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天空島の旅①

 神殿から王宮に戻ると、祈祷式のための重たいドレスから動きやすい軽いドレスに着替える。


 ユニコーンに乗ると聞き、サラが気を回して厚手の生地の汚れの目立たない紺色のドレスを選んでくれた。スカート生地もドレープが少なく、歩きやすい。

 サラは私の着替えを手伝い終わると、声を落として言った。


「王妃様。祈祷式の付き添いに私を選んで下さり、ありがとうございました。ジャンティーレ様のご尊顔をあんなに近くで拝見できたのは、初めてです。夢のようです」

「喜んでもらえて何よりよ」


 彼を落とすのは、とても大変そうな気がするけど。




 聖王と待ち合わせたユニコーンの厩舎を目指す。

 花々が咲き誇る聖王宮の庭園を横切り、芝生の敷き詰められた丘にでる。

 厩舎は縦長で、天空島の浮かぶ池と丘の間に建っていた。


 厩舎に着くと、ルイズィトが先に私を待っていた。

 いつものひだの多いゆったりとした服ではなく、濃い紫色の上着に、下は革のブーツにズボンという、騎士のような衣装を纏っていた。

 これはこれで、威風堂々としていて素敵に見える。少しの間、足を止めて見惚れてしまった。

 ルイズィトは一頭のユニコーンを従えていた。

 ルイズィトは私に気づくと、その白い聖獣の背中を撫でた。


「ご要望にお応えして、ユニコーンで天空島をご覧に入れよう」

「よろしくお願い申し上げます」


 しおらしく微笑んでみせる。

 馬具をつけないユニコーンに乗るのは、なかなか大変だった。足をかける鎧がないものだから、厩舎の横に置かれている木箱を踏み台にして、ユニコーンの背に跨がる。

 私がなんとか乗ると、すぐに後ろにルイズィトも乗ってきた。


「たてがみに掴まっているといい」


 アドバイス通り、ユニコーンの波打つ柔らかなたてがみに手を伸ばす。痛くないんだろうか。


「はっ!!」


 ルイズィトの掛け声と共に、ユニコーンは走り出した。厩舎のすぐ後ろは湖になっており、湖を右手に見ながら、駆けていく。

 尻の下から伝わる振動は、すぐになくなった。

 揺れるたてがみ越しに下を見ると、緑の芝が敷き詰められた地面が、あっという間に遠ざかっていく。

 ユニコーンは大地を駆けるが如く、宙を走っていた。


(ひぃぃいい、浮いてる!!)


 胃が浮き、下半身から血の気がひく。遠くなっていく地面を見るだけで、頭がクラクラしてくる。たてがみに掴まる手から、力が抜けそうだ。

 やがて私たちは厩舎の屋根を見下ろし、白く聳える聖王宮に聳える塔と同じ高さにまでのぼりつめ、すぐにそれすらも眼下へとおりていく。

 ユニコーンがその白い優美な脚で宙を蹴り、その一歩ごとに私たちも空へと近づいているのだ。翼で飛ぶのではなく、空を駆けているのだ。


「陛下! 私たち、……飛んでいます!」


 興奮を抑えきれず、後ろに座るルイズィトに話しかける。


「その通り。ーーベル、あれが天空島だ」


 後ろから腕が伸ばされ、ルイズィトが前方上空を指差す。その先には雲間に浮かぶ、大きな島が見える。

 空に浮かび、幾重にも滝を落とす浮き島が。

 霧のように漂っていた雲が晴れ、天空島の全容が視界に入る。

 巨大な灰色の岩の上に芝や木々が生え、その真ん中に白い二つの建物が建っている。

 島の周りを、大きな白い鳥たちが飛んでいる。彼らの投げかける影が、島の地表を流れていく。

 島の中心に水源があるのか、豊かな水が川のように流れ、島の途切れ目から空に流れ落ちる。聖王宮から見たそれは、細い絹糸のような流れだったが、近くで見ると瀑布だった。

 鼓膜の奥深くまで、水の音が響く。

 この世に、こんな光景があろうとは。

 こんなものを目にする日が来ようとは。

 興奮のあまり、全身の血流が勢いを増し、五感が研ぎ澄まされていく。

 私は目を皿のようにして、その浮島の全容を捉えようとした。


「あの島は、どうして浮かんでいるのかしら? なぜ落ちて来ないのかしら?」


 後ろのルイズィトに尋ねる。


「月が落ちることはないのと同じくらい、天空島が空にあるのは当然のことだ。面白いことを言う」


 ユニコーンが円を描くように島の周りを飛ぶ。

 ルイズィトは私たちが一周を終えると、大きく頷きながら言った。


「今朝の祈りは届いたようだ。――神殿からの鎖が、天空島を留めている」


 目を凝らしても私には鎖らしきものは見えないが、聖力を使った聖王本人には分かるのだろう。


「陛下、あの建物には、今は誰かいるのですか?」


 天空島には二つの建築物があった。

 一つは尖塔を持つ、小さな神殿だ。もう一つは神殿より更に小ぶりな、瀟洒な屋敷。


「あれが天空神殿と、天空宮だ。春を呼ぶ儀式以外には、使われない」

「一年に一回しか人が入らないんですか? 掃除が大変そう!」


 トイレとお風呂は絶対になさそう。

 ルイズィトは後ろで体を揺らして笑った。


「そんなことは、考えたこともなかった」


 建物が建つ天空島の周囲には、取り巻くように小さな島が四つ、衛星のように存在していた。

 車一台分ほどの、本当に小さな浮き島だ。

 四つの島には異様にカラフルな実をつけた木が一本ずつ、植えられていた。


「可愛い小さな島がありますね。地上からは気づきませんでした」

「小四島だ。――上陸してみるか?」


 そういうとルイズィトはユニコーンの脇腹を蹴り、手近にある小島に走らせた。

 小島に近づくと、その木に目を奪われる。

 私の背丈ほどの木には、まるでガムボールのようにカラフルな果実が、たわわになっているのだ。


「おりてみよう」


 ユニコーンが島に脚をつけると、ルイズィトがその背から滑り降り、私に手を貸す。

 島のふかふかの芝の上に着地すると、思わず隣にいるルイズィトにしがみつく。

 島は小さく、ユニコーンと人間二人が立つと、殆ど陸地がない。

 数歩後ろに下がっても、前進しても、島から足を滑らせて上空に放り出されてしまう。

 するとその直後、ユニコーンが島を蹴って上空に駆け出した。


「えっ、どこに行くの!?」


 私の呼びかけ虚しく、ユニコーンは飛び立ち、天空島の方へ走り去ってしまった。

 慌ててルイズィトを見上げるが、彼は動じる様子もない。


「すぐに戻ってくるだろう。ただの散歩だから、案ずるな」


 それでも怖くて、ルイズィトから手を離すとすぐに木に縋り付く。

 ルイズィトはそんな私を見て、面白そうにしている。


「その果実は、食べられる」

「そうですの? 色が一つ一つ違うのは、なぜなの?」

「全て味が違うのだ。この世の全ての果物の味が、ここにある」


 そんな不思議なことが、あるだろうか。

 上空にいる恐怖がやや薄れ、まるで林檎の木のようにたわわに実る果実に、手を伸ばす。

 大きさはピンポン玉程度だが、絵具で塗ったように鮮やかで、艶がある。形も人工物のような完全なる球なのだ。


「食べても良いのかしら?」

「勿論、構わない」


 緑の葉に隠れている果実もあり、葉を手の甲でどけながら一つ一つの色を確認する。

 折角だから、食べたことがない珍しい色のものを食べてみよう。


「橙色や黄色はありふれているし。赤は林檎だし、紫は葡萄だし、……ピンクもグァバならあるし。白も珍しくないわね。最近は白いイチゴがあるから」


 迷いつつ選ぶ。

 ルイズィトは無言で私を見つめている。

 ややあってから、彼は私に言った。


「金と銀のものもある」

「凄い色ね。――金の洋梨と、銀のナツメグみたい」

「フランツにはそんなものがあるのか?」

「いいえ。実際にはないけれど、でもそんな童謡がありました」


 もっと言えばフランツではなく、これはイギリスの歌だ。

 強欲だと思われたくないなら、金銀の果実には手を出すべきではない。子雀を助けたお爺さんが、小さいつづらを選んだように。

 ふと私の手が止まる。


「陛下は召し上がらないのですか?」

「実は恐ろしく不味いものもあるのだ。しかも色と味が常に一致しない」

「面白い! 当たり外れが激しいのね。分かりました。原則に立ち返って、赤色にするわ」


 なぜならそれが果実として、一番平凡に思えるからだ。

 手近にあった赤い果実をもぎり、かじる。

 ぷち、と皮が破れ、中から甘い汁が溢れ出る。果肉は桃のように柔らかく少し繊維質だった。


「あら、大当たりだわ。でも、何の果物の味かしら?」 


 桃の歯応えなのに、見た目は濃い赤リンゴ。果汁たっぷり。けれど味は……。


「バナナだわ。どう考えてもバナナ。――味の他の全てが一致しないから、すごく混乱するわ」

「外観と感触と、最後の認識のどこに重きを置くかで、結論は変わる。この果実は口にする者によって、違う感想をもつのだ」


 食べていると、中から種が出てきた。梅干しの種に似ている。


「記念に持って帰っていい?」

「構わない」


 ルイズィトはあっさりと認めてくれた。


「植えたら、地上でもこの実がなるのかしら?」

「残念ながら、今まで何人もの聖王が試したらしいが、一度も発芽しなかったと聞いている」

「とても貴重な木なのね。空の上でしか、見られないし食べられないなんて」


 ユニコーンがどこかに飛んでいってしまったので、私とルイズィトは木の下に腰を下ろした。そのままお喋りをして、気まま過ぎる聖獣の帰りを待った。


「あのユニコーンがもしも、ここに戻って来なかったらどうしましょう?」

「それは困ったな。地上に戻るすべがない」


 そう言うルイズィトの口調は、言葉とは裏腹に至極落ち着いている。

 島から少し身を乗り出して下を見ると、遥か下にある湖の霞んだような青色が見える。遠過ぎてよく見えないが、それすらも時折流れてくる雲のせいでさらに視界を邪魔される。

 先程のユニコーンは見える所にはいないし、戻ってくる気配もない。


「この島、落ちないかしら。ジャンプしたら、傾いたりしないかしら?」

「それはないから、安心して良い」

「陛下は飛べませんの? 聖術とかで」

「――そうだな。その手があるな。変身術で鳥になって、下に降りてユニコーンに乗ってそなたを助けに来ようか」


 そうか。言われてみればガル=アルトもフクロウだかミミズクだかに身を変えられるのだ。ルイズィトにもそういう芸当があるのだろう。

 妙案に思えたが、具体的に想像すると少し怖くなった。

 たとえ少しの間とはいえ、ここに一人きりになるということなのだ。そしてルイズィトの救出をここで待つしかないというわけで。


「陛下は……下におりた後で、本当にちゃんと私を迎えにきてくださいます?」


 ルイズィトは不敵に笑った。


「それはどういう意味だ?」

「こんなお空に浮かぶ小っちゃな島の上で、一人ぼっちで待つのはあまりに心細いですもの」

「そうだな。ひょっとすると、地上に下りたらそなたを忘れてしまうかもしれないな」

「……もし鳥に変身なさったら、しがみついてでも逃しませんわ」


 私が両腕を広げて捕獲の姿勢を見せると、ルイズィトは声を立てて笑った。


「それでは二人で落ちてしまうな」


 二人で笑うのが、とても楽しい。意外にもルイズィトと私は、笑いのツボが合うようだ。

 こうしてちょっとした軽口にお互いくすくすと笑ってしまうのが、嬉しい……。

 胸の奥がじんわりとあたたかくなり、どこかくすぐったさを感じる。


「ベル、貴女といるととても楽しい」

「私もです、陛下」


 二人で微笑みあっていると、ルイズィトは片手を伸ばし、手に当たった果実を無造作にもぎった。彼が獲ったのは金色の果実だった。

 ルイズィトは手の中の果実を無言で見つめた。

 私は体育座りをした膝の上で、両手をパチパチと叩いた。


「流石ですわ、陛下。数ある中から、金色を選ぶなんて……」


 無機質に輝くそれは、まるで丸いボールに金の箔を貼ったようだ。色が色なので、ドアノブのように見えなくもない。


「……でもご注意下さいませ。そういう色のものは、マズいと相場は決まってますから」

「何を根拠に」


 挑発に乗せられたのか、ルイズィトは果実を口に含んだ。

 直後に一瞬彼の口の動きが止まり、だがすぐにまた咀嚼を始める。横から覗くと金色の皮の中は、くすんだ黄色の実だ。ルイズィトは一言も発さずに黙々と食べ進めているが、その様子は恐ろしく表情を欠いたものだった。


「お味はいかがですか、陛下?」

「……問題ない」


 風に乗ってルイズィトの手の中の果汁の香りが私の鼻腔を掠める。それはまるで、錆びた鉄のような臭いだった。うっ、と思わず息を止めてしまう。

 どう考えても不味そうな臭いだ。

 ルイズィトは痩せ我慢をしているのだろう。

 黙々と食べ進めているが、明らかにスピードが落ちて来ている。強がっているその様子がおかしくて、口元が綻びそうになるのを、なんとか耐える。

 よほど不味いのか、やがてルイズィトの動きがピタリと止まった。三分の一ほど残っている、手の中の黄金の果実を恐ろしいほどの無表情で見下ろしている。


「私にも食べさせて下さいな」


 提案してみると、ルイズィトはその紫色の目をぎろりとこちらに向けた。


「いいのか?ーー劇的に不味いぞ?」

「やっぱり! 強がってらっしゃるのね。何事も経験ですから、少し食べさせて下さい」


 するとルイズィトは胡座を組んでいる足の裾を少し上げ、短剣を手に取った。例の護身用の短剣だ。

 左手に持つ果実を器用に一口大に切り、私に差し出す。


「果物ナイフにもなるんですね。――いただきます」


 錆びた臭いがキツくただようその黄色いカケラを、口に放り込む。噛んだ瞬間、果物としてはあってはならない生臭い風味が口の中に充満し、咄嗟に私は息を止めた。


(これは……、アレだ!! ――レバーだ!)


 呼吸を止めたまま咀嚼し、何とか飲み込む。


「ぼのすごく、ばずいです」

「鼻呼吸を止めたくなる気持ちは、よく分かる」


 苦笑しながら、ルイズィトは果汁で濡れた短剣をハンカチで拭いた。

 

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