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変身  作者: 成瀬 景
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たまにはいいことがあってもいいじゃあないか。

おれの隣にいた友人は二軒目の居酒屋でそんな愚痴を吐いた。

お互い似たような境遇の仲だった。同じような田舎から出てきて、同じように仕事をして、同じような家に帰り、同じように眠る。だから、こいつとは変に気が合った。

思えばいつだったろうか。こいつを初めて知ったのは同じような上司に怒られてるところを、たまたま出向で来ていたおれが見かけたのが始まりだったと思う。その後喫煙所でうなだれているのを見たから、自販機で缶コーヒーを奢って話を聞いてやったんだった。そしたら予想以上に境遇が似ていて、それからおれたちは友達になったんだった。

それからたまに遊ぶような仲になって、そしてよく連むようになるまで時間はかからなかった。

こいつはおれに似ている。おれはもちろん、あいつもそう思っていたはずだ。だから、あいつとおれとの明確な差なんて、考えもしなかったんだ。

家に帰って、布団を被って寝た。朝起きて、帰りに買ってきていたパンを口に突っ込んで、水で流し込む。歯を磨いて、適当に髭を剃った。作業着に着替えて、鞄を持って家を出る。職場について、下らない話に愛想で相槌を打って、帰りにコンビニで安酒を買って一人で飲む。そして作業着を脱ぎ散らかして敷きっぱなしの布団に転がった。

また朝が来て、パンを食べて。俺らはそうやって人生を減らしていくんだと思っていた。だから、おれの携帯を揺らしたその知らせは、言うならそれまでの生活を吹き飛ばしちまうような、原爆みたいな威力があったんだ。

昨日、俺と別れたあとにあいつはビルから飛んだ。そんな、どこにでも転がっていそうな、そんな知らせがだ。


通夜が終わって、おれは喪服を脱ぎ捨てて暴れだしたい気持ちを抑えながら帰路へついた。家の鍵がなかなか開かなくて、破壊衝動に駆られて、思わず叫びながらドアを殴って、手の甲の痛みでふと我に返る。

そんなやつじゃあなかったじゃないか。というのはあいつに失礼だろうか。

それでも、おれはあいつにそんな問いかけをせずにはいられなかった。どうして?答えなんて、死にたかったからくらいしかないのなんてわかっているのに、それでも。

手が怒りに震えてとうとう鍵は開けられなかった。ドアの前に座り込んで、月を見上げた。満月に近かった。どうも明るいと思ったんだ。もしかしたら、昨日が満月だったのかもしれない。

どうして。

疑問は尽きない。尽きないが、それに全部答えが出たとして、結局腑に落ちないのだ。

「お前は、そんな」

このあとのせりふは、誰にも言えない。

できることなら、あいつを殺した世界に、この破壊衝動を全てぶつけて、全部壊してやりたかった。


その後のことはよく覚えてない。部屋に帰って寝たような気もするし、その部屋に、誰かいたような気もする。誰がいたかは覚えていない。ただ、聞いたことのある声だったから、多分おれの知り合いなのだろう。しかし、それを確かめて回るのは、少なくとも今ではない。

まず思ったことは、これは恐らく夢なのだろう、ということだった。雲の上から、街を俯瞰するように下を見ていた。そして、おれの体には無数の足がついていて、おおよそそれは人間と呼べるようなものではなく、あるいは哺乳類ですらない、ダンゴムシみたいな体だった。

ああ、これは。

昔どこかで読んだことがある。誰だっただろうか、海外の──ああそうだ、カフカだ。間の抜けたような音だったからよく覚えてる。タイトルは確か変身だったか。あるあさ起きたら虫になっていた主人公の話だ。いまの状況にピッタリじゃあないか。

体の動かし方もなんとなくわかるような気がした。前に進む、後ろへ、左右に回ったり、その度に壊れていく街が、とても愉快だった。

手始めにおれはあいつとおれの勤めていた工場を潰すことにした。あれだけ大きいと思っていた工場も、おれの巨軀に為す術もなく踏み潰された。いい気味だ。ざまあみろ。

おれは潰されていく工場の内装を思い浮かべて、嫌味な上司や先輩、最低賃金を半分にしてもまだ足りないほどの低賃金で働かせていた社長が、瓦礫の下敷きになって助けを乞う姿を思い浮かべてほくそ笑んだ。そして、最後にこき使っていたおれなんかに踏み潰される気分を聞いてやりたかった。

それからおれは、普段なら行かないようなところに行ってやろうと思い、まず海に行くことにした。それから山だ。沖縄の海というものを見てみたいし、富士山というやつにも登ってみたかったのだ。この体だ、各停くらいの速度しかでないが、行けないことはないだろう。

まずは手始めに富士山だ。おれは巨軀をなんとか眼前の巨大な山に向けて歩き出した。後ろでは土煙が上がっていて、まるで戦車みたいだと思った。もっとも、おれこそが陸の王者であって、あんな鉄の塊など、今の俺の相手ではない。たちどころに踏み潰してやる。

一時間ほどとろとろ歩いていると、その巨大な姿が目に入った。

ああ、これが富士山か。おれは思わずこの景色をなにかに残したい気持ちになった。写真はまず無理だとしても、例えば言葉とか──ああそうだ。短歌にしたためてやろう。旅をして歌を詠むなんて、随分と洒落ているじゃないか。

まあおれにはそんな学はない。もっと勉強しておけばよかった。おれは少し肩を落として(落とすような肩などもうないが)また歩き出すことにした。

瀬戸内沿いをだらだらと歩いている時に、おれは海の上に浮かんだ船が目に付いた。防衛軍の駆逐艦だ。まっすぐ一列に並んで、おれの横をぴったりついてくる。おれは思った。こいつらはおれを撃つつもりだ。

駆逐艦は遠距離ロケットを何発も打ち出した。一度上に昇って、それから地面スレスレを舐めるように飛んでくる。そしておれの体の近くでまた昇って、おれの背中に当たった。

爆発する。おれは耐え難い痛みに思わず叫びたくなって、それから口がないことを呪った。横に転がる。くそが。どうしておればっかりこんな目に合わなければいけないんだ。痛いのも、怖いのも嫌いなんだよ。まだ死にたくない。

駆逐艦はまた遠距離ロケットを打ち出した。次は俺の腹にまっすぐ飛んできて、おれは腹から臓物を撒き散らしながら涙を浮かべた。

ああ、まだ死にたくない。どうせ死ぬなら、もっといい死に方がよかった。

ふと、あいつの顔が浮かんだ。おれより先に逝ってしまったあいつの顔だ。

お前も、死にたくないと思いながら死んだのだろうか。

もうすぐそっちに逝くから、おれにも教えてくれ。

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