どうも色々、見抜かれているらしい
日が暮れると、寝室に侍女が香を焚き始めた。
陶器の香炉から、ユラユラと煙が舞う。
侍女達は三人がかりで寝所の支度を整えると、扉の前に並び深くお辞儀をし、退室していく。
一人残されるこちらは、どうにも落ち着かない。
寝台の隣には、小さな物書きデスクもあった。
金色の装飾がされた白くて小振りなそれは、いかにも婦人用といった家具で、引き出しには便箋と封筒が入っていた。
きっと、遠い小国から嫁いできた私が、家族に近況を知らせられるように、準備されているのだ。
しかし、私には書くべき相手がいない。
紙飛行機でも折って、飛ばすくらいしかできない。
やがて扉がノックされた。
扉が開くと姿を現したのは、ルイズィトだった。
金色の髪を三つ編みにし、右肩から流している。
ゆったりとした部屋着は純白だが、目を凝らせば右半分にだけ白い糸で細かな刺繍が施されていて、見る角度によっては地味であり、派手でもある。
ルイズィトは煌びやかに微笑むと言った。
「午後は貴女の歓迎会が開かれた、と聞いている。どうだった?」
「ええ、皆さまとてもお優しくて。――あたたかく歓迎してくださいました」
「行事続きで申し訳ない。無理せず、ゆっくりと慣れていけばよい」
ルイズィトが優しげに、滲むような笑みを浮かべる。
私は気になっていることを思い切って聞いてみることにした。
「こちらには、聖獣といわれる伝説のユニコーンがいるのですよね?」
「ああ、その通りだ。機会があれば…」
「まあっ、ぜひユニコーン見学に連れて行って下さいませ!」
食い気味で提案してみると、ルイズィトは目を瞬かせた。幾らか驚かせてしまったようだ。
「考えておこう」
「天空島にはユニコーンで行くと聞きました。日本には…じゃなくて、フランツには空に浮かぶ島などありませんでしたので、機会があればぜひ天空島にも行ってみたいですわ」
図々しいお願いだし、本丸を攻めすぎかもしれない。
けれど、沈黙が訪れるのが怖くて、とにかく捲し立てて間を埋める。会話終了は、今夜のお勤めの開始を意味するからだ。
今日は疲労を言い訳にできない。かといって、試合開始のゴングは絶対に鳴らさせないぞ。
「ここは何もかもが見たことがないものばかりで、」
「ユニコーンは明日にでも見に行ける。ただ、彼等は全能神の子孫たる王家の者か、そのしもべである神官にしか、懐かないのだ」
「それは、つまり」
「あなたは、厳密にはまだ聖王家の人間になっていない」
ええと、ええと……!?
困惑しているとルイズィトの手が伸ばされ、私の右の左の頰に触れた。電流でも走ったように、びくりと震えてしまう。
見下ろすルイズィトの紫の瞳が妙に色気を含んで見えて、つい耐えきれずにそこから目を逸らす。
「ベル」
私の名を呼ぶ甘い声に、反応できない。
会話で場を繋ぐのは、もう無理だ。ルイズィトはゴングを鳴らそうとしている。
ルイズィトが更に一歩私に近づく。
――思わず後ずさりしてしまう。
急に自分の全身に意識がいく。
今夜準備された寝間着は胸周りがかなり開いており、ひどく涼しげなので近くに来られると頼りない気持ちにさせられるのだ。
私は無意識に胸元を手で押さえていた。
視線を上げると、ルイズィトはそんな私を見て表情を暗くした。
「顔色が良くない。――まだ体調が良くないのか?」
「い、いいえ。お陰様で健康ですわ」
震える声で返事をし、首を左右に振る。
「あの。でも私、急に少し具合が悪くなってきたかも…」
ルイズィトの表情が更に曇り、アメジスト色の目は限りなく暗い紺色に見えた。
ルイズィトが深い溜息をつく。
「……貴女はこの国に嫁いできたくはなかったのだな」
「そんなことは……。ただ、――色々と気持ちが追いつかないのです。どうしたらいいのか分からなくて……」
ゲームの世界に転生したことですら、現実としてまだ受け入れ辛い。
その上、本来登場しない人物だ、となれば最早明日が見えなすぎる。まあ、元々このゲームをやっていないから、何も分かっちゃいないんだけど。
極め付けは、私が魔王軍の手先だということだ。
ルイズィトは怒りと悲しみが混ざったような表情で、私を見ていた。
ふいっと視線がそらされる。
その物言わぬ横顔に、しばし見入ってしまう。
ルイズィトの紫色の瞳の下にはくまができ、頰はやや落ち窪んで見えた。
妙に疲れて見える。
「あの……陛下は朝起きてから寝る直前まで、執務をなさっていると聞きました」
ルイズィトはどうにか認識できるくらい小さく首を縦に振る。
「ああ、勿論」
日中は相当忙しいはずだ。
私とのお茶会は、どうにか時間を捻出して開いてくれたのだろう。――私たちのために。
いや、距離を埋めようとしない私のために。
「陛下……。お疲れなのは、陛下の方なのでは?」
見つめていると、ルイズィトはふっと笑った。
「そうだな。休息が必要なのは私かもしれない。――それでは、お言葉に甘えるとしよう」
急にどこか自堕落にそう言うと、ルイズィトは私を引き寄せ、そのまま寝台へと歩き出した。
「陛下っ……」
その結構な力に恐れをなし、震える声で呼びかけるも、彼は止まらない。
ルイズィトは寝台に掛かる布団を勢いよくめくった。
私の両肩にルイズィトの手があてがわれ、そこにグッと力が入ると寝台の上に押し倒される。
背中が柔らかな寝台の上に、勢いよく沈む。
心臓が鷲掴みにされたような衝撃を受ける。
次の瞬間にはルイズィトが寝台に乗り上げ、私に半ばのしかかってくる。一切がほんの数秒のうちに起き、展開に身も心も追いつかない。
ただただ、その体重と身体の熱さの両方に、頭の中が真っ白になる。
――待って、待って!
予想以上に強引だ。
いや、私が嫁いで来たわけだけど。でも、意識は日本人の万里花なのだ。
ルイズィトは私の顔の左右に手をつき、上から覗きこんできた。心臓が痛いほど鼓動を激しくする。
ベッドに散る私の髪にルイズィトの手が乗り、少し痛い。
ルイズィトは右手をベッドから上げ、私の頰を撫でた。
どうしようもなく、身体が震えてしまう。
自分の寝間着の合わせを、再び両手で押さえる。
その手にルイズィトが手を掛け、どかせようと力を入れる。
負けじと自分の手を胸に押し付ける。
「シャーロッテリナベル。手が――完全に邪魔だ」
「……」
「シャーロッテリナベル」
こんなことをしてはいけないのは、頭では理解できている。
理屈抜きに、ただ恐ろしい。
私が完全に凍りついていると、ルイズィトはげんなりしたような声で言った。
「私を、肉食獣でも見るような目で見ないで貰えるだろうか」
「そんなつもりでは…」
苦笑してからルイズィトは静かな声で話し出した。
「貴女は私に嫁いだはずだ」
「……ええ。分かっております」
「だがなすべきことが分かっていないようだ」
「分かっておりますが、心と身体がついていけてないのです」
ルイズィトは私の拳の上から手を滑らせ、私の肩に触れた。
思わずびくりと震え上がり、こぶしを握りしめてしまう。
するとそっとルイズィトは私から手を離した。
「そんなに怯えるな」
ルイズィトは私の手首を掴んだ。そしてそのままそれを私の顔の前まで、持ち上げる。
「これは、なんだ?」
呼吸が止まった。
これ、とは何を指しているのだろう。
ルイズィトが掴んでいるのは私の左手首だ。そしてそこには、魔王軍総司令官・ガル=アルトの腕輪が金色に煌めいている。私の手首の周囲より少しゆとりがあるその腕輪が、ルイズィトの動きに合わせて微かに私の肘がわに落ちる。
(見えていないはず……。大丈夫)
何とか冷静さを装うが、冷や汗がじわじわと額に滲んでいくのが、自分でもわかる。
「私に見えていないと思っているのか?」
止まっていた息が焦りのあまり、あらく上がっていく。
「なんの、お話でしょうか…」
「この腕輪から強力な魔術を感じる」
(あの嘘つきぃぃぃい――!! なにが、俺の魔術の最高傑作よ!!)




