84話 派閥加入のお誘い
読みたくなかったが、一応領主である立場上、公爵からの手紙には目を通しておかねばならない。
いや、いっそ紛失したことにしてしまえば……。
いやいや。それでは証人であるこの騎士たちと令嬢をどうにかせねばならなくなる。
自らのために他人を手に掛けるなど、バウスフィールドの前伯爵夫人、カーリーと変わらないではないか。
私はそうしてしばし葛藤した後、書状を開くことにした。
「先輩、とても嫌そうな顔してます!」
「取り繕うとか全くやる気ありませんのね、この男」
ナオは私を心配そうに、アスタキシア嬢は溜め息をつきながら私を見ている。
そして当然のごとく、賢者二名は私の状況など完全にスルーである。
今も、ナオのメモを手にしながらわいわいと騒いでいる。
この空気の読めなさ。
まさに賢者の塔の雰囲気だ。
「さて、読まねばなるまいな……。どれ」
書状は偽造できないように、蝋で封が施されている。
そこに押された印は、サッカイサモン公爵家のもので間違いない。
これをべりべりっと剥がす。
「あっ」
「あっ」
騎士たちがびっくりした声を上げた。
「どうかしたのかね?」
「いや、あの、公爵家の封蝋を無造作に破ってポイッて……」
「これは鉱物蝋だろう? ならば、地面に捨てておけば土に還る。何の問題もない」
鉱物蝋は、鉱山で時折湧出する、燃える油から作られる。
この油は、かつて遠い昔に生きていた生物の身体が溶け出し、長い時を経て変化をおこしたものとされている。
つまり、もとより自然にあったものなのだ。
こうして捨てて、ある程度割り砕いておけばすぐに土に戻る。
「あっ、手のひらで粉々に……!」
「なんだ、なんなんだこの準男爵」
「何を不思議がっているのかね……?」
「いや、あの、公爵家の紋章を割るのは」
「これが公爵にばれたら、叛意ありと見られても仕方ないですぞ」
「台上は今、ナオのメモで埋まっている。わざわざ紙を寄せて蝋を砕くよりも、手のひらで砕いたほうが早いし、労力も少なく済むだろう。なに、私が公爵家を侮っている? 馬鹿なことを言うな。私は砕いたのはただの蝋だ。そもそも剥がした時点で紋章は粉々だったではないか」
騎士たちは、なんとも心配性である。
物は物でしかない。
そこに込められた意味があるとしても、今の私は忙しいのだ。いつもであれば効率を重視して踏み砕いている。手を用いただけ、私なりの敬意を払っているのだが。
まあ、些細なことにいちいち構ってなどいられない。
ざっと書状を広げて読んでみた。
「ふむ。私に、サッカイサモン公爵の派閥に入れということか? その代わりとして、公爵家の六女であるアスタキシア嬢を妻として寄越すと。政略結婚ということか」
内容を要約すると、このようになる。
あまりにあけすけに要約したためか、騎士たちが慌てた。
「せめて歯に衣を着せて下さい……!」
「なんなんだこの準男爵。怖いものが無いのか」
「私は腹芸というものが一切使えなくてね。物事は分かりやすく、直接的に。学術的な発表はそうして行われるものだ」
「その、これは貴族間の交渉では」
「そんなものはできない」
すぱっと斬り捨てて、私は思案した。
公爵の派閥に入るため、アスタキシア嬢を妻にする?
それをして私に何のメリットが有るというのか。
ないな。
「お断りする。サッカイサモン公爵にはよろしくお伝え願いたい」
「準男爵、今ほとんど考えずに返答しましたよね!?」
「なんだ、なんなんだこの準男爵」
「……正気ですの!?」
今度は目を血走らせて、アスタキシア嬢が迫ってきた。
私に掴みかからんばかりだったので、間にナオが割って入る。
「まあまあ、まあまあ」
「何がまあまあですの、この……この……」
私に掴みかかろうとしていた彼女の手が、ナオの大変豊かな胸元を鷲掴みにしている。
「なんという大きさ……!!」
「正直フィールドワークとかに邪魔なんです!」
「くっ、持てる者の余裕……!!」
よし、アスタキシア嬢の怒りが逸れたぞ。
さて、私はまたナオのメモを検分する作業に……。
「しれっと戻ろうとしてるんじゃありませんわ!! ビブリオス準男爵! あなた、自分が何をしようとしているのかお分かりになっているのですか!? 王国一の貴族、サッカイサモン公爵からの誘いを断るなんて……!!」
「ふむ。貴族閥から目の敵にされるとでも言うのかね?」
「その通りですわ! 準男爵領は孤立することになりますわよ! 周囲は敵ばかりになりますわ!」
「孤立も何も、既に我が領地は単独でやっていける算段がついているのだが」
「……は?」
「王都へ税さえ納められれば、それ以外はどうとでもなる。他は、この開拓地から採れる特別な資材を欲しがる貴族が裏から接触したりしてくるだろう。表向きは権力で私を追い詰められるだろうが、実際はどうかな? トラボー殿、確かお弟子さんに各地の地質を調べている者がいたはず」
「おう、その話か。そうだな、王国の地質は問題ないがな。ただ、長く平和が続きすぎた。品種改良された作物が出回っているが、どれもこれも同じ顔をしているそうだ。草木を殺す病が流行れば、王国中が一網打尽だろうな。その事は、一応大臣に知らせてあるぞ。そういう状況を解決するために、ジーン殿がここに寄越されたのだと思っていたが」
「なん……だと……」
今度は私が衝撃を受けた。
私がこの地に左遷された理由は、クレイグの嫌がらせばかりではなかったのだろうか。
確かに、畑の作物は効率を重視して、より多く実りをもたらすものを育てていく。
その結果として、作物は皆似たようなものばかりになっていくのだ。
少し実りが悪いもの、実りが遅いものは排除されていく。
残ったものは、どれもが同じ時に実り、同じように多くの実りを人にもたらす。
同じものばかりになる。
そうなった時、彼らを標的にした疫病が発生したらどうなるか。
一様に、彼らは病にやられるだろう。
彼らと異なる特徴を持った作物は排除されている。
もしかしたら、異なる特徴を持った物たちには、病に抗う力があったかもしれない。
だが、長すぎる平和が、異なる物たちを排除してしまっている。
人口が増え、農家は効率を優先し、国もそういった作物を育てることを奨励する。
これの危険性に気付いたのならば、大臣カツオーンも実利主義ばかりの男ではなかったらしい。
いや、案外、これを指摘したのは陛下かも知れんな。
あの方は文化と学問に関しては非凡なのだ。
「ちょっと、ちょっと聞いてますの……!」
アスタキシア嬢の声で現実に引き戻された。
「話は分かりましたわ。あなたが、何も怖いものがないということ。そして、何か重要な役割を負っているかもしれないこと。ですけれど……」
彼女は私を睨みつけてくる。
「わたくしにも、退けない理由がございますのよ! わたくしには、後がありませんの……!」
「むっ。それは一体?」
「退く気は……ありませんわ」
話してはくれないということか。
ふむ。
私は少し考えた。
「先輩、先輩」
ナオが私のお腹をつついてくる。
「なんだね、ナオ。大変くすぐったい」
「先輩脇腹が弱点でしたか。意外です。……じゃなくてですね、アスタキシアさんにも事情があるみたいですから、ここは一つ、開拓地で暮らしてもらってみてはどうでしょう。ほら、奥さん見習い候補として」
これには、アスタキシア嬢が驚きに目を見開き、眼前のホムンクルスの娘を見つめる。
「いいのですの……!? わたくしは、あなたの敵でしょう……!?」
「敵なんてことはないです。それよりも、わたしはちょっと、アスタキシアさんが心配なんです。とりあえず開拓地を案内しますよ! ここって、とってもいいところなんですから!」
「あ、ちょっと!」
ナオはアスタキシア嬢の手を引くと、戸惑う騎士たちの間を抜け、外へと飛び出していく。
最後に私に振り返って、
「あっ、先輩、どうでしょう! わたしのアイディアは!」
答えは決まっている。
「無論、承認だ。アスタキシア嬢が奥さん見習いというのは保留するが、我が開拓地は少しでも人手が欲しい状況だよ。新たな仲間はいつでも歓迎しているさ!」
遠くで、ナオがガッツポーズしたのが見えた。




