148話 計画進捗と刻限
状況は順調に進んでいる。
まず、楽しくシサイド暮らしを満喫していたら稚魚が孵った。
その後、彼らの多くは死ぬこともなく、すくすくと成長しているらしい。
やはり、水の巡りは重要だったのだ。
滞った水では、魚も窒息してしまうのだろう。
「かわいいですねえ~」
餌をぱくぱくと食べる稚魚を見ながら、ナオが微笑んだ。
潜望鏡ごしでもよく見えるほど、小さな魚が近くまで浮かび上がってきている。
「先輩、触っても?」
「やめておいた方がいいね。稚魚は皮膚がとても柔らかいから、我々がちょっと触れただけでも傷になってしまう」
「ほえー、繊細なんですねえ……」
「魚の肉体には水分が多いだろう? あれは水中でかかる圧力に対する抵抗にはとても優れているのだ。我々地上で暮らすものは、そういった圧力に対する備えではなく物理的な傷などに対して肉体を守れるよう、少々触れたくらいでは問題がない外皮を得ている」
「なるほどぉー。適材適所なんですねえ」
ふむふむと頷くナオ。
稚魚たちは、外敵に襲われることのない環境で、存分に餌を食べている。
自然界では、これだけの餌にありつけることは無いだろう。
漁師たちは、食餌の風景を感心しながら眺めている。
魚がこうして餌を食べるというところは、なかなか見られないのだろうか?
私が尋ねると、彼らは笑いながら首を振った。
「いやいや、でかい魚なら、生け簀に放して餌を食わせて太らせることはあるんだよ。国王陛下に捧げる魚はそうするんだよな。だけど、こんな小せえ魚に餌をやることは今まで無かったなあ」
「よく食ってるなあ。小さいときからこんだけ食べさせていたら、そりゃあでかくなるわ」
稚魚の外敵が入ってこれないような、目の細かい大きな網の中で彼らはすくすくと育つ。
正確には、彼らが育つ環境とここは違うため、どれだけが大人になることができるかは分からないが……。
そこは試行錯誤だろう。
これで、養殖には一応の目鼻は付いたと思う。
「進捗については、また伝えてほしいのだが。私の開拓地まで連絡をする手段は?」
「転移魔法の魔術師を国で雇ってくれるそうなんで、それで手紙のやりとりですかねえ」
「往復で五日はかかるな……!」
「そりゃあ、シサイドとセントローは水平線の端から端くらい離れてますからなあ。世界を縮めでもしない限りは……」
「世界を縮める……。ふむふむ」
それは面白い発想だな。
できることは無いのか、考えておく価値があるだろう。
全てはリアルタイムで、魚の養殖状況を知るためだ。
私も暇ではない。いつまでも、シサイドにはいられないからな。
おっと、質問の気配を感じて桟橋でマルコシアスが目を光らせている。
世界を縮めるなんてとんでもないアイディアは、ちょっとやそっとでは出てこない。
彼の力を借りる必要があるだろうな。
「では、養殖に関しては魚のサイズに合わせ、生け簀を変えていくのだ」
「へい!」
「餌に関しては、独自に魚を獲って加工する必要があるかもしれない。そこは君たち漁師ならば厳しくないのではないかな?」
「ああ、王様に献上する感じですな。ならば楽ですわ」
「いつもの要領で太らせればいいんだろ?」
「そういうことだ。頼む」
「合点承知です!」
念のため、今後の予定を書き記して渡しておくことにする。
すると、彼らは文字が読めないと言う。
なのでこれを、絵で描いておくことにする。
「ナオ、手を貸してくれ」
「お絵かきならお任せですよ!!」
さて、夫婦の共同作業である。
半日掛けて、指示書を作成した。
これからの養殖事業の要となる作業でもある。
この数日間、図書館を訪れてシサイドの書籍を読み込んでいた甲斐があった。
作成された指示書は、シサイド王国によって正式に書物として纏められる。
そして、複製され、王国の各所に養殖所が作られる予定なのである。
さて、我々がシサイド王国にいられる限界は近い。
なぜなら、我が開拓地の収穫の時期が近づいているからだ。
シサイドの事業も大事だが、セントロー王国の未来を左右する開拓地の事業もまた重要。
「旅行、楽しかったですねえー」
「ああ。初めて見聞きするものばかりで、日々驚きの連続だった。まさに、月日が経つのを忘れるというやつだね」
「そうですねえ。だけど、そろそろみんなの顔が恋しくなってきました!」
「同感だ」
荷物をまとめ、世話になったコテージを後にする。
国賓である我々を見送りに、シサイド王国の人々が詰めかけた。
ヤクマ殿下が一同を代表し、私に握手を求める。
「また来てくれ、ビブリオス卿。その時には我がシサイドの島々を案内しよう!」
「ええ、是非お願いします。私は開拓地に戻っても、シサイドの養殖事業については常に気にしておりますので」
「うむ。連絡は密にすると誓おう。最初の取り掛かりを作ってもらえたのだ。ここからは我々が試行錯誤していく番だ」
「頼みます。できれば最後まで私もいたいところですが、恐らく魚が育つまで三ヶ月はかかると思われますからね」
「それだけの間、一地方の領主を留めておくわけにはいかんよ。なに、俺たちも馬鹿ではない。やってのけるさ」
私は彼の手を、力強く握り返した。
これで、シサイド王国との別れとなる。
長いようで短い旅だった。
仕事でもあり、新婚旅行でもある。
本来、新婚旅行は貴族と王族だけに許されたものだ。
それも、多数の護衛を引き連れて領土内、国内を旅するに留まる。
国外旅行など、何百年ぶりのことであろうか。
『ピャッピャー?』
「うんそうだねえ。国に帰るんだよ。ディーンもみんなにバイバイしましょうねー」
『ピャー』
ディーンがシサイドの人々に向けて手を振る。
「言葉が分かるんだな」
ヤクマ王子が驚いた。
「彼は地竜の子ですからね。ひょっとすると、成長した時の知能は我々よりも高いかも知れません。地竜は空の彼方……書物によると、宇宙と呼ばれる場所へ飛び立って行きましたから。我々の常識では図り知れぬ生物なのですよ」
「なるほどな……。それに、知識の悪魔をともに従える貴君。セントローの知恵でもあり、神秘を担保する者でもあり、そして最大の戦力でもある……」
「従えているのではありません。彼らは私とともに歩む者です」
「そうか。王の下にいながら、しれっとそのような話をする。それを王に許されているような貴君がいるなら、セントローは攻めぬ方がいいな?」
「辺境伯もおりますからね。彼は戦争が起こるのを今か今かと待っていますよ」
「ああ。あの男は一人で一軍を止める怪物だ。あれが寿命で死ぬまでは何もせぬことにしておくよ」
そんな冗談を口にして、ヤクマ王子は笑った。
かくして、シサイドの地を発つ我々である。
青い空の下、その色を映し出す広大な海に浮かぶ緑の島々。
美しき群島の王国、シサイド。
この地に、私は別れを告げたのだった。




