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雪女の部屋探し、続きます。
「いいか。レイカはストレスで冷気が出る。まぁ、生じる、てとこだが。それで回りが寒がって、苦情は出るし仕事も部屋もいられなくなる。そうだな」
軽デッキバンの車内。
運転席と助手席には源大朗とキア、後席にレイカが座っていた。
「は、はい。でも、どこへ」
「気にするな。けど、きっと気に入るところだ」
「顧客にないしょとか、意味、わかんない」
例によって、源大朗が思いつきで行動を起こしたのだ。それも、
「まず見に行ってみないとな。可能性を探るってことだ。具体的な物件はそのあとでゆっくり探してやるからな」
不動産業者ネット内のデータはまるで無視。
ラウネアも、
『ほんとうにいいんですか? 行く途中でも、言ってくだされば条件で探してリスト、送りますから』
かろうじて、そう言って送り出すほかない。
そうする間にも、源大朗の運転する車は郊外へ。もう三十分ほども夷やの店から走っていた。
「このへんは」
「戸田だ。さっき大きな橋を渡ったろう。あれが戸田橋。荒川を越えたら埼玉だ。と言っても対岸はすぐ東京の板橋区だからな。埼京線で都内まで一本。快速電車なら、戸田公園駅から新宿まで二十分てとこだ」
「二十分! 速いですね」
「ああ。レイカの希望シートに、池袋、新宿から三十分以内、ってあったろう。埼玉なら家賃のレートも下がるしな。いいところだぞ」
戸田市は埼玉県のもっとも南に位置する市のひとつ。
人口は十四万人超。源大朗の言ったとおり、市の南の境は荒川で、その水を利用した競技用ボートコースと競艇場がある。
公営ギャンブルであるこの競艇場・ボートレース戸田が長年、市の財政に寄与して、地方税が比較的割安なことでも知られていた。
しかし近年は競艇の入場者も減少傾向にあり、そういった財政は見直しが必要になって来ている、とも。
古くは中山道(国道十七号)が貫く宿場町であり、東京に隣接する位置から、東京のベッドタウンとして親しまれて来たが、もっとも大きな変化をもたらしたのは、一九八五年のJR埼京線の開業だろう。もっとも、この時点ではまだ国鉄埼京線だったが。
埼京線は戸田市内のちょうど中央を斜めに走り、南から、戸田公園、戸田、北戸田、と三つもの駅を有する。
うち、戸田公園駅は快速電車も停車するため、より利便性が高い。と言っても、一番速い通勤快速は停まらないので注意が必要だ。
埼京線は都心西部の、池袋、新宿、渋谷、といったターミナル駅すべてを通るうえ、りんかい線との乗り入れで、湾岸地区への直通電車も多くある。
りんかい線といえば、ゆりかもめと並んでコミックマーケットへ行くのに使われる電車の代表のようなものでもあり、それが埼玉から乗り換えなしで乗れるというのも、大きな荷物を持った入場者には有利とも言える。
埼京線で北へ行けば、そこは埼玉の県庁所在地、さいたま市で、こちらも大きな商圏であり、戸田市からはどちらへの移動も容易なことから、ベッドタウンとしての需要は大きい。
そのせいか、全国平均と比べても人口構成における三十代、四十代前半の比率が大きく、若い世代の住宅供給という意味でも人気はさらに高まっている。
地理としては前述のように荒川が市の境、市中を流れ、いってみれば市の大半が荒川の河川敷平野のようなものなので、北のさいたま市が大宮台地、南の板橋区が上野から続く崖線の高地、と比べると非常に平坦な地形である。
「ビッグサイトへ一本で行ける電車に乗れるんですね」
レイカの声が弾む。
「なにか、描いてるの? それとも文字のほう」
キアの問いに、
「っていうほどじゃないんですけれど、イラストを趣味で」
「へーえ、多いんだなぁ。マンガ家のレイチェルもそうだったし」
「あ、知ってます! レイチェルさんの絵柄、大好きです。あこがれです。ぇ、レイチェルさんもこの夷やさんで部屋を? わー、なんかすごい、光栄です」
「リーアの友達だから、もしかして、って思った」
「はい。リーアの小説にイラストを描いてて。ずっとウェブの電子版だけだったんですけど最近、紙の本も出すようになって。やっぱり手に取って見られるって、いいですよね」
「同人誌」
「そうです。リーアは本格的に商業誌デビューだし、私もちゃんと仕事見つけて働かないと、って」
「イラストレーターじゃダメなのか」
「まさか。私のはほんと、趣味の延長程度で。リーアとは、同人だから協力できたし、楽しかったけど、プロでなんてとてもとても。あ、でも〆切が押してくるとストレスが高まって、部屋の温度がうんと下がっちゃって。それで苦情がまた来て。パソコンもタブレットも調子悪くなっちゃうし、ほんと大変で」
そうした意味からもレイカ、プロなど無理、と思っているらしかった。
「そう捨てたもんでもないぞ。絵が描けるって、それだけでぜんぜん違うんだ。なんだって続けてみることさ」
「どんな絵、なの」
キアの問いにレイカ、手にしたスマートフォンの画面を開いて見せる。
「……すごい、上手」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、いいんですけど」
「ほんとう。ウソじゃない。やめないほうがいい、ぜったい」
「そんなにうまいのか。どら……」
「あああ、社長さん、前! 前見てください!」
「源大朗はダメ! 運転して」
車内で後ろを振り返ろうとした源大朗にレイカとキア、全力で反応する。
「はっは、冗談だ。……おっと、さあ着いたぞ」
笑いながら源大朗、ハンドルを切る。車は減速して、塀の中へ。敷地内の駐車スペースに停まった。
「ここって……」
うながされて車から降りたレイカ、目の前の建物を見上げる。
学校の校舎ほどもある無機質な立方体がそびえていた。地上五階ほどのRC建築。学校と違うのは、窓がほとんどないことだ。
「倉庫」
キアが言うと、
「ああそうだ。それも冷凍倉庫な。このへん、戸田のあたりはもともと倉庫街でな。いまは住宅地にどんどん変わってマンションが増えてるが、駅からちょっと離れるとこんなふうだ」
答える源大朗。
その言葉のとおり、まっすぐな道路沿いにいくつもの四角い箱状の建物が並んでいる。パネルバンの大型トラックやトレーラーが道を行き交っていた。
「でも、どうして倉庫なんですか。わたし、アパートを探してて」
「おう。住む場所もそうだが、バイトも探してるんじゃなかったか。いま、働き口はあるのか」
「それは……、いまのバイト、ぁ、リーアもやっていたアトラクションの次の事務系ですけれど、さっき言ったようにクビになったばかりで」
「それで」
キアも察する。
「だな。うってつけのバイトじゃないか。たまたまこのあいだ、イエティの客に部屋を見つけてな。そのときいっしょに紹介したのが、ここの冷凍倉庫の仕事だ」
自信満々に源大朗、胸を張る。
「そんなお客さん、来てたの」
「ああ、おまえは学校へ行ってた平日だな。もうひと月近くまえだ。おっと、来たぞ、あいつだ」
向こうから近づいて来る男がいる。がっちりとした大柄で、顔はかなり毛深い。というよりほとんど、
「く、熊」
「いやぁ、熊じゃないすよ、イエティです。あ、社長、ご無沙汰っす。この間は、ありがとうございました!」
作業着姿で、帽子を取って挨拶してくる。
「ブルーム、だったか。元気そうだな。しっかりやってるか。そうか、良かった」
源大朗が相好を崩す。
いかついが、愛想のいい青年のブルームも、言葉を返して話が弾む。
「レイカ、倉庫で働く、の?」
「え、無理です、それは。社長さんの申し出はありがたいんですけれど、倉庫で働くなんて、私、できなくて」
キアの問いにレイカ、あわてて首を振った。
倉庫仕事は肉体労働だ。
フォークリフトなどの機器を使わない部署では、おもに荷物の仕分けを作業とする。さまざまにパックされた荷物を開け、卸先の注文に応じた内容にまた詰める。短時間で多くをこなさなければならないハードワークだ。荷物の内容にもよるが、大人の男性でも、続けて二時間もやれば腰が悲鳴を上げる。
「レイカ、女の子だし、こんなに細いし、ダメ」
「ほんとう、すいません。ここまで連れてきていただいたのに」
キアが言い、レイカが頭を下げた。源大朗、
「ぁあ? 倉庫の仕事をすると思ったのか。違う違う! んなこたぁ無理だ。こんなにデカいイエティのブルームでも、最初のひと月は逃げ出したくて電話してきたくらいだもんなぁ」
「あ、なはは。面目ないっす」
「じゃあ、どうして」
「見てもらうのが早いか。な、ブルーム」
言うと、ブルーム、ニッと熊のように笑った。
「おす! こちら、どうぞ」
吐く息がたちまち白い放射状の雲となって伸び、消える。
息を吸えば鼻がピリピリするし、代わりに口を開ければ冷たい水を飲んだときのように歯にひびくほど。
「冷凍倉庫の中、って」
「おう、寒いな。こりゃ寒い!」
キアと源大朗、声を震わせる。
来客用の防寒服をフードまですっぽりかぶったふたりだったが、それでも寒さは容赦ない。
「あはは、やっぱり寒いですか。ですよね!」
笑うブルームは、長袖とはいえふつうの作業着。
「なかなか、冷えますね」
レイカもいちおう防寒着を借りて着ているものの、フードもせずボタンも留めず、軽く羽織っている程度だ。
「ここは何度くらいなんだ」
「マイナス二十五度です」
「二十……! そりゃあ寒いはずだ。シベリアかアラスカなみだな。冷凍庫ってそんなもんだったか」
「冷凍倉庫なんだから、寒くないと」
言いながら歩くこと数分。
体育館を二つも三つも繋げたような広大な倉庫内は、壁際にうず高く荷物が積み上げられている。
ほぼ通路以外のスペースを埋め尽くすところもあれば、かなり隙間のある場所も。
そんな中を抜けて、
「ここです。でも散らかってますよ。急に言われたんで」
ブルームが指さす倉庫の隅に、仕切られたようなスペースが。小さな窓もついていて、一見してプレハブ小屋だ。
続いてドアを開けると、中は六畳ほどの広さでベッドと小さな机、それに衣装ケースが。どれも古びて、そのうえ上に様々な物や衣類が散乱しているせいで、まさに足の踏み場もない。
「少しは片付けろよ。せっかく年頃の女子が見に来たんだぞ」
「すいません。てか、見に来るって言われたの、三十分くらいまえすよ。ぜんぜん無理すってば」
「あほ。三十分あったらなんでもできるわ」
「仕事中だったんすからー」
源大朗とブルームのやり取りをしり目に、キアとレイカは固まり気味だ。
「あ、あのー」
「寒いし、早く、本題」
聞かれて、源大朗、
「んぁ? 見てわからないか」
「まさか……ここに住むんですか、わたし」
「レイカとイエティの人と同居とか、ダメ、ぜったい!」
顔色を変える女性陣。もっとも、レイカの青白い肌はそう変わらない。
「えっ、俺と、そちらのきれいな人が、すか。うわー」
ブルームも言うから、
「うわー、じゃねえよ。ボケてるとこじゃないぞ。最初に電話で言っといたろ。ええとな、つまりだ」
源大朗がようやく説明する。
つまり、ブルームは住み込みでこの冷凍倉庫で働いていて、言うまでもなくこの部屋に住んでいる。
住み込みとしても、ふつうなら事務室とか物置とか、そうした空きスペースを借りるところ。この冷凍されている倉庫内に部屋を作ってあるのは、
「俺がイエティで、寒いのが平気だからす。むしろ寒い方が調子いいんで、だんぜん」
「だな。見てのとおり、けっこう倉庫内にも空いてるスペースはあるし、六畳程度占有してもまったく問題ない。トイレも水道も、もちろん風呂なんかないが、そんなこと言ってる場合じゃなかったしな」
「ほんと、社長には世話になったす。ぜんぜん信用のない俺の保証人にもなってくれて、なんて礼を言っていいか」
「その分真面目に働いて返すんだな。住んでいれば防犯にもなるってことで、このスペースの借り賃はタダ。働けば給料分まるまる手元に残るんだからな」
「おす。がんばるす」
と、ブルームの部屋と、その経緯や効能はわかったのだが。
「待って。それとレイカの部屋探しは」
「ぁ? もうわかるだろ。こんなふうに、冷凍倉庫の一角を借りて部屋にすれば一挙に部屋代も解決ってことだ」
「ですけど、私、倉庫の仕事は……」
「事務仕事とかも、あるの? でも、同じ倉庫の中に、ブルームとレイカの部屋があるのは……」
ふたりの疑問や不安はしごくもっともだ。
「事務仕事はない。てか、仕事自体、しなくていいんだ。それと、倉庫もここじゃない。この会社の系列の倉庫がまだあってな。説明のために、こいつの部屋を見せてもらうんでここへ寄ったんだが、沿線にもうひとつ、それに」
「湾岸のほうにもあるって聞いてるす。そっちは、だいぶ離れてしまいますけど」
なるほど、ブルームと同居や、同じ倉庫内の部屋という懸念はクリアーに。
しかし、
「働かなくていい、って、私、どうすれば」
「いるだけでいいんだ。レイカはいるだけで周りを冷やしてるだろ」
「ぁ、じゃあ」
「そうだ。レイカが倉庫内にほぼ常時いれば、それだけ倉庫内が冷える。全部を賄えるとはいかないだろうが、冷凍設備の補助になって、電気代はかなり節約できるんじゃないか。その分、部屋スペースをタダで借りて、給料にもなる。交渉次第だがな。そこんとこはオレに任せとけ」
源大朗、得意げに。
「社長、さすがす! 完璧すよ!」
「おうよ、ウインウインだからな。オーストラリアじゃカンガルーがうなってるんだろ?」
「……ぜんぜん意味わかんない、けど」
しかしキアも関心していた。
たしかに一挙両得な仕組みだ。
おしゃれとか、利便性などとは程遠いものの、今日明日アパートを追い出されようとしている亜人には、願ってもない条件だろう。
いずれ、余裕ができたら、その先を考えればいいのだし、それまでは無料の住処で存分に趣味のイラスト描きなどもできるだろう。
源大朗の言う通り、ウインウインな物件紹介の完成、かと思われた。
レイカが口を開くまでは。
「あのぅ……」
「なんだ。さっそく本命の倉庫を見に行くか。向こうの責任者にもアポを取らないとな。オレが説明するとして、契約は、ちと今日中には無理かも、な。けどまだ日にちはあるんだろ」
「それが」
「どうしたの。気になることはいま、言っておいたほうが、いい」
キアに言われ、レイカ、意を決したように吐き出した。
「私……、私! 寒がりなんです。ごめんなさい、こんなふうに寒過ぎるところ、苦手なんですっ!」
今晩、さらに更新予定です。