101話 男爵、手助けをしてくる
「ここだ! ここからここまでは修辞句のようなものに過ぎん。無視していいぞ。そしてここから下までも無意味だ。つまりだな、実際にはこの書類は、真ん中の一文だけで事足りる」
「な、なんとーっ」
あまりの衝撃に、私は震えた。
積み上げられた書類の山を、ロネス男爵が次々に捌いていく。
隣では眼鏡のメイドが書類の要点を読み上げ、男爵がその内容を私に問う。
私がやることは、渡された書類にサインをするだけだ。
「貴君、手分けをするのだ。何のために奥方がいると思っている? 貴君同様に、賢者の塔で書物を読み解く訓練をした女性ではないか。これから、おれのメイドが仕事の仕方を叩き込む。貴君は奥方と協力して、この書類群をさっさと片付けてくれ」
「助かります。この礼は必ずしますよ」
「ああ、観光案内を期待している。どれ、おれはちょっと昼寝してくる。客用の寝台はあるかね?」
「余剰な宿泊スペースはありませんな。私の寝室で良ければ使ってください」
「ほう、いいのか。では遠慮なく……」
ロネス男爵は、太った体をゆらゆらと揺らしつつ、廊下の奥へ消えていった。
彼を案内するのは、カレラである。
「ほう、そなた、元冒険者なのか! いい体をしておるなあ。どうだ、おれの妻にならんか? おっ、ドン引きしたな。わっはっは、冗談だ……と見せかけて本気だぞ! おれはこの辺りを即断即決でだな……ぬわーっ部屋の中に突き飛ばされたーっ」
賑やかである。
カレラが、大変むずかしい顔をして戻ってきた。
「ジーンさん、なんかナチュラルに貴族に求婚されたんですけど」
「男爵ならやりそうだ」
私は頷き、眼鏡のメイドに問う。
「君、男爵のあれはいつもああなのかね?」
「いえ、ご主人様は、よほどピンときた相手にしか言いませんね。おかげであの年まで独身でいらっしゃいます」
「ほへー。でも男爵、近くにメイドさんがいるのにー」
ナオが不思議そうである。
この眼鏡のメイド、常に男爵の傍らにいるからな。
「色々複雑な事情がございまして」
メイドはそれだけ言って、あとは説明するつもりがないようだった。
その後、書類作業について、私とナオはメイドから処理の手順を教わった。
私がやることの大部分は、男爵が話した内容と違わない。
要するに、いかに手を抜くかなのだ。
貴族の仕事は、急を要する物でなければ、それぞれの案件の重要性は低い。
要点だけかいつまんで把握し、即断する。
これが重要なのだ。
もし、否認した案件が重要なものであれば、再び戻ってくる。
そうなった時に再考すればいいのだとか。
「ご主人様は、『貴族というのは一生仕事を続けていくのだから、負担を背負い込んでくたびれるなどバカバカしい。失敗しないようにルールを決めて、ほどほどの力で継続すればよいのだ』と仰られています」
「なるほど、貴族には貴族の仕事の仕方があるのだな。勉強になる」
手乗り図書館に記録しておく。
隣では、カレラも熱心に聞いている。
我が開拓地の執政担当として、彼女も書類処理の腕を身に着けてもらえると助かるというものだ。
「待てよ。こうしてカレラが執政に関する腕を上げたところで、ロネス男爵はヘッドハンティングを……?」
「私を!?」
「ご主人様はそこまで考えていないと思います。多分お顔とおっぱいしか見ていないと思いますよ」
「それはそれで困るというかなんというか!」
カレラが困惑する。
「そもそも、ハーフエルフとかありなんですか? 私、結構差別されてきたんですけど」
「ロネス男爵領は、ビブリオス準男爵領ができるまでは国の最も辺境に位置する土地でした。そこは、ワイルドエルフに対する牽制の意味を持った領地です。国家からは、自由にやれる権限を与えられておりますから、今更ハーフエルフを妻に迎えたところで何の問題も無いでしょう」
「なるほど、時代が時代ならば、男爵は辺境伯であったのか」
辺境を守る貴族というものは、国家にとって重要だ。
即ち、彼は外敵に対する最初の壁となる存在だからである。
これを辺境伯に任じ、大きな権限を与えることは、ごく一般的なことなのだ。
ロネス男爵は、実は大した男であったらしい。
「やあやあ、そろそろ終わった頃かね?」
噂の男がやって来たぞ。
確かに、彼が昼寝から目覚めた頃合いには、作業のやり方を学びながらも、おおよそ書類の処理は終わっていた。
「よろしい! では観光に連れて行ってくれ!」
「いいでしょう。ではこちらへ」
私は男爵を連れて歩いていく。
彼のたっての願いで、カレラも一緒である。
これは本気かも知れない。
しかし、会ってすぐに求婚して、昼寝から覚めても猛烈にアプローチしているとは。
この男爵、行動が速い。
カレラはと言うと、ずっと首を傾げている。
事態についていけていないのであろう。
これは私も危機感を持つべきかも知れない。
「男爵、これが畑です」
「最初に案内するのが畑か。なんか雑草が生えてないか?」
「スピーシ大森林では、通常の作物は育ちませんからな。こうして、育つものを用いている。これを集めて粥や、挽いてパンのようなものにするわけです」
「苦労しているのだなあ。……ヒャァー! ミミズがいる!」
「おや、男爵はミミズがお嫌いですか。これは、大森林の環境に合わせて変異したミミズです。これが増えた土地では、ある程度通常の作物も育つようになる。今はミミズを増やしているところですな」
「土壌を作るところからやっているのか……。それは、書類仕事などやっている余裕はなくなろうな」
「ご理解いただけましたかな」
「ああ。貴君の得意とするのはそちらであろうな。ならば、貴族の陰謀ごとなどに力を割く暇など全くあるまい! よし、ではこちらは俺が担当しよう。先日は公爵の使者を通してしまったからな。今後はのらりくらりと足止めする」
「おお、助かります」
我らの足は、そこからリターン川へ。
川から引かれた水路を見て、男爵は唸った。
「雑な仕上がりだ」
「森にある資材だけでやっていますからな。水が漏れないこと、壊れないことだけを重視しています」
「貴君、見た目よりも実を取る性質なのだろうが……仮にも準男爵領となった今、領地の生命線であろう水路がこの無骨さではいかがなものか。よし、うちから職人を何人か出そう」
「それはありがたい。……それで、見返りはカレラですか?」
「私!?」
「貴君は言葉を飾るということを知らんな。だが、またそこがいい。それから、おれのやっていることは友人への善意に過ぎんぞ。気にするな」
そう言いながら、男爵がチラチラとカレラを見る。
大変わかりやすい。
「なるほどー。男爵様いい人ですねえ」
ナオは全然気付かずに、感心していた。
「おれは今、モチベーションがかなり高い! なんでも任せておけ!」
よし、お言葉に甘えて任せよう。
だが、うちの執政官はやらないぞ。




