、誰一人私の隣には立ってはくれないのだ」
「それは陛下、贅沢な悩みですわ。陛下が眩しすぎて、お近くにいくのを誰もがためらうだけです」
ふと見れば、ルイズィトの腿の上に果実の葉が落ちている。私の指の長さほどの、濃い緑色の分厚い葉だ。彼は気づいていないようだ。
手を伸ばして、彼の腿の上からパンパンと葉を払い落とす。すると自分の膝上に戻そうとした手を、ルイズィトに掴まれた。
問うように目を合わせると、彼は私の手に視線を落としたまま、口を開いた。
「――私に触れることが許されるのは、長い間父母と乳母を除けば、医者だけだった」
ふとガル=アルトが同じようなことを言っていた、と思い出す。
それは、生まれた時からだろうか。なんとも凄い話だ。
万里花もベルも、普通に周囲の人間と触れ合って成長をした。そんな私にはルイズィトの子ども時代が、到底想像できない。十三の国々をまとめるルイズィトの権威は絶対であり、同時に極めて孤独な存在だった。
黙って見つめていると、ルイズィトは思い出しながら話すように、宙に視線を彷徨わせながら言った。
「私の母が聖王宮に嫁いで来た時、母は全身が心臓になったかと思うほど、緊張していたらしい」
「あら、それは私も同じですわ」
お義母様のお気持ちがよく分かります、と心の中で言い足しながら、知った顔で頷く。
「母は聖王に対する畏怖のあまり、妃となっても父に触れることができなかったらしい。随分と何度もその話を父から聞かされたものだ。――きっとお前の将来の妃も、そうなるだろうと」
そこまで言うとルイズィトは私の顔を見て、破顔一笑した。
「それなのに、貴女ときたら」
「私が、何か……?」
「貴女は私たちの初めての夜に、私の口に両手を猛然と押しつけた」
そうだった。キスを妨害しようと、聖王の顔面に張り手をしたっけ。
困ってもじもじと座り直していると、ルイズィトの笑い声が大きくなっていく。
「挙げ句に、翌日の夜には寝台から突き落とされたな」
「あれは不可抗力です!」
少し怒りながら、私の右手をまだ掴んでいるルイズィトの手を振り払う。自分の膝の上に戻すと、そっぽを向く。
(……私だって、あの夜ルイズィトに殺されるかと思ったんだから)
ルイズィトは穏やかな口調で続けた。
「それで、良いのだ。私の立場には貴女くらいが丁度いい」
思ってもいなかったことを言われ、ゆっくりと視線をルイズィトに戻した。彼は私が振り返るのを待っていたように、優しい笑みを見せた。
「私にもこうして、やっと隣に立ち、触れてくれる人が現れた」
「陛下……」
ルイズィトはその紫色の瞳を下ろし、私の左手首を見つめた。正確には、私の腕輪を。
「貴女は天が選んだ女性だ。魔族の邪魔が入ったくらいで、私は貴女を手放すつもりはない」
その言葉に、まるで体が舞い上がるような興奮を感じてしまった。私ったら、どうして喜んでいるんだろう。
落ち着かなくちゃ、と言い聞かせる。
私は慎重にことばを選んだ。
「こんな私を信じてくださり、ありがとうございます」
ルイズィトはふと気付いたかのように私に聞いてきた。
「ところでなぜ私のマントを握りしめている?」
「陛下が鳥になって、私を置いて飛んでいかないようにしています」
ルイズィトは首を左右に振って笑った。まったく、信用されていないな、と呟きながら。
ユニコーンは忘れた頃に聖王と私がいる島に戻ってきた。
それは私たちが置き去りにされてから、なんと2時間も経過した後だった。
カフェで2時間時間をつぶすのとは、訳が違う。
上空高くに浮かぶ、小さな島の上だ。
地上に戻る頃には、フルマラソンでもしたかのように疲れ切っていた。
「ユニコーンには、二度と乗らないと決めたわ」
「大変でしたね。まさか二時間も小島にいらしたとは」
聖王宮に戻ると、サラに手伝ってもらいながら、ドレスに着替える。
薄い緑色のドレスの裾を手で整えると、部屋の中の姿見まで歩いていく。
鏡の向こうから、金色の長い髪をハーフアップにしたシャーロッテリナベルが私を見る。
私は手を彼女の方に差し伸べながら、ゆっくりと歩いた。
シャーロッテリナベルと手を重ねるが、触れ合えばそれはただの無機質な鏡でしかない。
「どうかされました? コルセットをもっと絞めた方が良いですか?」
サラがきょとんと首を傾げる。
「まだ見慣れないのよ。これが私だってことに」
私の瞬きに合わせて、シャーロッテリナベルも目を瞬く。
その澄んだ青色の目を見て、天空にいた蝶を思い出す。確かに、似たような色だ。
ルイズィトが小島で見てくれた目だ。
彼もこの次私の目を見たら、またあの蝶を思い出してくれるだろうか?
そう思うとなんだか胸がこそばゆくなる。




