162話 対決、アバドン2
蝗が作る群雲の中を、戦神が突き進む。
見覚えのある姿かたち。
ふくろうのような頭に、丸く輝く目、細い手足。
戦神がくちばしのような口を開くと、そこから炎が溢れ出した。
それが蝗に燃え移り、焼き尽くしていく。
「大森林の時よりも火勢が強いな……。充分な準備期間があったためか」
ガーシュインはいい仕事をしてくれた。
あの時、強大な敵であった戦神が、今では心強い味方になっているのだ。
目の前に戦神という名の死が迫っていても、蝗たちは方向を変えることができない。
ひたすら、ひたすらに炎に向かって突っ込んでくる。
辺りに、蝗たちが焼かれていく臭気が漂った。
「だがこれでも、群れ全体から見るとそこまでの量ではない」
戦神を稼働限界ギリギリまで働かせて、およそ一割を削れるかどうか。
蝗の群れそのものを倒すことは不可能だろう。
これを使ってやるべきことは……。
「戦神よ、進め! 群れを炎で切り裂け!」
私は声を張り上げて命令を下す。
巨大な戦神はそれに応え、蝗の群れの中を突き進み始めた。
炎とともに前進していく。これによって、蝗の群れは2つに切り裂かれることになった。
あまりに密集して飛んでいるので、燃え上がる蝗が他の蝗に引火する。
粉塵爆発もかくやという、強烈な炎が上がった。
流石にこれは避けるのか、蝗たちが戦神を中心に左右ばらばらに逃げていく。
集団としての和を失った蝗は、押し寄せた鳥たちの餌食である。
群から離れた者たちが捕食されていった。
「どこだ、アバドン。お前の核は絶対にこの群れの中にあるはずだ……!」
私は、灰色の王の伝承を思い出す。
彼は単身でアバドンを退けたと言った。
様々な伝承に姿を残す、謎の男が灰色の王である。
一節によれば、もともとこの世界には人間しか存在しておらず、他の亜人たちは灰色の王が呼び寄せたのだとも言われている。
言わば、伝説の人物だ。
彼は剣を用いてアバドンを倒したと言われている
灰色の王の伝承には、剣が深く関わる。
だから、今回も剣を用いたということが、記号的な意味で語られている可能性もある。
「伝承とは、一見誇張された物語のように見えて、そこに何らかの示唆を含んでいる事が多い……。専門ではないが、民俗学を専攻する賢者ノーリスの研究室に潜り込んだ時は……」
記憶を探る。
手乗り図書館にも、あの時の講義は刻まれている。
「灰色の王の業が、その時代の人々がアバドンを退けた偉業の現れだと見るならば、そこに間違いなくヒントがある。アバドンは脅威として語られていた。その上で、灰色の王が倒したのだと。脅威を感じさせたということは、それがある程度活動したということだろう」
今も、地上の植物を食らい尽くさんと、蝗たちが飛び交い、地に降り、あるいは戦神に食いついている。
辺境伯領の草木は大半が食い荒らされ、丸裸にされていっていた。
「そして、その脅威の中で灰色の王はアバドンを倒した。つまり……アバドンの核を見つけ出し、これを剣に掛けたということではないだろうか。二人共、蝗の群れに近づいてくれ」
「危険では?」
翼人たちの言葉に、私は首肯する。
「間違いなく危険だ。だが、そうせねばアバドンの姿を捉えられない」
アバドンに核があるならば、それは巨大な蝗なのか、それとも見た目は分からないような代物なのか。
後者だったら本来はお手上げである。
素人目には分かるまい。
だが、灰色の王はどうやってアバドンの核を見分けた?
撃退できるならば、それはひと目で他の蝗とは違うと分かるのではないか。
「手乗り図書館。アバドンを形成する蝗を記録」
私の手のひらから、図書館の形をした術式が展開した。
それは、周囲に群がる蝗たちを的確に記録していく。
同じ種類の蝗が次々、次々に記録され、カウントされていった。
正直、私の目では数を数えることすらできない。
翼人たちも、蝗の雲をどうにか避けつつ、可能な限り私を近づけようと頑張ってくれている。
「頼むぞ、手乗り図書館……!」
この術式は、私が見聞きしたもの、私がいる環境の様子を記録し文書に起こす機能を持っている。
私の第二の脳であるとも言えるものなのだ。
これが持つ知覚は、私のそれを遥かに凌駕する。
だからこそ、私は手乗り図書館が、異なる種類の蝗を記録するのを待った。
およそどれだけの蝗が記録されたのか。
突然、その時はやって来た。
蝗たちの中で、ただ一匹だけ違うものが図書館の表示に記された。
赤く、大きな蝗だ。
アバドン。
そう記録されており、種別は蝗ではなく、悪魔。
「いたぞ……!!」
私は今さっき通り過ぎた群れを振り返る。
あの群れの中に、アバドンの核がいる。
この群れを統括する、悪魔がいるのだ。
「戦神! この群れを薙ぎ払うんだ!」
戦神はこれに答えた。
全速力で振り返り、今までで最大の炎を吐き出す。
使用した魔力量が多すぎて、戦神の手足が崩れ始めるほどの炎だ。
それが蝗の雲を焼き払い、その中に隠れていた者を暴き出す。
私の体ほどもある、巨大な赤い蝗。
アバドン本体だ。
奴は群れを剥ぎ取られると、飛行する方向を変えた。
戦神の上を大きく飛び越え、群れとは逆方向に移動する。
その時、私とアバドンの目が合ったように思えた。
「私に気付いたか……!」
赤い巨大蝗が、私に向かって直進してくる。
「準男爵、危険です!」
「速い……!」
翼人たちが悲鳴を上げた。
「逃げる必要はない。我々は降りるぞ! 仲間たちの元へ急ぐ!」
「了解しました!」
幸い、戦神が吐いた炎のお蔭で、蝗の群れにはところどころに隙間ができている。
私と翼人たちは、アバドンを相手にせずそこへ降り立つことにした。
一瞬前まで我々がいた場所を通過したアバドンが、空で急カーブを描き追撃してくる。
だが、それが私に追いつこうという時、地上からナオの声が上がった。
「ゴーレム! 汝に命を授ける!」
飛翔するのは、ガーシュインが王都で使った翼あるゴーレム。
それが出現と同時に飛び立ち、私とすれ違った。
悪魔とゴーレムが真っ向から衝突する。
赤い悪魔は、弾き飛ばされるようにその方向を変えた。
ゴーレムはこの勢いに耐えきれず、空中で自壊する。
よし、助かった!
「ありがとう、ナオ!」
「間に合いました! よかったー!」
私は無事、地上へと降りることができた。
そして、仲間たちが集まってくる。
トーガ、シーア、トラボー、ウニス、ガーシュイン。
そしてマルコシアス。
ローラたち深き森のエルフも一緒だ。
我々を睥睨するかのごとく、頭上に赤い影が戻ってきた。
私は、傍らに来た魔狼に問う。
「マルコシアス。あの悪魔は、君ほど強いのかね?」
「その質問に答えよう。勝てるとも」
狼の姿をした悪魔は、初めて、直接的な答えではないものを口にしたのだった。