161話 対決、アバドン1
扉が開き、強い光が差し込んできたことで私は目覚めた。
昨日も、作業をしながら作業所で寝たのだ。
どうも腹のあたりが重いと思ったら、ナオが私の腹を枕にして熟睡しているではないか。
「ジーン! 出たぞ!」
扉を開けたのはトーガだった。
その言葉だけで、何が起こったのかを理解する。
ついに、アバドンがやって来たのだ。
「ナオ、起きたまえ」
「むにゃむにゃ……先輩のお腹は硬いのでもっと柔らかくなるべきですよう」
「私は日々鍛えているので柔らかくはならない。さあ起きるんだ」
半分寝ているナオを起こし、ともに顔を洗い、エルフ麦を焼き固めたものをかじる。
これは移動しながら食べられるので、仕事中は大変重宝するのだ。
「状況を説明してくれ」
私はいつもの旅装に身を包む。
この日のために備えてあったものをリュックに詰め込み、いつでも出立できる準備だ。
「辺境伯領に上陸したぞ。今しがただ。なるほど、お前が俺たちに、国中を巡らせた訳がわかった。エルフの通り道で繋がってさえいれば、森の前にいながら世界の出来事を知ることができる。仲間が連絡のために走ってきたんだ」
「そうか。迅速な連絡、感謝する!」
私の横で、ようやく目が覚めたらしいナオが着替えに手間取っている。
寝起きの彼女は大変動きがゆったりするので、これは手伝ってやらねば時間を食う。
「よし、ナオ、バンザイするのだ」
「はーい」
彼女から服を脱がして、下着を替えて、服を着せて……。
「ジーン。他の男がいるところでナオを着替えさせるのはどうか」
律儀に背中を向けて、トーガが言った。
「おっと、これは気を遣わせてしまったな、済まない。だが時短できただろう」
「はい! あっという間に着替え終わりました! じゃあ行きましょうか先輩!!」
「お前ら、本当に似た者夫婦だな……。まあいい。ガーシュインやトラボー、ウニス、翼人も呼んであるぞ」
「よし」
開拓地の知識人勢揃いである。
賢者ウニスは半分寝ていたが、彼は起きていても寝ているようなものだ。問題あるまい。
「では諸君、いざ、決戦の地へ!」
私が宣言すると、いつの間にか開拓地の人々が集まってきており、「おおーっ!!」と拳を突き上げて唱和した。
ちなみに彼らが行くわけではない。
エルフの通り道は、大人数でも通れるが、そもそもこの人数でやる仕事はもうない。
準備は既に終わっているのである。
「さあ、こちらです!」
ローラと深き森の民たちが通り道を開く。
ワイルドエルフは、セントロー王国全土の森を歩き回った後である。
各地の領主たちの様子を調べてもらったり、あるいは手持ちで運べるものを届けてもらったりした副次的な成果と言えようか。
スピーシ大森林を通らないエルフの森は、淡い緑と褐色の光に覆われている。
あまり幻想的ではないと感じるのは、これらの色彩を普段から森で見慣れているためだろう。
精霊の力がスピーシ大森林よりも薄いのだ。
エルフの通り道は、魔力の使い方によってそのあり方を変えられる。
広くするか、短くするか。
今回は後者だ。つまり、森を伝って一瞬で国の端から端までを移動する。
深き森の民のほとんどの協力を得て、初めてできる荒業である。
彼らの集落に移動した時、試練の民の集落への移動とそう掛かった時間が変わらなかった事に気付いたのだ。
そこでローラに問うと、エルフの通り道の規模をコントロール可能であるということを教えてくれた。
お蔭で今、私たちは猛烈な速度でヴァイデンフェラー領へと向かっている。
マルコシアスに、馬のゴンドワナとローラシアが並んで荷車を引っ張っている。
車の中には、山盛りの土。そして棒状の物体が何本か。
他にも、トラボーが魔道具をあるだけリュックに詰め込んでいる。
一見して手ぶらのウニスだが、実は彼はこれまでの間に、ワイルドエルフのことを深く研究していた。
こっそりとエルフの通り道の作り方を習ったようで、今回はその技を見せてくれると息巻いている。
やがて、通り道は終わる。
いや、終わらせられた。
ヴァイデンフェラー辺境伯領。
そこにある森にやって来たつもりが、既に森は食い尽くされていたのである。
視界に迫る、灰色の雲。
蝗によって作り出された、作物を滅ぼす魔の雲である。
「作戦行動を開始する!」
私が宣言すると、一同はリュックを下ろし、あるいは荷馬車に走り、それぞれの作業を始める。
私はと言うと……。
「ではいきますよ、準男爵」
「ああ、やってくれ」
翼人の姉弟が持ったゴンドラに乗り、空高く舞い上がっていく。
「先輩、気をつけてー!」
「君こそな、ナオ! そして、仕掛けは任せた!」
「まかされました!!」
地上のナオが、どーんと胸をたたいて、げほげほとむせた。
いつも通りだ。
緊張で硬くなってはいない。
やがて、私の乗るゴンドラは高く高く空に上っていき、迫る蝗害の雲を見下ろせる位置にたどり着いた。
雲の名はアバドン。
あの群体そのものが一つの悪魔なのだ。
雲の周囲を、飛び交う者たちがある。
あれは、エルフによって呼び寄せられた鳥たちであろう。
確実に蝗の雲を減らしてはいるのだが、相手の規模が実に大きいため、決定打にはなりようもない。
「アバドンは、群体そのものなのか。本体と言えるものは存在しないのか……?」
蝗の雲を眼下に収めつつ、私は手乗り図書館を展開した。
本物の蝗害であれば、その中心となるものなど存在はしないらしい。
群体による行動であり、そのことごとくを止めない限り、これは収まらない。
だが、ならばなぜあれは悪魔アバドンと名付けられたのか。
例え伝承にせよ、灰色の王とやらが倒した、と評されているのはどうしてなのか。
剣によって、どうやって倒したのか……?
ここから導き出された、推論。
アバドンには核が存在する。
それを群体の中から見つけ出すことが、この蝗達による被害を減らす一助となるだろう。
「では、始めるとしよう……!」
私はリュックを開く。
そこには、呪文を書き込まれた盆がある。
盆に森から取って来た砂を載せ、均し……。棒を突き立てる。
あの術式は、遠く離れていても大地を伝い、森の中にある神殿からあれを出現させた。
ならば、それを工夫すればここからでも地上に出現させることができるはずだ。
「発動せよ」
私は盆に手をかざすと、術式を起動させる。
魔力を注ぎ込まれた術式が、呪文の形にぼんやりと光る。
私はこれを、地上に向けて振りまいた。
「戦神よ! 汝に命を与える!!」
砂は、風を無視して真っ直ぐに落下していく。
そして、地上に残った仲間たちが描いた呪文が、荷台に詰め込まれていた森林の土が、落ちてくる砂を受けて目を覚ます。
そう。
持ってきた土は、全てが神土だ。
この土地の土と一体となり、神土は今、新たな肉体を得た。
かつて大森林を襲った戦神が、今回はセントロー王国を守るために立ち上がる。




