138話 準男爵夫人、かく語りき
観光に向かった我々。
まずはシサイドのビーチを歩き回ることにした。
専用のサンダルを使い、目の細かな砂を踏む、不思議な感触を楽しむことに。
だが。
「ナオさん! 私、ナオさんがビブリオス準男爵に注ぐ思いに感動しましたのよ!」
「あっ、はい」
マガレット妃殿下がついてきてしまっている。
なぜだ。
取り巻きの婦人たちはいない。帰らせたようだ。
「ともに肩を並べ、時に夫婦として、時に仲間として仕事に挑みますのね! 素敵です……! 王太子殿下は、鷹揚で次期国王らしい考えと振る舞いをなさっているのはいいのですけど、どうも私が仕事に取り組むことにいい顔をしなくて……『王太子妃ならば、その暮らしの優雅さと貴さを見せつけることも仕事だ。あくせくと走り回らなくていい』なんておっしゃいますのよ。それは、愛は感じますけれど」
ここでちょっと興味を惹かれた私である。
「マガレット妃殿下よろしいですか? もしや、ヤクマ王子とあなたは、家どうしが取り決めた間柄ではなく」
「ええ、恋愛結婚ですわね」
「なんと……!」
次期国王である第一王子の妻が、その個人の恋情によって決定される。
これは大変珍しいことである。
なぜなら、相手の素性が分からないし、その相手は敵対する勢力が送り込んだ間者かも知れない。
「失礼だが、王子はあなたに求婚する際、国民からの非難を恐れなかったのかな? あなたは有名な女性運動家だったと聞いているが」
マガレット妃は、女性の社会進出を訴える運動を行っている人物。
権力側からすると、本来は厄介な人間のはずだ。
何しろ、社会に新しい思想を広げられれば、その国の根幹が揺らぐこともありうる。
「恐れていなかったと思いますわよ。あの方、裏も表もありませんもの。だから、外交などの局面ではアレクシオス王子が担当しますの。彼は最初、私の運動について聞きにやって来たのです。私、最初は囚われるのかと思いました。ですけど、彼は真面目な顔で私の話を聞くんです。今まで、私の話を聞いてくれたのは同じ年頃の女性ばかりでしたのに! こんなの初めてだったので、ああ、この方は私の運動に興味があって、理解を示してくれるんだなと」
「そこからお付き合いがはじまったんですね!」
マガレット妃は夢を見ているような、ふわふわした表情で頷いた。
「気がつくと求婚されてましたわね……! 結婚する時には、私の運動に関わった方々から随分責められたものです。女性の社会参加運動を放り投げて、体制側につくのかと。ですけれど、ここで言葉を尽くして彼女たちを説得してくれたのも彼だったのです。国の中から少しずつ変えていけばいい、と。ああ…て…ヤクマ好き」
「先輩、マガレット様、ラブラブですよ」
「うむ。まさかのろけを聞かされるとは思わなかったな。いわゆる活動家を内に取り込んで仲間にしてしまう人たらしぶり。ヤクマ王子は傑物かも知れん」
「ちょっと準男爵、私たちの愛を計画的なものみたいに言わないで下さいます?」
「何を仰る。生物間に発生する、求愛と婚姻とは我々の本能に根ざしたものです。この本能を人の社会に照応させて、恋愛結婚というものが存在しているわけで、これは自然の摂理により近い、プリミティヴな婚姻関係なのです」
「……ナオさん、助けて。私、彼の言うことが半分も分かりませんわ」
「先輩、常にこうですからねー」
我々のやり取りを、ハラハラしながら見守るオーラス将軍も交えて、砂浜を見渡せる場所で休憩することになった。
日を遮る、椰子の葉で作られた傘が立てかけられ、その下にやはり椰子の葉と木を組み合わせて作られた、リクライニング型の椅子が設置される。
半分寝そべるような姿勢で、椰子の傘から溢れる陽光を受けつつ、潮騒に耳を傾ける。
贅沢な時間ではないか。
飲み物も運ばれてきた。
椰子の実のジュースである。なんでも椰子の木で片付くのだな。
口にしてみると、青臭さがあるがこれはこれで美味い。
フィールドワークにおいて、木の実をすり潰したもので水分を補給するようなものだ。
このような可食部が多い植物が、多く自生しているとなると、この国の人間の気質がこうも穏やかになるのはよく分かるな。
それだけに、彼らがセントロー王国まで攻め寄せてきたことの深刻さが伺える。
人口が増えすぎて、この木の実や魚では、その口を養いきれなくなる。
遠からずその日がやって来ると、この国を治める者たちは判断したのだろう。
何とかしてやりたいものだ。
「ねえ、ナオさん」
「はい」
私が物思いに耽っていると、またナオとマガレット妃の会話が始まった。
「思ったのですけど、どうしてナオさんは準男爵を、先輩と呼ぶのですか? 私は彼の事を、名前か、彼で呼びます。だって、私たちは対等ですもの。でも、先輩って言うのは、後輩が口にする呼び方でしょう? それって、夫婦の間に上下があるということではなくて?」
「んー、どうなんでしょう」
ナオが、ストローを使って椰子のジュースを飲む音がした。
一口かと思ったら、結構飲んでいる。
ごくごく行っている。
「あ、あの、ナオさん?」
「ぷはあ、美味しいジュースですねえ! ねえディーン」
『ピャー』
子竜サイズの椰子の木を与えられていたディーンも、ストローを上手に使ってジュースを飲んでいたようだ。
「あ、先輩っていう呼び方のはなしでしたよね」
「ですわ! どうしてナオさんは、準男爵を先輩と呼びますの?」
「それはですね、先輩がわたしにとって、一番たいせつな人だからです。マガレット様は、わたしがもともとはホムンクルスだった話はご存知ですか?」
「ほむ……?」
そもそもホムンクルスの存在を知らなかったか。
シサイド王国では、魔法の領域に属する錬金術は発展していないらしい。
「ええと、つまりわたしは、作られた命なんです。魔法によって生み出された生き物、それがわたしです」
「へえ……へ? えええええっ!?」
マガレット妃の凄い声が響いた。
砂浜にいた人々が、次々にこちらを振り向く。
オーラスが慌てて、彼らに散るように指示をした。
「ほ……本当なのですか? つまり、ナオさんは人間ではない……?」
「はい。この地上にいる、あとは地下にもいる、どんな種族ともちがいます。わたしは、わたしだけしかこの世界にいない種族です」
魂を持ち、人と同じように命を得て生きるホムンクルスなど、過去においても存在しなかったのではないだろうか?
私の手のひらの中で、手乗り図書館がほんのり熱を持つ感覚があった。
「それで、わたしをそういう作られた命から、自分で生きられるようにしてくれたのが先輩なんです」
「大恩人ですのね……」
マガレット妃の声に、納得の色が混じった。
「ですです。あとですね、わたしが初めて世界を認識した時、先輩がいたんですね。それでわたしは先輩を見て、誰なんだろうって思ったんです。そしたら、先輩は……『ああ、気にしないでくれたまえ。この世界に生まれ落ちたばかりの君に、少しばかり長く生きている先輩として、当然の事をしたまでだ』」
まるで、私が話した言葉がそのまま再生されたかのように、ナオの口から流れ出してきた。
彼女はこれをずっと覚えていたのだ。
「だから、先輩は特別なんです! わたしにとって、これよりもすてきな呼び方はないんですよ?」
声だけだったが、ナオが笑顔なのが分かった。
そうか、彼女が耳にした、初めての他者を意味する言葉が先輩だったということか。
なるほど、だから私は先輩と呼ばれていたんだな。
納得である。
「ちょっと準男爵! 何を納得顔でうんうん頷いていますの!? ここは感動するところでしょう!?」
マガレット妃、そう言いながらも少し涙ぐんでいるではないか。
なるほど、ヤクマ王子の目は確からしい。