110話 男爵領のお茶と菓子
屋敷に到着すると、ロネス男爵が執務を放り出して駆けつけてきた。
「やあやあ貴君! 待っていたぞ! 先日の滞在は実に楽しかった。その分の礼をせねばならんからな! おい、お茶と菓子を持て! 今日のためにコックの休みの日をずらさせていただろう」
「はい、ただいま」
メガネのメイドが一礼すると、奥に引っ込んでいった。
「すごい歓迎ぶりですねえ」
早速ソファに腰掛けたナオがしみじみ言う。
「私、人間の世界の甘いものがちょっと好きかも。何が出てくるんだろ」
「シーア、あれは堕落の味だ。あまり慣れるべきではないぞ」
「人間の住んでるところに来たときしか食べられないんだから、いいでしょー?」
エルフの兄妹は、すっかりくつろいでいるようだ。
ロネス男爵は敵ではない。
それがよく分かっているからである。
「それで、男爵。私がここに来たのは先日手紙でお知らせした通りの用件です」
「戦争か。まあ、まだ小競り合いが起こるかどうかというところだなあ」
男爵は恰幅のいい体を豪華な椅子に預けて、顎を撫でていた。
「詳しい状況は分かっているのですか」
「ある程度はな。貴君、おれたち貴族は、魔法使いの集まりである魔術師連盟に伝手があってな」
「ほう、魔術師連盟」
聞いたことはある。
魔法を使う者が所属する組合である。
魔法を使えるという一点で、良からぬことをするのではないかと疑われやすいのが魔法使いだ。
常人は、理解できないものを拒むため、それ自体はごく自然に発生する知見と言えよう。
魔術師連盟は、この風評から魔法使いを守るために発足した。
魔法使いを会員登録し、管理する。
互助会であり、同時に所属する魔法使いを各地に派遣する傭兵組織でもある。
ただし、直接的な戦闘行為には加担しない。
そういう組織だ。
我が開拓地にいる魔術師のビートルも、これに所属していたはずだ。
「でだ。今一番引く手数多なのが、移動魔法の使い手よ。連盟はこれの育成を急いでいてな」
「ふむ。彼らを移動のための足に使うためでしょうな」
「そう、それよ。だが、あちらも人だ。魔法を使えば疲れるし、人数だって限りがある。それに、戦闘行為に加担できんから、兵士を送り込む仕事もできない」
「魔術師連盟は国家にまたがる組織である以上、どの国にも敵対できませんからな」
「おう。しかも、依頼料がべらぼうに高いと来ている。おれたち貴族や、宝飾品を扱う大商人でもなければ、件の移動魔法の使い手を使えまいよ」
「ですが、男爵が私にその話をしたということは……私には、それを使える、あるいは使うべきと判断したということですか?」
「その通り。貴君、あの粉があるだろう」
魔狼粉のことである。
開拓地に住まう民以外に、あれがマルコシアスのフンであることを知る者はいない。
「あれが指先ほどもあれば、連盟への報酬としては十分だろう。実際に貴君の足で、国境に出向いて見てくるといい」
「なるほど……! 確かに、伝聞だけでなく、自らの目と耳と鼻と触覚で確認することは重要ですな。ではもしや……」
「そう、既に魔術師連盟に連絡をとってあるぞ。おれからのほんの礼だ。何せ、貴君と取引をするようになってから、おれの懐は潤っていてな」
魔狼粉を独占販売しているのがロネス男爵である以上、そうなるのは当然と言えよう。
しかも、魔狼粉は消耗品だ。
魔力を著しく増強するが、効果を発揮した後は消滅する。
マルコシアスは食事をしないとフンを出さないが、彼はそこまで食事が好きではない。
採取される量も限られるため、それが男爵領に輸出され、さらには世間に流通する量となるとごくごく僅かになるのだ。
お蔭で、市場における魔狼粉の価値は極めて高くなっているらしい。
男爵はさぞや荒稼ぎをしているであろう。
その後、以前よりも随分グレードアップした茶を飲み、やはり上質なものになった菓子を食べ、我々は大いに満足した。
高級な食べ物には、人を駄目にする力があるな。
ナオが幸せそうな顔をして、ずっとニコニコしっぱなしになっている。
贅沢を覚えさせてしまった。
「先輩、このお菓子、開拓地にも……」
「日持ちがしないから無理なのだよ、ナオ」
ナオはとても悲しそうな顔をした。
シーアまで、どうしてショックを受けているのだ。
仕方ない。時々男爵領に来て、菓子を食べさせねばなるまい……。
しばらくすると、我々を国境線へと送り届けてくれる魔術師がやって来た。
まだ年若い男性で、どうやら移動魔法のみを訓練し、習熟しているとのことだった。
連盟が市場のニーズに応え、育成した専門家であろう。
「アーガスと言います。よろしくお願いします。移動魔法で皆さんを国境線までお届けしますが、一日に三度までしか使用できません。僕は一度使用してこちらまで来ましたので、使えるのは残り二回。移動できる距離では、国境線までは到着できませんから、今日は移動した場所で宿泊することになります」
てきぱきと説明してくれる。
「ほう、移動魔法には距離の制限があったのだね」
「はい。同時に運ぶ質量によって、距離が縮まるんです。ですからこの人数ですと、三度の使用が前提になります。人数を減らせば、今日中に到着できますが……」
「身の安全のためにも、ワイルドエルフの二人は必要だ。それにマルコシアスがいると大変便利なので外すわけにはいかない」
「では……」
魔術師アーガスが、ちらっとナオを見た。
ナオが、私にしがみついて、ふるふると首を振る。
「ナオは私の優秀な補佐役だ。彼女を外すことはあり得ない」
「ですよね!」
「良かったねえ、ナオ」
ということで、我々は国境線の様子を見るために、ちょっとした旅行をする事になった。
となれば、異種族ばかりの我々一行にとって、どの土地に降り立つかが重要になる。
セントロー王国は、場所によっては人種差別がひどい国なのだ。
人は立場が安定すると、内部に敵を求める。
その時、最も攻撃しやすい相手が、異種族というわけだ。
「なに、俺が全て排除してやる」
トーガが豪語する。
それだけの実力がある男だが、彼に任せていると屍山血河を築きかねない。
道筋は考えて行かねばな。
「では皆さん、集まってください。そして手をつないで……。はい。移動魔法は、皆さんが繋がっていないと行使できません。あ、そこの狼を誰か掴んで……えっ、尻尾が巻き付いて!?」
「マルコシアスのことは気にしなくても大丈夫だ。彼はちゃんと言葉が分かっている」
『うむ』
「へ、返事をしたー!? わ、分かりました。では移動します!」
アーガスが詠唱を開始する。
周囲に光の渦が巻き始め、その回転速度が早くなっていく。
やがて、光は周囲の光景を覆い尽くすほど強くなり……。
我々は遠い土地へと移動をしたのだった。




