万事休す、ってやつらしい
更新を間違えました。
こちらに差し替えます。失礼しました。
「陛下、この腕輪はっ」
その刹那、凄まじい痛みが手首を襲う。腕輪が締まったのだ。
まるで万力で締め付けるような、強烈な痛みに耐えきれず、起き上がってルイズィトを押し除ける。私の火事場の馬鹿力からか、勢いあまってルイズィトが寝台から転がり落ち、ゴツンと頭を床にぶつけた音がする。
でも謝る余裕はこちらにもない。
腕輪と手首に僅かでも隙間を作ろうと、人差し指を突っ込もうとするも、指どころか髪一本入る隙間もない。
両膝の間に手首を挟んで悶絶していると、頭の中が真っ白になったからか、やっと腕輪の縮み具合がマシになってくる。
顔を上げると、私が床につき落としたルイズィトが乱れた髪を直しながら、再び寝台に上がってくる。
思わずじりじりと後退し、ヘッドボードまで追い詰められ、そこで動かなくなる。
ルイズィトは至極冷静な表情で私を見つめていた。
ヘッドボードに背中を押しつけ、手首を抑えたまま体育座りをしている私の目の前に膝をつくと、彼は口を開いた。
「聖族であるフランツ王国の者が、魔術を使えるはずがないな。――これを、どこでどうやって手に入れた?」
「これはガ…っ」
再び腕輪が締まり、寝台に突っ伏して悶える。
何かを察したのか、ルイズィトがため息をつく。
「言えないようになっているのか。――それともフランツは最早魔族の手先に成り下がったのか?」
背筋がぞくりとする程の低音の問いかけに、血の気を失いながら顔を上げ、首を激しく左右に振る。
恐ろしい誤解だ。
「フランツの陛下に対する忠誠には、何も変わりありません。これは――ただ、私だけの問題なのです」
ルイズィトは腕輪に指先をそっと当てた。そのアメジストの双眸が、値踏みするようにすがめられ、腕輪にしばし落とされる。
「凄まじい魔力だ。おそらく神官長にも見えていないだろう。こんなものを作れるのは、並の使い手ではない。魔族の中でも、相当高位の者に違いない」
ルイズィトの聖力は魔王軍総司令官が思っていた以上に、大きいようだ。この事実に、現状を打破する為の一縷の望みを託す。
「陛下は、これを外せますか?」
「外してほしいのか?」
「勿論です! できますか!?」
期待を込めた問いかけに、ルイズィトは静かに首を左右に振った。
「――術式が分からぬ上、魔力となれば解除のしようがない。残念だが私にも外してやることは出来そうにない」
「では、壊せませんか……?」
解除が無理なら、破壊は?
ルイズィトは数秒ほどの沈黙の後、呟いた。
「手首ごと粉々にして構わないなら、或いは可能かも知れぬ」
「うっ……。今のは、忘れて下さい」
絞り出すように言うと、ルイズィトは投げやりに笑った。
「千年近くの間、魔族は南大陸でそこそこ大人しくしていたが。ついにその邪悪な牙を剥いたらしい。――現魔王は稀代の魔力の持ち主だと聞く。動きがあるなら、今の魔王の治世下だろうとは思っていた」
「この事態を予想されていたのですね」
「近年、魔族達に妙な動きがあるという情報は掴んでいた。南の島々に手を伸ばしていたのも知っていた」
はっと顔を上げると、ルイズィトは私をじっと見つめたまま、続けた。
「魔族も我々も、外見だけでは区別が出来ない。この聖王宮にも以前より、奴らのスパイが入り込んでいる」
私以外にも、魔族の息がかかった者がここに?
驚いて眉を潜めて黙っていると、ルイズィトは苦笑した。
「何を驚いている。自分自身が手先の一人だというのに」
「いつから、気付いていたのです……?」
「見くびられたものだな。結婚式で指輪を交換した時に、既に見えていた。禍々しい魔力を凝縮したような、この腕輪に」
「そんなことは、ちっとも態度に出されなかったのですね」
「目的と意図を図りかね、そなたの出方を見ていた。だが観察しているうちに、ますます検討が混迷を極めた」
何か硬く、冷たいものが首に当たる。
視線を首元に動かすと、いつのまにか私の首筋に剥き身の短剣が押し当てられていた。ルイズィトが常時持ち歩いているものだろう。
私の首にぴったりと押しつけられており、あまりの恐怖に頭からお尻まで、ヘッドボードに張り付かせて硬直する。
ルイズィトは剣呑な眼差しで私を見下ろし、言った。
「嘘は許さぬ。――魔王に命じられて、私を殺しにきたのか? そなたは私の刺客か?」
「ち、違います……!」
危害を加えるつもりはない、と伝えようと口を開いたが、言葉にする前に手首が痛む。またしても魔術が作動したのだ。
だが手を動かせない。
ルイズィトの短剣も緩むことなく、私に当てられているからだ。
「ではそなたの目的はなんだ? 何をしに来た?」
「聖王宮に命じられ、嫁ぎに来ただけです!」
腕輪が緩む。
どうにか呼吸を整える。
ああ、でも手首が魔術で飛ばずに済んでも、もうすぐ私の首が飛びそうだ。ルイズィトの短剣で。
何の装飾もない、シンプルな黒い柄を握るルイズィトの手には力が込められており、緩む気配もない。
そして短剣の飾りけのなさが、かえってそれが機能のみを優先した実用的な、「斬る」為の剣なのだという、事実を物語っている気がした。
「では答えよ。腕輪をどこで、誰から渡された?」
「これは魔王軍そ…っ」
もう、剣など視界に入らなかった。
手首の骨に食い込むほどの峻烈な痛みに、私は悲鳴を上げて寝台の上を転がり回った。
腕輪は締まるだけではなく、異常な冷気を持った。それはまるで手首を凍り付かせ、更に血流に乗って全身に冷気を運ぶような、猛烈な冷たさだった。初めての事態に、恐怖で頭が真っ白になる。
無意識に目が短剣を探していた。
寝台に膝をついて私を見下ろしているルイズィトの右手に手を伸ばし、上半身を起こして彼の短剣を強奪しようと、手の上から柄を掴む。
「何を…っ」
ルイズィトの困惑をよそに、私は短剣を己の左手首に当てさせた。
「刺客とお疑いなら、私の手首を斬り落として下さい!」
「ベル、やめるんだ」
短剣を手首に押し付けようとした私の手を柄から振り払い、ルイズィトが短剣を床に投げ落とす。
そのまま彼は私の左腕を掴み、手首を凝視した。私は手首を彼にとらわれたまま、精魂尽きて寝台に倒れ込んだ。
今や手首から先は鬱血し、紫色に変色していた。
「これ以上、聞かない。安心しろーーそなたが魔族に脅かされていることは、よく分かった」
掠れた声だった。
その声に私が安堵するのと時を同じくして、腕輪の直径がゆっくりと広がっていく。
ルイズィトが私の手首を解放し、私は彼に聞こえないように小さなため息を吐いた。
鬱血していた手の色がもとに戻ったのを確認しながら、上半身を起こす。
ルイズィトは床に落ちた短剣に視線を投げたまま、微動だにしない。
寝台を膝で進み、ルイズィトの隣に座った。
腕輪が反応しないよう、細心の注意を払いながら、彼に語りかける。
「陛下。私は手先ではありません。ただ、こうしてあちらに生命を握られています。……魔族は、聖界に乗り込んで来ようとしているのでしょうか?」
ルイズィトは短剣から目を離し、私を見た。
彼はどこか疲れた表情をしていた。
「大陸の境の森では怪しげな動きはない。が、奴らは海を渡って聖界の沿岸諸国に顔を出しているという」
「フランツには……父には、陛下を裏切るような様子は一切ありません」
「東の隅の小国に労力をかけても、なんの価値もないことを魔族どもも知っている、ということか?」
万里花としてはフランツに愛着はなどないつもりだったが、密かに傷ついた。
「陛下の妃なのに価値のない国から参って申し訳ございません」
嫌味を返してやると、ルイズィトは片方の口角を上げて小さく笑った。紫色の瞳が、星々が瞬く夜空のように煌く。まるで夜空を閉じ込めた瞳だ。




