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聖王の祈祷式は、聖界に不可欠らしい

祈祷式に参加するため、私とルイズィトは聖王宮の中にある神殿までやって来た。

サラも一緒だ。


「サラ、鼻血を拭いて頂戴」


 隣に立つサラを肘で小突き、惚けたように神殿の入り口を見つめる彼女に注意をする。

 神官長のジャンティーレに会える祈祷式を目前に控え、サラは興奮を隠し切れない様子だった。


 大きなファサードを持つ神殿の中に入ると、白く長いローブを纏った神官や巫女たちが広間に勢ぞろいし、私たちに気づくなり膝を折って首を垂れた。

 神殿の天井は大変高く、アーチ形をした上部は高すぎて見上げると吸い込まれてしまいそうだ。結婚式の日とは違い、今日は絨毯が敷かれていない。

 私の靴のヒールが踏み出すたびに、カツンカツンと音を石作りの内部に反響させる。

 神殿の白い壁の両側には、大きく立派な額縁に入れられた絵画がいくつも飾られていた。私の近くにあったそのうちの一枚に興味を覚え、ルイズィトに尋ねる。


「この絵は何を描いているのですか? 少し不気味だわ」


 灰色の岩が転がる暗い洞窟に、たくさんの人々がいた。皆寒そうに両腕を抱き、毛皮の外套を纏っている。洞窟の外に広がる景色も、一面赤茶色の続く荒野で、貧相な雑草が所々に生えているだけ。

 なんと佗しい土地だ。


「それは魔族達を描いた絵画だ。南大陸の」

「この寒々しい場所が南大陸の魔界なの?」

「かの地には季節がない。一年中冬のようなものだ。魔王の宮殿も、洞窟の中に広がっているらしい」

「裸足の人もいるわ。洞窟の地面がこんなに冷たそうなのに」

「仕方がない。靴の材料に使えそうな、革が魔族の庶民には高くて手が届かないのだ」


 どうやら南大陸には動物からも不人気らしい。

 絵画にそうして気を取られていると、ルイズィトに声をかけられた。


「さぁ、祈祷式に行こう」


 結婚式の時とは違って、私たちは階段を下り始めた。大理石の冷たい手すりにつかまりながら、前方を歩くルイズィトに尋ねる。


「祈祷式は地下で行うのですか?」

「そう。神殿の地下に大きな神玉石が置かれた祈りの間があるのだ」


 地下に下りると、湿った空気が頬を撫でる。

 奥には細い通路が続いており、その先には鋼鉄の両開きの扉があった。

 その扉の前に長身の男性が立ち、私たちを待っていた。

 彼は私たちの前に進み出るなり、さっと膝を折って胸に手を当てた。纏う白く長いローブの裾が、石畳の上に風を巻き込みながらふわりと広がる。同時にムスクのような、スモーキーで甘い香りが微かにした。

 男性が口を開いた。


「聖王妃殿下に拝謁つかまつります。――神官長のジャンティーレと申します」


 目を皿のようにして、目の前で低頭している男を見つめる。


(この人が、例の妖艶神官長ね!?)


 なるほど、鼓膜の中にうっとりと絡みついて響くような、色気のある美声だ。

 後ろに控えるサラが、息を呑む音が聞こえた。続けて激しく鼻をすする音も。多分、また鼻血が出てきたのだろう。

 逸る気持ちで声を震わせた。


「顔を上げて、神官長。こちらこそよろしくお願いします」


 首を上げた途端、長い黒髪がサラリと肩に流れる。緑色の瞳は意識を奪われそうになるほど美しく、少し垂れた眦が甘さを添えている。長い睫毛がその美しい瞳に、性別を超越した美を与えているようだ。

 細面の顔も中性的で、なるほど妖艶な雰囲気を纏っている。

 唇は赤みが強く、化粧をしているのかと見まごうほど、素のままでも相当な色気を漂わせている。

 ……もう、顔面だけで十八禁だ。 

 儚げな美しさがあり、なるほど確かにお腹が弱そうだ。


 神官長が扉を開けると、奥にある祈りの間が見えた。

 祈りの間はかなり広かった。

 長方形の石を敷き詰めた床が奥までつづき、歩くごとに足音が反響する。

 窓がないので壁には等間隔で燭台が置かれ、薄暗く辺りを照らしている。

 侍女や他の神官たちは入ることを許されず、ルイズィトと神官長、それに私の三人が奥まで進むと扉が閉められた。


 祈りの間の一番奥にあるのは、壁一面に彫られた空に浮かぶ島――おそらく天空島のレリーフで、島の木々の葉に至るまで細部に手ぬかりのない、見事な彫刻がされていた。島のさらに上、天には慈悲深そうな長髪の人物の彫刻がされていた。

 全能神だろう。

 レリーフの手前の床には、直径1メートルほどの丸く透明な石のタイルが敷かれていた。


「あれは神玉石ですか?」


 思わず尋ねると、神官長が口を開いた。


「そうです。聖界では唯一、聖王陛下だけが全能神のお力を、神玉石を通してお使いになれるのです。聖王家の始祖は神の子ですから」


 人類の先祖は辿れば皆、サルだと習った私には、何とも返答がしがたい。

 ルイズィトは神玉石の台上に立ち、私を見つめた。


「ベル。聖王である私の最も重要なつとめは、この星の季節を司ることなのだ」

「ええ。聖王陛下は春を呼ばれますから…」 


 先日聞いて知ったばかりだとは、口が裂けても言えない。


「それ以外にも、もう一つ欠かせないつとめが私にはある。――天空神殿のある天空島を、聖王宮近くの上空に留めておくことだ」


 言わんとすることがすぐに理解できず、間を置いてから質問する。


「放っておくと天空島はフラフラどこかへ漂ってしまうのですか?」

「その通り。毎週の祈祷式では、この神玉石を用いて天空島を固定している」


 ルイズィトは自身が乗る丸い石を指さした。

 あんなに大きな島を、どうやって動かないようにするのだろう?

 私では想像も及ばないような話なので、あとは祈祷式とやらの邪魔にならないよう、黙って端の方で成り行きを見守る。


 ルイズィトは両手を組み、目を閉じた。

 その隣に神官長も控え、祈るように両手を組む。彼も聖力とやらの持ち主なのだろう。

 その直後、ルイズィトの足下の円形の石が、輝きを放ち始めた。

 その白い光は波のように揺れながら大きくなり、やがてルイズィトの膝辺りまで明るく照らし始めた。

 まるで下から照らすスポットライトのようだ。

 湿って冷たかった地下の空気が、ほのかに暖かくなる。

 どういう仕組みで光がつくのかと、神玉石を舐めるように観察するが、当然電気的な機構は見当たらない。タネも仕掛けもない。

 これはただ、ルイズィトの祈りで光を放っているのだと理解せざるを得ない。

 そして次の瞬間、白い光は弾けるように巨大に膨らみ、私はあまりの閃光の強さに目を閉じた。

 目蓋の裏にまで突き抜けた明かりがなくなったのを感じ、再び目を開けると、もうそこに光はなかった。

 ルイズィトの立つ石も、ただの透明な石に戻っている。


(今私が見たものは、何だったんだろう?)


 説明を聞きたくて、ルイズィトが口を開くのを待つ。

 彼はゆっくりと目を開くと私に焦点を当て、微笑みかけた。


「この神殿から天空島に、聖力の鎖をかけているのだ。鎖が千切れる前に、こうして毎週補強している」


 すると神官長が言った。


「天空島が漂流し、万一魔界に飛んでいってしまえば、聖界は永遠の冬に閉じ込められかねないのです」 

「まぁ、恐ろしい」


 神官長は私の反応に大きく頷いた。ただ首を縦に振るだけで、凄絶な色気があるから不思議だ。

 長く黒い睫毛に彩られたその緑色の瞳が、ひたと私に当てられる。


「この聖界が豊かなのは、陛下のお力のおかげ。そして、聖王陛下と神玉石あっての、天空島なのです」

「我が国フランツの平和と繁栄も、陛下のお祈りの賜物でしたのね」


 手本のような賛辞を返してみると、神官長は至極満足したような、笑みを披露してくれた。

 笑って目が少し細くなると切れ長の瞳に妖艶さが増し、更に色気が増す。目線だけで鳥肌が立ち、立ちくらみを覚えそうだ。

 ルイズィトは先頭に立ち、祈りの間の出口へと歩き出した。


「まだ午前の会議まで少し時間がある。ユニコーンに乗って、天空島の周りを見てこよう。祈りが成功したかを、目視したい」

「まあっ、天空島に?」


 素早く食いつく。

 少し崩れた真紅のマントを整えると、ルイズィトは私に微笑んだ。


「貴女も一緒においで」

「賭けに負けたのに、よろしいんですか?」

「美しい天空島を、近くからぜひ見せたい」


 なんてデキた人なの。

 私みたいな非常に胡散臭い女が王妃で、申し訳ないくらいだ。


 暗い地下から出て、神殿の広間に戻ると、そのあたたかさにほっとする。 

 すぐに巫女たちが私とルイズィトを広間の奥にある椅子に誘導してくれる。

 ビロード張りの椅子に腰かけると温かい茶が運ばれてきた。

 両手でカップを持って、ありがたく頂く。

 喉が渇いていたわけではないが、とても安心する。

 神官長のもとにはトレイを持ったサラが近づき、彼にもお茶を差し出している。

 好感度アップを狙っているのかもしれない。


「陛下、お忙しいのにお仕事の前に天空島を見に行って大丈夫なのですか?」

「時間とは、無駄なく使うものだ。問題ない」


 ユニコーンに乗りたい、などと軽い気持ちで言ってしまったのを、少し後悔してしまった。


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