108話 鳩の手紙
「戦争とはまた穏やかではないな。それに、ここ千年の間、セントロー王国ではそんなもの起こってもいなかったではないかね? ああ、いや。起こらないものと先入観を持つことこそ、賢者としてあるまじき態度だった。千年起きてないならば千一年目で起きてもおかしくはない」
「卿は相変わらずですなあ」
イールス卿が笑った。
「わたくしが帰ってまいりましたし、サインの仕事は終わっていますわよね? 準男爵、外に行かれても問題ございませんわよ」
「ええ。アスタキシアさんが来たなら大丈夫ですから。はい、ジーンさん出てった出てった」
「私はここの領主なのでは……?」
「いいではないですか。さあ行きますよ、準男爵」
アスタキシアとカレラに追い払われて、私は執務室を後にしたのである。
途中、魔族の子どもたちと遊んでいたナオを拾う。
「どこ行くんですか先輩?」
「うむ、大変なのだナオ。戦争が起きそうなのだよ」
「あら、たいへーん」
ナオがびっくりしてバンザイする。
卵を抱っこしているので、ジェスチャーは控えめである。
これの真似をして、オーガとアンドロスコルピオの子供が、ニコニコしながら両手を上げた。
アンドロスコルピオの子供はここに来たばかりだというのに、もうナオに懐いたのか。
「キーシュくんと言うんですよー。ほら、ふたりとも。わたしはお仕事がありますから」
「えー。ナオといっしょにいくー」
「いくー」
「あらあら」
ナオがチラチラ私を見た。
ふむ、子供がいても困ることはあるまい。
「よし、同行したまえ。キーシュ、君もこの機会に、開拓地を見て回るといい」
「はーい、りょうしゅさま!」
ということで、ナオの他に同行者が二人増えた。
道の途中で、マルコシアスが昼寝をしている。
これを見て、バル・ポルが突撃した。
「マルー!」
ジャンプして飛びつく。
すると、悪魔は目を覚ました。
『なんだ、ジーンでは無いのか』
そして、バル・ポルをぶら下げたままのっそりと起き上がり、鼻をくんくんさせた。
「うー」
キーシュが私のズボンの陰から、こわごわとマルコシアスを見ている。
「キーシュ、あれは質問に答える悪魔、マルコシアスだ。こちらが暴力を振るわない限りは、極めて安全な悪魔だぞ。君も行ってみたまえ」
「こわい。おっきい」
ふむ。確かに、慣れぬ者にとって、マルコシアスは大きくて恐ろしい物に見えるだろう。
「では私も近くまで行ってあげよう。ちょうど、マルコシアスに聞きたいことがあるからな」
そんな私の声が聞こえたらしい。
魔狼がサッと私の方に振り向いた。
『質問か』
バル・ポルをぶら下げたまま、向こうからこちらにやってくる。
「ああ、久しぶりの質問だ。ずっと構ってやれなくて済まなかったな」
『質問をせよ』
マルコシアスが、尻尾をぶんぶんと振る。
質問してほしくて堪らないようだ。
「よし、では質問だ。イールス卿、詳しい事情を教えてくれ」
「あ、ああ。ロネス男爵からの手紙があってね。隣国、シサイド王国が国境付近に軍隊を集めているそうです。ま、こちらからは遠く離れた場所ですけどね」
「ふむ……。では、マルコシアス質問だ。今起ころうとしている戦争は、一体誰が引き起こすものだね?」
『その質問に答えよう。バウスフィールド家の元伯爵夫人、カーリーだ』
「彼女か」
私は頭がクラクラする思いだった。
そして、サッカイサモン公爵が話していた、バウスフィールドの女狐に気をつけろという話は、まさにこのことだったのだろうと想像できる。
「なぜ、カーリーが戦争を起こす?」
『その質問に答えよう。理由はジーン、お前が地位を得て王からの覚えもめでたくなったからだ。この地位を以て伯爵家が狙われると、カーリーは考えたのだ』
今日は久々の質問だけあって、細かく答えてくれるな。
マルコシアスが嬉しそうに、尻尾をばたばたさせている。
バル・ポルが歓声を上げながら、この尻尾にじゃれついた。
こわごわとこれを見ていたキーシュだが、バル・ポルに誘われて六本の足をカタカタと動かし、魔狼に近づいていく。
マルコシアスが顔を下ろし、近づいてくるアンドロスコルピオに鼻を寄せる。
「ひゃぁー」
くんくんと嗅がれ、キーシュが震え上がった。
だが、マルコシアスはそれ以上のことはしない。
興味を失ったように、ぷいっとそっぽを向いた。
『寝る』
マルコシアスは、ゆったりとした動きで座り込んだ。
「こっちおいでよー!」
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ!」
バル・ポルに導かれ、キーシュがマルコシアスに恐る恐る触れた。
何も起きない。
「マルコシアスは、接し方さえ正しければ無害な悪魔だ。安心したまえ。ただし、羽目を外してはいけないよ」
私はキーシュの肩に触れ、そう告げた。
「う、うん!」
オーガの子供とアンドロスコルピオの子供が、マルコシアスの上に登って遊び始める。
「バル・ポルちゃんも新しい友だちができてよかったですねえ」
「うむ、開拓地には子供が少ないからな。やがて、この土地にも子供たちが多く住むようになるだろう。彼らは来たる子供たちの暮らしのためのモデルケースとなる」
「先輩はいっつも固いんだからー」
ナオが私の脇腹をつついた。
これはたまらん。とてもくすぐったい。
「ビブリオス卿、いちゃついているのもいいんですが、王都からは間違いなく、うちにも協力要請が来ますよ。この開拓地には、出せる兵士はいないでしょう」
「まだ数えられる程度の人員しかいないからな。それに、戦争などという非生産的行為に、大切な領民を出すつもりはない」
「そうはいかないでしょう。同じ王国なのですから、国王からの要請を断ることなどできはしませんよ!」
「それは承知しているさ。戦争は今現在、起こってはいない。起こる兆候があるというだけのことだろう。仮に、戦争がなくなってしまえば、我が開拓地は兵力なり資材なりを余計に供出しなくて済む……。そういうことだろう?」
私の言葉に、イールスが目を白黒させた。
「理屈の上ではそうですがね。しかし、戦争をなくすとか、どうやって……」
そこが思案のしどころなのである。
まずは、詳しい情報を集めなければな。