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今回から新章です。レギュラーキャラのマレーヤ、何やら秘密が……?
「じゃあね~! バイバ~イ!」
夕日が空を茜に染める。
帰り道、手を振り合って別れる女子生徒たち。
そのひとり、マレーヤが、
「えっと、あの……、あたし、ちょっとこっちに用事あるし!」
と、連れのアスタリに。
「こっち、って? 早く帰って、お店の準備しないと。オーナーに怒られますよ?」
「まぁ、そうなんだけどさ。すぐ! すぐ帰るし! お時婆さんにはうまく言っといて、アスタリ、ね! お願い! じゃっ!」
早口でまくし立てると、ミニスカートの裾が翻るのもかまわず走り去っていくマレーヤ。途中振り返って、飛び上がりながら手を振るのが見えた。
「ぁあ、もう。お時さんになんて言ったらいいのか。昨日もそうだったし、マレーヤ、なにやってるんだろう。怪しい、よね……」
メガネの奥、ため息交じりにアスタリの目がかすかに光った。
「なに、マレーヤに男ができたぁ?」
夷やの店内。
「ち、違います。もしかして、マレーヤに彼氏ができたのかも、って」
あわてて訂正するアスタリ。
「同じだろ。ったく、ガキが急に色気づきやがって、なぁ」
源大朗の声に、キアがピクッ、とネコ耳を震わす。
ラウネアは、
「言いすぎです、源大朗さん。でもほんとうなら、マレーヤさんにも春が来たってことなんじゃないですか」
と自身のパソコンデスクから微笑む。
「春ねえ。あいつの頭ン中はいつも春みたいな感じだけどな。で、どうなんだ。その相手の男ってのを、見たのか」
「いえ、そこまでは。ただ、このところ続けて、下校途中にマレーヤが、ひとりで離れて行っちゃうんです。用事があるから、って。二時間くらいすると、帰って来るんですけど、なんだか制服は汚れてるし、お金を貸してくれ、とか」
「お金、を……」
こんどはキアが声を上げる。
「そりゃあマズいな。悪い男に引っかかってるっぽいぞ。いまのうちになんとかしたほうがいいかもな」
「やっぱり、そうですよね」
「ああ、そのうちにな。変なクスリを飲まされたり、そのクスリが欲しかったら金をもっと持ってこい、とかな。金がないと、悪い店に売り飛ばされたり、だ」
「怖いです! すぐやめさせないと!」
「ははは! 冗談! 冗談だ。……とも言い切れねえんだよ、なあ。この東京じゃあ」
「マレーヤさんには聞いてみたんですか?」
「はい。けどいつもごまかされちゃって。転んで制服が汚れた、とか、クリーニング代を貸して欲しい、とか」
「尾行」
「えっ?」
キアのひとことに、顔を見合わせる全員。次の瞬間、全員がうなずいていた。
「じゃあ、明日決行、です!」
「わたしは、留守番ですけれど」
ラウネアだけがそう言って微笑んだ。
「いいですか」
「……ぅん」
「なんでオレが……」
翌日の午後。
例によって下校途中、
『じゃ、あたし、ちょっと用事あるから。ごめん! アスタリ、お時婆さんにはうまく言っといて! じゃあね!』
ひとりでマレーヤが行ってしまった直後。
付近の路地から顔を出したのがキアと源大朗。マレーヤの後ろ姿がまだ見えているうちに、尾行開始となる。
「マレーヤが変な男とつきあっているかもって、可能性がありますから」
「源大朗は、変なヤツ対策」
渋る源大朗が参加させられている理由だった。
「面倒担当とか、ぜんぜんうれしくねー。あとでアイスでもおごれよ。ったく」
「女子中学生や女子高生におごれとか言う中年、ありえない」
「くっ! だからオレは中年じゃ……、あーあー、はいはい、わかりました。面倒役でもなんでもやってやらぁ。中年の底力、見とけよ」
「中年の底力、って……」
「あ! 曲がりました。急いで!」
女子中学生でケットシーのキア、女子高生でスピンクスのアスタリ、不動産店中年社長の源大朗、という、言われてみれば異色の三人組が、これまた女子高生スピンクスのマレーヤを白昼いそいそと尾行し、追いかける。
言われなくても充分へんてこな展開だ。
「……街のほうへ歩いてくな」
「こっち、池袋駅のほうですよね。やっぱり繁華街のいかがわしいお店に」
マレーヤはあたりを気にすることなくずんずん歩いて行く。まったく周りを見ない。目的地以外、興味がないというふうだ。
「また曲がった。急いで」
こんど曲がったのは、なんでもない路地で、
「住宅街のほうへ行くのか。こりゃいきなり彼氏のアパートでまったり、ってヤツか、不良娘め」
「やめてください。そんなことありませんから。マレーヤ、お気楽そうに見えて、けっこう芯はしっかりして……」
「見えなくなった」
「あ?」
小走りに三人、マレーヤの消えた地点へと急ぐ。
車どうしがようやくすれ違える程度の道の傍らに、そこだけシャドーをかけたように暗い空間がある。
「これ……」
「空き家、だな。こんなところにもあったんだ。わりと近いのに、知らなかったな。けっこうデカいぞ」
仰ぎ見るほど大きい。
もとは旅館かなにかだったのだろうか。入母屋造りの木造二階建て。
周りの空間まで暗く見えるのは、うっそうと大きな木々がいくつも生い茂っているせいだ。
だが立派な建物も、目を凝らせば細部は壊れ、ガラス戸は割れ、屋根は穴が開いて、一部は崩れ落ちている。
もともとの塀をさらに囲って、金網のフェンスが張り巡らされていた。そのフェンスもまた、赤さびに塗れている。
「マレーヤはどこに行ったんでしょう。このあたりで、見えなくなったのに」
「そこ」
アスタリが言い、キアが指さす。
フェンスの網がめくれたように開いている部分があった。地面もそこだけえぐれていて、
「ここから入ったのか。んー、かなりきついな。ぐわー、飛び出してた金網が袖に引っかかった!」
それでも源大朗、なんとか突破。
源大朗が通れるなら、と、残りのふたりも難なく……、のはずだったが、
「きゃっ! なんでお尻つかえるの。もぉ! そんなにお尻、大きくないのに。こんなのおかしい!」
「……」
キアが無言で押し込み、アスタリもなんとかフェンスをくぐり抜けた。建物の前で、
「……ほんとにこの中にマレーヤ、いるの」
「こんな崩れかけの旅館で逢引してたら、その彼氏はヤバいヤツ、ってより、変なヤツだろ」
「ひき肉は関係ないと思うんですけど。えっ、あいびき、ってそういうのじゃない?」
「あっちが入り口」
「けどマジで危ないぞ。最低でも工事用ヘルメットは欲しいところだが」
「わたし、取って来ましょうか。夷やさんに戻って」
アスタリが言う。しかし、
「行く」
キアがひとり、入っていく。一瞬止めようとして、源大朗、
「んまぁ、あいつはネコだから、狭いところとかはお手の物なのかもな。まえに、空き家でネコを飼ってたし」
「あ、いま夷やさんの二階にいる、カーバンクルの、にゅう」
「ああ。ネコがネコを飼うなんざ、下手なしゃれだぜ。にしても、また野良ネコ飼ってた、とかいうオチじゃないだろうな……」
源大朗、無精ひげをなでる。
一見のんきに見えて、その手はいつでも連絡がとれるよう、携帯を握ったままだった。
「ふーん、ふふーん。クロ! あれ、どこにいるの? 出ておいで、クロ~! マレーヤが来てやったぞー。……またひとりでどこか入り込んじゃったのかな。けっこう広いから、探すの大変だよー。うわぁ!」
バリッ! 急に床の板が割れて落ち込み、マレーヤの足がくるぶしまで沈み込む。あわてて飛び退く。
「あっぶなーい。ここも床板腐ってたんだ。ケガするよぉ。それでなくとも制服汚してアスタリに叱られたんだから」
言うまでもなくマレーヤ、空き家の旅館の中をひとり、歩いているのだ。
玄関から入って、部屋ではなく厨房のほうを進んでいる。そのあたりはいつも歩きなれているようなのだが。
「あれー、おっかしいなー。どこ行ったんだろ」
そう言うとマレーヤ、スクールバッグからガサガサと袋を取り出す。中には、さらに紙につつまれた食パンが入っていた。
「ほら、クロ! おいで! 出ておいでー! 来ないと、なくなっちゃうぞー。マレーヤが食べちゃうよ! ……あいつ、けっこう贅沢だからなー。こないだもクリームパンは食べたけど食パン残したし。あー、キャラメルの残りあったっけ。これの匂いで出て来ないかな」
ポケットからキャラメルも。薄紙を剥いて頭の上にかざし、振って見せる。
「ダメかなー。……ぅん?」
視界をなにかが横切った気がして、マレーヤはそちらに向かって歩き出した。
「マレーヤ、どこ?」
こちらはキア。
呼んでも返事はない。だいいちキアの小さな声では届かない。
制服のポケットからスマホを取り出したキア、操作しようとして、またポケットに戻した。
電話なら繋がるだろう。
けれど、マレーヤはすぐそばにいる気がして、発信ボタンに触れる気がしなかった。
マレーヤの「男」を突き止めようとする尾行は、いつの間にか趣旨が変わって、空き家探検と隠れ鬼のようになっている。
けどもう、
「きっとネコか、犬だ」
キアもこんなところにマレーヤの彼氏がいるとは思っていない。事情を突き止めたら、それでいい。
その事情がどうあれ……、
「ん……、!!」
キアが考えていたときだ。突然、目の前を黒い影がかすめた。
と思うと、視界の端でターン、すばやくキアに迫って来る。それはもう、跳びかかって来ると言っていい。
思わずキアが飛びずさり、両手を床に、身を低くしてかまえたほど。頭のネコ耳は毛が逆立って大きく、けれど伏せられ、シッポも低く、しかし膨らんでいる。
その両手の爪は大きく強く、剥き出されて床板に食い込む。
ケットシー本来の姿、キアは戦闘モードに無意識に変わっていた。そのキアの、
「……ぅぐぅ!」
さらに上を行くスピードで影は跳ぶと、
「ぇっ、ああっ!」
肩にかけたキアのスクールバッグをつかみ、奪い取る。
いや、手ではなくバッグのストラップに噛みついたのか。それすらわからないほどに速い。
あおりをくって横倒しに倒されたキア。
瞬時に身を起こすのと、手の爪を相手に向けて振るうのとが同時、
「ちょっと! 何やってるのよ! タンマタンマ! ほら、止まって止まって、ふたりともっ!」
そこへ声とともに飛び出して来たのは、
「マレーヤ!?」
「ふまっ!」
マレーヤを中心に、キアともうひとつ、いや、もうひとりが向かい合う。
その相手。
「もう、ダメじゃんクロ~。マレーヤはこっちだよぉ。これはキア。あー、カバンが欲しかったんだ。食べ物なんか入ってないよ。ほら、こっちだってば」
ようやくマレーヤがしゃがみこんで差し出す食パンに、
「はぅぐぅー」
飛びつく、かぶりつく、その影。
「なに、これ……、真っ黒」
キアがつぶやいた。
明日も更新予定です