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今日から始まりました。
よろしくお願いいたします。
西暦20XX年。
突如、世界各地に出現した異次元への扉「ゲート」。
ゲートを通じて異次元世界との交流が始まり、それは数多のトラブル、一触即発の危機を乗り越え、安定へ。
十年近くが過ぎ、今では多くの異世界人が世界中を訪れ、住処を定め、暮らしている。
ここ東京でも。
そしてそんな、異世界人専門の不動産店、それが「夷や」だった。
池袋。
言うまでもなく都心の有名繁華街であり、池袋駅は一日の乗降客が百四十四万人を超えるメガステーションだ。
半世紀ぶりに新設された「高輪ゲートウェイ」を加えた山手線三十駅中、新宿、渋谷に続いて堂々の三位。秋葉原や上野、東京など、名だたる駅を大きく引き離している。
なのに。
どこかあか抜けない。
とはよく言われる。まったくもって言いがかり、とも言いきれない。
池袋駅をターミナルとする私鉄の沿線が埼玉県側に集中するなど、埼玉と親和性が高いためかどうかはわからないが、ようはおしゃれな施設や、おしゃれなスポット、おしゃれな街並みなどがない、縁遠い、あるのにそうは見えない、などである。
ちなみに、山手線の乗降客数最小は鶯谷駅だ。
その数、一日わずか四万六千人ほど。無理もない。鶯谷駅の西は全部、寛永寺である。そりゃあ、人は行かないだろう、ふつう。
少々、話題が脇へ逸れた。
このあか抜けないと言われる池袋駅の西口。東口に較べるとこれもまた微妙に格差を感じるこの西口から歩いて十五分以上。
もはや、駅前などとは口が裂けても言えない程度に離れたあたり。急にそこだけ数軒の小さな店が立ち並ぶ一角がある。
その一軒に、不動産夷や、はあった。
「……ふんぁああ~」
午後の陽が表戸のガラス越しに差し込む。その、十坪ほどしかない店内の空気を全部吸い込むのでは、という勢いの大あくびをかますのは、
「源大朗さん、寝るならちゃんとソファーにしてくださいね」
その名のとおり、この夷やの店長にして社長、源大朗だ。声をかけたのは、店の奥、パソコン机の女子事務員、ラウネア。
「ソファーで寝たらダメだと思う。そこはお客さんの席」
もうひとり、隣のデスクからも。
こちらはかなり小柄の、それも女子学生の制服を着ている。やはり夷やの店員、アルバイトの、キアだ。
そして当の源大朗。キアの向かいのデスクで、こんどは大きく伸びをする。
「んーーーーーっ! ……お客さんの席だけどな。どこに客がいる。てかもう三時半だぞ。半日以上営業して、客の姿はゼロ。いったいどこに客がいるんだろうな、まったく!」
「お客さま、ですよ。いけません、源大朗さん」
「そうは言うがな、ラウネア。ていねいに言い換えたところで……、ん、はいはい、お客さまは神さま、仏さまです、てな」
「仏さま、いらない」
「おう。神さまだ。だがその神さまがちっとも降臨されないとな。ありていに言ってヒマだぞ。眠気も襲って来る、アクビも……、んぅ?」
急に言葉を切って、源大朗。無精ひげの生えた顎を手でなでる。生まれてこの方、櫛など入れたことがないのでは、という頭の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
「どうしたんですか?」
「頭でも悪くなったの?」
「それを言うなら、頭でも痛くなったの? だろ! ったく。んー、いやな、ありていに言って、の「ありてい」ってなんだ? 何気なく使ってるが、考えてみると意味がわからねえな」
「そういえば、知りませんねぇ」
「……「ありのまま、ウソ偽りのないこと」、正直に言って、とか、そういう意味」
キアがスマホから顔を上げる。しかし源大朗、
「あー、すぐそれだ。青少年はなんでもすーぐスマホに頼っていかんなぁ。もっと自分の頭で考えるってことをしないとな。スマホ依存症、嘆かわしいことだ。オレなんか今でもガラケーを愛用してるってのに」
「スマホが難しくてわかんないって、このまえ言ってた」
「んなこたーない。オレはガラケーが好きなんだ」
「じゃあ、ガラケーってなんのこと?」
「そりゃあおまえ……、が、ガラ、スの携帯、かな。いや、ガラガラ……」
「ガラパゴス携帯、ですよねえ」
そう言うラウネア、笑顔でふたりの机にお茶とお茶菓子を配る。
「なんだガラパゴスか。そのくらい知ってたぞ。……なんでガラパゴスって言うんだ。それ、デカいワニとかいる島のことだろ。なんで携帯電話と関係ある」
ここまで来て、源大朗のそれがボケなのか真面目なのかが判断しかね、ラウネアもキアも言葉をなくす。
「え、っと……」
そのとき、だった。
ガラス戸の向こうに人影が。しかし店内の三人が気づくと、すぐに離れていく。
「ははーん」
と、源大朗。
「お客さまですよ、きっと、源大朗さん!」
「いや、どうせあいつらだろ。ちょうど夕方だしな。またラウネアのお茶菓子でも目当てに、油でも売りに来たんだろ。……ん? お茶飲みに来ても油売るとか、なかなか器用だな、ふーん」
「そういうの、もういい。マレーヤとアスタリだったら、今日はお時さんの用事で出かけてるから」
キアが言う。
マレーヤとアスタリとは、夷やの向かいの喫茶店「ふじ」の住み込み店員だ。スピンクスの双子で、キアと同じく亜人のインタースクールに通う生徒でもある。
そのふたりの雇い主が、ふだんは銭湯「富士見湯」の番台に座っている時、通称お時婆さんで、このかいわいの数軒の物件を所有する不動産主でもある。この夷やの土地建物も時のもので、源大朗とは大家と店子の関係だった。
「そういうことは早く言え! じゃあ、ほんとに客だったかもしれないじゃないか。お客さん、お客さま! いらっしゃいませ、どうぞお入りに……」
急にいそいそと源大朗、表戸を開ける。
探すまでもなく、先ほどの人影の主と見られる者は、店のすぐ近くにたたずんでいた。小柄な少女、と見えて、
「……」
どこか雰囲気がおかしい。続けて出て来たキアが凝視する。
と、おずおずと振り返った少女、
「ぁ、あの」
と言ったきり、押し黙る。
コートのフードを目深にかぶり、顔にはサングラスとマスク。肩にかけた大きなトートバッグがふくらんでいる。
こうなると、明らかに怪しい。
店の中のラウネアも、声をかけられずにいたところ、
「なんだ、透明人間か! 透明族の女の子なんだろ、あんた?」
と源大朗。
無遠慮に顔を覗き込みながら、
「まえにもいたんだよ、透明族の、そう、あんたくらいの女の子のお客さんが、な。そうかそうか、透明族か。わかるわかる、透明族は得意だからな、うちは。もしかして、そのコの紹介で来たのか? ミナって言って、いまじゃけっこう、いや、かなり有名なファッションモデルらしいからな。知ってるんだろ?」
得意げに長ゼリフ。
しかしキアはまだ、無言でじっと少女の顔を見つめている。
「そら、キア、なにボーッとしてる。お客さまだぞ、お客さまのお通りだ! いや、お出まし、ぅーん……」
「お越し、ですよね。どうぞ、いらっしゃいませ」
ようやくラウネアが笑顔で招き入れようとするところ、
「……!」
なにかに気づいたキア、鋭く動くと、彼女の背後に回り込み、頭を覆っているフードを素早く取り去った。
「ぁっ……!」
声を上げ、手で頭を押さえようとする少女。
「おい、なにするんだ、キア! お客さんになんてこと、を……、んぁあ!?」
こんどは源大朗も声を上げる。
フードの中の頭がすっかり露わになった。と思ったら、ぐらり、傾いて、そのまま首から後ろへと、千切れるように落ちたのだ。
「きゃぁあっ!」
思わず上がる悲鳴を、手で口を覆って押しとどめるラウネア。
そしてキアも、自分でやっておきながら、ことの成り行きに驚いている。
「……これ」
「おい、どうなってる。頭、頭! 早く拾わないと……、って、これ、マネキンの頭じゃねえか。いったい」
落ちて転がった頭を抱え上げて、源大朗の表情が驚きから疑問に変わる。マネキンの頭を抱えて少女を見る。
見つめられ、おたおたしていた少女が、ようやく落ち着きを取り戻したように、向き直った。
「……わたし、デュラハンなんです」
次回は明日更新予定です。